湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(37)オンベレブンビンバ

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第37回「オンベレブンビンバ」を視聴した。

 

怪しい呪文のようなサブタイトルは、北条の一家団欒を象徴することばだった。

 

頼朝と政子の長女大姫が唱えていた真言「オンタラクソワカ」を、時政が間違って覚えていたのが、「オンベレブンビンバ」。

 

生前の大姫が、時政とりく(牧の方)の嫡男が生まれた祝いの集まりで、不吉な言動をにこやかに炸裂させて、場の空気を崩壊させたシーンが懐かしく蘇ってくる(第21回 仏の眼差し)。

 

「鎌倉殿の13人」(21) 仏の眼差し - 湯飲みの横に防水機能のない日記

 

Amazon prime Videoで、そのシーンを見直してみたら、後の悲劇に続くフラグが立ちまくっていた。

 

祝いに集まっていたのは…

 

時政とりく、生まれたばかりの息子(政範)

政子と大姫

義時と八重と金剛(泰時)

阿野全成と実衣

北条時連(五郎・のちの時房)

畠山重忠と、妻のちえ(時政の娘)と、お腹の子(畠山重保)

稲毛重成と、妻のあき(時政の娘)

 

このとき、産後まもないりく(牧の方)は、義時を差し置いて自分の息子が北条氏の嫡男であることを示すためのマウンテング行動に余念がなかった。

 

義時の妻の八重が孤児を養育していることを貶しつけ、時政の婿の畠山重忠たちが比企の一族に押され気味で存在感に欠けていることを責め立て見せる。その場に大変に気不味い空気が流れても、常に愛妻ファーストな時政は嗜めることもしない。

 

この集まりのあと、義時最愛の妻だった八重は、川で溺れて亡くなってしまう。

 

大姫は病で亡くなり、阿野全成は時政とりくに唆されて頼家を呪ったことを比企能員に利用され、処刑される。

 

皆に誕生を祝福されていた、時政とりくの嫡男(北条政範)も、平賀朝雅の陰謀によって、都で毒殺される。

 

畠山重忠は、時政夫婦や平賀朝雅によって、政範殺害や謀叛の濡れ衣を着せられて、息子の重保ともども滅ぼされてしまった。

 

稲毛重成の愛妻あきは病死。

重成はその供養のためにと相模川に橋をかけたものの、その落成の催しに訪れた頼朝が落馬して意識を失い、まもなく死亡してしまう。その後、時政によって、畠山重忠の謀叛を唆した責任を押し付けられ、息子ともども処刑されることになる。

 

集まっていた16人(うち1人は胎児)のうち、8人が死亡…(数が合ってるかどうか自信がない)。

 

大姫の世俗離れした不吉な言動が一族の人々の運命の翳りを呼び寄せ、りくの世俗にまみれた強欲さが、一族の未来の安寧を谷底に突き落とした……そんな風にも思えた。

 

(_ _).。o○

 

畠山重忠の乱のあと、時政は鎌倉の御家人たちの信頼を失い、義時によって政(まつりごと)の場から締め出されてしまう。

 

時政は、既に執権としての自分の未来に先がないことを悟っていたようなのに、りくは夫を鎌倉の頂点に立たせるための悪あがきを諦めない。

 

そんな妻を切り捨てて、保身に走る道もあっただろうに、ドラマの時政はそれを選ばなかった。

 

りくは実朝を廃して義時たちを討ち、平賀朝雅を鎌倉殿に据えることと、そのために三浦義村を味方に引き入れることを、時政に強く求めた。

 

それを聞いた時政の心の暗い揺れに、りくは薄々気づいていたようなのに、血を分けた息子や孫に刃を向けなくてはならない夫の苦しみには強引に蓋をさせて、自分の思いだけを見つめさせようとする。

 

結局、最後までりくの思いに寄り添って、共に破滅する覚悟をしたらしい時政は、自分の血を引く子や孫だけを呼び寄せて、最後の団欒の場を開く。

 

