こんな母親ですまんのう。
なんて思うことは滅多にないけど時々はある。
でも、母だからというだけで、なんでこんなに好かれるのだろう、とは思う。
いまも腕のなかに末っ子がいて、目が合うたびに、ふわーっと、笑う。
いっしょにいるだけで、ただただうれしいという、微笑み。恋愛でいちばん盛り上がってのぼせちゃって幸福なときでも、こんなふうにはなかなか笑えないのではなかろうかという、極上の微笑み。
上の二人の子供たちもそれなりに母親贔屓だったけれど、末っ子はケタ違い。トイレに行っても悲しそうな顔をされるから、連れていこうかと思うくらい。
たぶん、大難産だったことと関係があるのだろう。
お産の経過がよくなくて、私だけでなく、生まれてくる末っ子も、ものすごく苦しい思いをしたはずなのだ。産声を上げたとき、おびえて、ぼろぼろ涙をこぼしていた。私が抱き上げて声をかけたら、ほっと、ゆるんだような表情になった。
そのとき、何かが刷り込まれちゃったのだろう、きっと。
このひとさえいれば大丈夫、とか、一緒ならやっていける、とか、そんなことを。
同時に、母親がたよりないやつだということも、たぶん見抜いたのではなかろうか。本能的に。
そしてものすごく、がんばっている。
生後一日でにっこり笑い、二ヶ月で首が据わって、二ヶ月半で「おかーしゃん」と言った末っ子。
「まあこの子、まるで保護者のように、お兄ちゃんやお母さんを見ているのねえ」
と、息子の先生に言われたのは、つい先週。
早熟にもほどがある。
すまんのう。
(2005年04月25日)