まただいぶ増えてきたので、たまらないうちにリストを作ろうと思い立った。
作業量がちと多いので、きのうたまたまFMで聞いた曲をBGMに。
TOM☆CATの「ふられ気分でRock'n Roll」。なつかしいなあと思って聞いていたら、末っ子が、
「昔の曲って、どうしてこう分かりやすいんだろう」
と言った。たしかにそうだ。最近の邦楽は、歌詞が聞き取れないことが増えてきた。気になった曲はネットで歌詞を調べることも多いけど、調べても「?」となることもある。
前置きはこのくらいで、古い日記リストをご紹介。
引き続き眠気覚まし模索中
眠気覚ましのために、耳目に入るものをひたすら書き留めていたらしい。
テレビをほとんど見ないのは、15年前もいまも変わらないけど、朝の通勤・通学前の時間帯は、漫然とテレビに電源をいれていたこともあった。それでワイドショーなどを聞きかじっていたのだろう。
魔窟事情
魔窟と呼ばれていた我が家の「書庫」は、いまでは長女さんの自室になっている。
数年前に、大々的に物品を処分して、人が入れる部屋に生まれ変わった。
写真に写っている書籍は蔵書の一部(7分の一くらい?)だけれど、いまはその半分ほどになったはずだ。
そのかわり、電子本の蔵書が猛烈に増えているので、もしかすると数量的には増減がないのかもしれない。
知能テストとBB弾
療育教室に通っていたころ、息子は毎年田中ビネー式の知能検査を受けていた。
療育手帳の更新のときにも、児童相談所で同じ知能検査を受けるので、習熟しそうなものだけど、検査結果は年齢があがるにつれて、落ちていくばかりだった。できることは増えていっても、年齢に相当するほどの成長ではないから、相対的に落ちていると判断されるらしい。
検査結果は低くても、息子には、知能検査では測ることのできない能力があることが分かっているので、あまり気にしなかった。
別れと知能
別れの悲しみを受け止めて、それを分かりやすく表現するのにも、知的な能力が必要なのだと気づいた日記。
この日記に書いた離任式の日、大好きな担任の先生が、なぜ教室に来なくなったのか、なぜ突然戻ってきて、悲しそうに泣いているのか、息子には理解できなかっただろうと思う。
その後、学校生活が長くなるにつれて、息子は毎年春にやってくる別れの季節に慣れていき、「そういうものだ」と納得したようだった。
マヌケな医療給付制度改革
このときのことは、よく覚えている。
当時お世話になっていた主治医は、気合の入った姉御肌のお医者さんで、頻回の難病再発に苦しむ子どもたちのために、最新の治療方法を積極的に取り入れようと苦心しておられた。
難病児の苦しみは、病気との闘いはかりではない。幸運にも病気が寛解して、一般社会で暮らすことができるようになってからも、幼少期に集団生活を経験できなかったために、適応できずに苦しむ人たちが多いと言われている。また薬剤の副作用のために、持病とは別の困難を背負ってしまう場合もある。
そういうことを幅広く考えて、とにかく「普通に」暮らせるようにと、手を尽くしてくださったお医者さんだった。私のような医学の素人の素朴な質問にも、ほんとうに丁寧に、誠実に答えてくださっていたことを、懐かしく思い出す。
世の中のお医者さんが、みんなあの先生みたいだったらいいのにと、心から思う。(T_T)
別にベニスで死にたくはないが
映画「ベニスに死す」を見たのは、結婚後、まだ子どもたちが生まれていなかったころだったように思う。ビヨルン・アンドレセンの美しさはいまも強く印象に残るけれども、この映画に出演したばかりに、ご本人の人生はかなり厄介なものになったらしいという話をどこかで読んだ記憶がある。
赤ん坊と母親
子どもの母親になってみて、はじめて無条件に人に好かれるという経験をした。
生まれたばかりの赤ん坊は、まさに全身全霊をもって母親を慕う。その迫力に、ときおり、たじたじとなっていた。
成長
成長とともに、息子のガラが悪くなったことを嘆いている日記。
いまにして思えば、小学校入学に妹の誕生と、イレギュラーな状況が立て続けにおきて、ちょっと拗ねていた部分があったのかもしれない。それも成長の過程であったのだとも思う。
乳児の主張
末っ子はこの数年後、大癇癪持ち幼児へと成長を遂げるのだけど、すでにその片鱗が生後三か月のころからあったのだなと、自分の日記を読んで再確認した。
徹夜で殺戮読み・痛い登校
ライラの冒険シリーズは、「黄金の羅針盤」以降、まだ読めていない。
映画にもなっているようなので、Amazonプライムビデオで見られるようなら、そのうち見てみたい。
脳内名所図鑑 「ミエリン鞘」
DHAやEPAなどの必須脂肪酸系のサプリメントを取り入れていたころの話。
その後息子は偏食が改善し、サバなど大好物になってしまったので、わざわざサプリで補充する必要もなくなっていった。
必須脂肪酸を接触的に摂取するように促したことで、どんな影響があったかははっきりしない。ただ、小学校高学年になるころには、息子の聴覚過敏は大幅に改善し、外出先で耳を塞いだり、パニックになることが、ほとんどなくなっていった。
気がかりてんこもり
小学二年になった息子が、担任の先生の転任などの環境変化についていけず、問題行動を起こすようになっていった経緯について書いた日記。
息子はいまでも強いストレスを感じたようなときに、外界からの刺激や働きかけをシャットアウトすることがある。そういうときには、常同行動に没頭しきってしまい、視線はほとんど合わなくなり、話しかけても反応がなくなる。そうやって、自分を守っているのだろうと思う。
ふんどし、肉体、切腹
三島由紀夫についてのあれこれ。
ここに出てくる「三島が切腹した理由を雄弁に語る資料を所蔵する美術館」が実在したのかどうかは、確認できていない。
自決の日を映画化した作品があるらしいというのをさっき知った。
Amazonプライムビデオで見られるようだけど、当面、鑑賞するエネルギーを絞り出せそうにない。
気がかり増殖
読み返していて、いろいろなことを忘れていたなあと、つくづく思う。
いまの息子には、鉛筆の芯を齧ってしまうような異食の問題はほとんどなくなっている。
ただ、学校を卒業してしまってからの生活には、ほとんど変化というものがないために、次第に環境や予定の変更に対するストレス耐性が弱まっているように思える。学校というところは、よくも悪くも行事が山ほどあって変化にとんだ生活を提供してくれる場だったから、そこから抜け出てしまったことの影響は、少なくないと思う。