政子と実衣。

義時と泰時。

時房。

 

最初のうちは、自分達を呼び寄せた父の思惑が分からず戸惑っていた彼らだけれども、時政が妙な節回しで「オンベレブンビンバ〜」と歌いだすと、それぞれに大姫に教えられた真言を思い出そうとして、記憶を掘り起こしはじめる。

 

政子「うんだらほんだらげー」

義時「ぴんたらぽんちんがー」

時房「ぴゅりっ」(政子に制止されて最後まで言えない)

実衣「うんたらぷーぽんぱー→うんたらぷーそわかー→うんたらくーそわかー→ぼんたらくーそわかー」

 

言葉はキツいけど情の深い娘たちと、どちらかというと穏やかで、ちょっとお調子者の息子たち。

 

まだ嫡男の時宗も生きていて、家族そろって伊豆の北条館で暮らしていた頃の空気が、ほんの一瞬、奇跡的に戻ってきたシーンだった。

 

その直後、和田義盛邸で余暇を楽しんでいた実朝が、三浦義村によって時政の屋敷に連れ込まれる。

 

待ち受けていた時政は、実朝に出家するという起請文を書くように強要したけれども、あれこれと言葉を尽くし、泣き脅しをしても、実朝は書こうとしない。

 

実朝としては、以前時政に騙されて、畠山重忠討伐の下文に署名してしまったことを深く悔やんでいたので、二度と同じ失敗をしないという覚悟だったのだろう。

 

どうにも言うことを聞かない孫を前にして、時政はとうとう刀を抜いてしまう。

 

切なくもあたたかな団欒のひとときのあとだけに、この状況は心にこたえるのだけど、このドラマって、こういう風にジェットコースター的に猛烈に上げて落とす展開がすごく多いから、いい加減慣れてきた。(´・ω・`)

 

それに、史実では義時は父親を殺していない。

 

頼家親子の死のような、後味最悪な結末にだけはならないだろうから、その意味では、ちょっと安心ではある。

 

(_ _).。o○

 

 

毎度楽しみにしている歴メシネタ。

今回は、久々に食事シーンや食材の映るシーンが豊富だった。

 

まず、仕事を干されて座り込んでいた時政に、時房が大きな餅を差し入れするシーン。

 

餅は、野球のボールくらいの大きさだろうか。

ついてから少々時間がたっていたのか、二つ持ってきた餅のうち、少しでも柔らかなほうを父親にあげようとして、時房が餅を執拗に握って揉んで確かめるものだから、時政は「こんなさわりやがって、いらねえよ!」と断ってしまった。

 

実朝の食事シーン。

鯵の開きっぽい焼き魚を前に逡巡する実朝に、正室の千世(後鳥羽上皇の従姉妹)が、「鎌倉殿はお魚がお好きではないのですか」と声をかける。実朝は「小骨が…」というと、千世は取ってあげようとするのだけど、実朝はお腹がいっぱいだといって、食事を切り上げてしまう。実朝は、まだ千世との間にくつろげるような関係を作れていないようだった。

 

そんな緊張感のある夫婦関係から逃れるように、実朝は和田義盛の館に通う。

 

和田の館では、白木の折敷に白い紙を敷いて、炒った大豆っぽいものを盛って、酒の肴にしていたようだ。

 

その折敷は、長火鉢の縁に置かれていて、いかにも素朴な気取らないもてなしのように見えた。

 

和田義盛は、上総介広常が頼朝の挙兵に参戦するときに遅参して、頼朝に帰れと言われた時の話を、そっくりそのまま自分の話にすげ替えて、頼朝の胆力を絶賛しつつ、その凄みを見抜いた自分の眼力をも、盛りに盛って調子良く語っていた。

 

そんなホラ話に付き合わされる場であっても、実朝にとっては、亡き父に思いを馳せつつ、擬似的な家族の団欒に癒されるひとときだったのかもしれない。

 

政子と千世、義時の後妻(悪妻)ののえが、女子会的に集まって雑談をしているシーンでは、高杯に盛られた菓子が印象的だった。

 

確認できたのは、

 

巾着型の菓子

縄を編んだような菓子

棗(推定)

枇杷

草餅っぽいもの

オレンジ色のドライフルーツ

 

まず、巾着型の菓子は、「歓喜団」あるいは「団喜」と言う唐菓子だという。

 

奈良時代に唐から伝来したものだそうで、いまも販売している「亀屋清永」というお店のサイトの記事によると、かなり凝ったレシピのようだ。

 

「清め」の意味を持つ7種類のお香を練り込んだ「こし餡」を、米粉と小麦粉で作った生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じて、上質な胡麻油で揚げてあります。

 

伝来当時は、栗、柿、あんず等の木の実を、かんぞう、あまづら等の薬草で味付けしたらしく、小豆餡を用いるようになったのは徳川中期の後と伝えられています。

 

通年の和菓子1|亀屋清永

 

Amazonで検索してみたら、プライム・ビデオで「清浄歓喜団の秘密」と言う動画コンテンツが見つかった。見てみたいけど、カンテレドーガCHANNELというサービスにも登録しないといけないようなので、保留。

 

 

縄を編んだような形の菓子も唐菓子で、索餅というそうだ。

 

索餅は、「グレーテルのかまど」で取り上げられたこともあるようで、Amazonプライム・ビデオのNHKオンデマンドのリストの中にも「願いをこめて 七夕のさくべい」というサブタイトルを確認できるのだけど、現在は視聴できないようだ。残念。

 

グレーテルのかまど」は、末っ子が小学生のころに時々見ていたので知っていたのだけど、あの番組ですっとぼけたヘンゼル役をしていた青年が、鎌倉殿の13人で北条時房瀬戸康史)であることに、この記事を書いていて初めて気がついた。

 

グレーテルのかまど」の制作チームによる「あの人が愛した、とっておきのスイーツレシピ」という本も出ているようだ。Kindleでチラ見したかったけど、電子本化されていないようだ。

 

 

 

オレンジ色のドライフルーツの正体がわからない。柑橘系かとも思ったけど、ネットでみかけた桃の半生ドライフルーツのほうが似ているようにも思える。

 

 

 

次回はいわゆる牧氏事件のクライマックス、時政の失脚ということで、また荒々しい展開になるのだろうから、歴メシネタはあまり期待しないでおこう。

 

 

 

 

 

ねこたま日記兼ぷちぷち日記(112回目)

こんにちは。

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どうにも体力が戻らなくて、日記更新の頻度が落ちている。

 

具合の悪い時間をやり過ごすのに、ひたすらラノベを読んだりゲームをしたりして耐えているけど、それもできないときは、ただじっとしている。

 

とにかく無理しない。

 

そんな養生の効果が多少はあったのか、腹痛の頻度が少しずつ下がってきている。体感としては、後半月くらい無理せず過ごせば、乗り切れるように思う。

 

体力の回復には、もう少しかかりそうだ。

亭主の仕事帰りの遅い日は、夕食の支度や息子の入浴介助などをフルにやるのだけど、立っていられないほど疲れてしまう。外歩きも、2000歩を超えると、身体の内側からガリガリと削り落とされるような疲弊が始まって、足を動かすのもキツくなる。ゆっくり、戻していくしかない。

 

他の家族も、それぞれにコロナ後遺症っぽいものが残っているようだ。

 

息子は機嫌よく過ごしているけど、お世話になっているヘルパーさんたちに「少し痩せたよね」と言われている。多少、食が細くなっているかもしれない。ほぼ駆逐してきた背中ニキビも、また増加傾向だ。肌の抵抗力が落ち気味なのだろう。

 

長女さんは、デイケアや就労支援施設を休まずにに通ってはいるものの、疲れが残るのか、昼寝をすることが増えている。夜も早めに寝るようになった。お腹の調子が良くないとも言っている。痛みがあるほどではないそうだけど、少し気になる。

 

末っ子は、療養期間終了直後は動悸と立ちくらみが酷かったようだけど、いまは落ち着いているようだ。ただ、疲れやすさは残っているようで、学校から帰るとぐったりしている。入試までに、なんとか立て直してくれるといいのだけど。

 

 

(_ _).。o○

 

コロナ感染のせいでぐだぐだだった今月も、もうすぐ終わる。

 

末っ子に付き合ってドラマや動画をよく見たかわりに、あまりKindle本を読めなかった。読み放題の月謝がもったいないと思うけど、普段、何倍も元を取りすぎているから、トータルでは全く損はしていないと思う。

 

 

ぷちぷち日記(111回目)

この「ぷちぷち日記」は、もともと、新型コロナ後遺症からの脱却と体力回復、うつ病その他の持病の改善を目指して書いていた。

 

後遺症が一段落したせいで気が抜けたのと、夏の暑さにへこたれたのとで、この数ヶ月はサボりがちになっていたのだけど、今月またしてもコロナにやられたせいで、がっくり体力を落としてしまった。

 

2年前のコロナ後と同じような強い疲労感が戻ってきている。

 

10分ほど、外を歩いただけで、身の内をガリガリと削ららていくように消耗して、足を動かすのがつらくなり、目の前が暗くなる。

 

ものすごく、身に覚えのある症状だ。

 

2年前と違うのは、ひどい動悸がないことだ。

スマートウォッチで確認しているけれど、トイレに立っただけで心拍が乱高下するようなことはない。

 

ただ、腹痛が頻繁に起こる。これは以前の後遺症ではなかったことだ。

 

多いと1日に3回以上、胃にギリギリと痛みがきて、腸にも差し込みがくる。冷や汗をびっしょりかくので、痛みがくるたびに着替えが必要なほどだ。

 

腹痛は、コロナ後遺症の症状としてポピュラーなものらしい。

 

食後に痛むことが多いような気がするので。食べる量を少なくして、お腹の負担を軽くするようにしている。

 

コロナ後遺症対策として、私がやることは決まっている。

 

  • 無理すると長引くだけだから、絶対に無理しない。
  • 寝たきりにならず、無理のない範囲で、身体を動かす。
  • 回復に必要な栄養をしっかり摂る。

 

 

前回は症状が治まるまで七ヶ月もかかってしまった。

 

今回は、できれば年内に決着をつけたい。

 

晦日までにはしっかり回復して、きれいに大掃除した部屋で紅白歌合戦を眺めるのだ。

 

 

 

「鎌倉殿の13人」(36)武士の鑑

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第36回「武士の鑑」を視聴した。

 

執権時政(の妻の牧の方)の意向で、謀反の濡れ衣を着せられた畠山重忠は、少ない兵で義時の率いる大軍と死闘を繰り広げ、最後は愛甲季崇(あいこうすえたか)の矢に撃たれて、首を取られたという。

 

吾妻鏡」には、畠山重忠が「梶原景時のように逃げる途中で討たれるのは恥だ」といって、本拠地に戻って兵を整えることをせずに、そのまま戦ったということが書いてあった。

 

 

畠山重忠が討たれたあと、郎従もみな自害したとも書いてあるので、誰が戦の始まる直前の重忠の言葉を伝えたのかという謎は残るものの、畠山重忠についてのそういう美談を「吾妻鏡」に書き残したいという、編者側(北条氏側の)の事情があったのかもしれない。

 

よく言われるようだけど、義時が、父時政を引き摺り下ろして自分が二代目執権になったことを正当化するには、父親のダメっぷりを強調するのが手っ取り早いわけだから、分からない話ではない。

 

でもその義時が畠山討伐の大将軍だったのだし、父親だけに責任をなすりつけるのは無理があるようにも思う。

 

ドラマでは、その無理を合理にするためだろうか、大将軍の義時と重忠による凄惨な決闘シーンが挟まれていた。

 

畠山重忠が戦に不慣れな泰時に襲いかかるふりをして、父親の義時を単騎で誘い出し、そこから二人っきりの決闘となるのだ。

 

大軍を率いていたはずの義時が、いきなり単騎で敵の大将とさしで向き合う場面がある不自然さもさることながら、軍功が恩賞に直結する武士たちが、敵が背中を向けている瞬間になにもせずに見守っている光景も、十分にファンタジックだったと思う。

 

でも、そのファンタジーが挟みこまれたからこそ、納得できる部分もたしかにあった。

 

三浦義村和田義盛に見守られながらの、義時と重忠のタイマンは、手加減なしの死闘であり、どちらも相手を殺す覚悟だったと思うのに、殴り合いを制して刀を手に取った重忠は、義時にとどめを刺さなかった。

 

わざと泰時を狙って見せた畠山重忠の心の中にはに、領地を横取りするために自分に濡れ衣を着せ、息子の重保を騙し討ちで殺した北条への恨みは少なからずあったと思う。

 

けれども、坂東に自分の居場所はないと見限って、武士として潔く死ぬつもりの重忠にとって、私怨などは、もはや取るに足らないものだったのかもしれない。

 

史実においても一族を挙げての徹底抗戦を敢えて選ばず、少数の手勢のみで大軍に抗って滅んでいったという、畠山重忠の心情を、あのタイマンシーンはよく表していたように思われた。

 

逆によく分からないのは、流れでそうなったとはいえ、自らタイマン勝負に持ち込んだ形になった、ドラマの中の義時の心情だ。

 

内々に父時政を排除するところまで意識していたはずの義時には、死ぬつもりなどなかったはずだし、かといって手加減なしのタイマンで重忠に必ず勝てるという確信もなかっただろうに、なぜあの場で全く保身を考えない行動に出たのか。

 

そのことについて、ドラマの義時は何も語らないままだったけど、もしかしたら、勝負に負けたとしても、重忠が自分を殺すことはないと、心のどこかで信じていたのかもしれない。

 

あるいは、たとえ重忠に殺される可能性があったとしても、そこで保身に走る姿を見せていたら、この先に鎌倉を襲うはずの動乱を乗り越えられないという、義時なりの覚悟があったのかもしれない。

 

他の武者たちに見守られて殺し合っていた二人の間にあったのは、坂東や都に充満している政治的な権力争いや騙し合いとは無縁の、純粋な殺意のみであり、その一点で、義時と重忠は信頼に足る敵同士だったとも言える。

 

そして、その姿を見届けた坂東武者たちの心には、のちに義時が執権の座につくことを認める気持ちが芽生えた……かどうかまでは分からないけれども、少なくとも父親の時政との違いは心に焼き付けられたのではないかと思う。

 

(_ _).。o○

 

無実の罪で畠山が滅ぼされたことから、御家人たちの時政への不信感が高まってきているものの、簡単に放逐できるほど、執権時政の力は弱くはなかったようだ。

 

義時はまず、御家人たちの時政不信任の署名を大量に集めた上で、畠山重忠の乱で貢献した御家人へ褒賞を与える役目を時政から取り上げて、尼御台の政子に担わせることを決める。

 

義時にハメられたことを悟った時政は、笑って激怒するものの、さすがに自分に後がないことを悟ったのか、そのまま引き下がる。

 

たぶん次回には、成り行きにブチ切れた牧の方が実朝暗殺未遂事件を引き起こして自壊する流れになのだろうけど、ドラマの義時はそこまでを計算して動いているように見えた。

 

 

(_ _).。o○

 

 

毎回楽しみにしている歴メシネタは、今回は無し。(;_;)

 

畠山重忠と義時の死闘が悲惨すぎて、食欲どころじゃなかったから、仕方がない気もする。

 

開戦前に重忠に会いに行った和田義盛が、重忠に勧められて飲んだものは、酒ではなくて、水だった。もちろん肴もなし。

 

なんとか歴メシにこじつけられるネタはないかと思って探していて、今回、政子にしみじみと愚痴をこぼしていた足立遠元の所領が、武蔵国足立郡(東京都足立区から埼玉県鴻巣市あたり)だったことを知った。

 

鎌倉殿の13人のなかでも格別に影の薄い足立遠元だけれども、所領だった地域には、現代では名物が色々あるようだ。(ネットで調べた)

 

 

東京都足立区……文化フライ

 

東京都板橋区……合格いも(「大学いもの合格屋」というお店の商品らしい)

 

東京都北区……おうじロール(北区王子本町にあるランギャールというお店のロールケーキだそうだ)

 

埼玉県川口市……ぼったら(もんじゃ焼きと区別がつかないほど似ているらしい)

 

埼玉県蕨市……わらびの蕨餅(他の蕨餅とはちょっと違うらしい)

 

埼玉県戸田市……戸田市ソウルフード(市内にソウル物流センターができたらしい)

 

埼玉県さいたま市……くわい焼酎が名物らしい

 

埼玉県上尾市……「上尾串ぎょうざ」というのがご当地グルメらしい

 

埼玉県桶川市……十万石まんじゅう

 

埼玉県北本市……トマト大福、トマト揚げパン、とまとルンルン揚げ餃子、トマト羊羹(トマト推しらしい)

 

埼玉県草加市……草加せんべい

 

埼玉県鴻巣市……川幅うどん、川幅どらやき、川幅ハンバーグ、川幅ラーメン(鴻巣市を流れる荒川の川幅が日本一だかららしい)

 

埼玉県北足立郡伊奈町……さといも、くわい

 

実のところ私も「武蔵国足立郡」の居住歴が結構長かったりするのだけど、上に並べた名物のなかで、実際に食べたことがあるのは「十万石まんじゅう」だけで、他は名前も知らないものがほとんどだった。

 

足立遠元のころから、押し(推し)の弱い地域だったんだろうか…。

 

 

 

 

ねこたま日記

こんにちは。

 

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昨夜は風の音が気になって、寝付きがだいぶ悪かった。

 

いまの空模様は曇りだけれど、南の方がだいぶ明るい。このまま晴れるのかも。

 

(_ _).。o○

 

息子(24歳・重度自閉症)は、今日は久々のショートステイ。朝から気合い十分で出かけていった。

 

長女さんは特に何も予定がない様子。 

末っ子は、本日もzoom授業にしたとのこと。

 

(_ _).。o○

 

 

昨夜の受験日本史対策は、ドラマ一本と、YouTubeの動画を数本。

 

ドラマは「つはもの-ツワモノ」という、NHKオンデマンドに入っている30分ほどの作品。

 

Amazonプライムビデオでの説明文は以下の通り。

 

室町時代終わり頃(1500年代前半)の人の様子を、絵巻や文献を元にビジュアル化した実験的短編。同じ時代の能「正尊」を原作に、現代人がタイムスリップするという形式でストーリー仕立てにしてある。室町時代の様子を文献を元にリアルに映像化したのは初の試み。

 

現代日本人がいきなり室町時代にタイムスリップするお話なのだけど、かなり実験的で抽象的、かつ唐突な展開なので、終始煙に巻かれた感じだった。

 

 

主人公はピアニスト志望の青年なのだけど、コンクール直前に、権威のありそうな先生に演奏をこきおろされて、バーでやけ酒を飲んでいる。

 

その翌日、コンクールに向かうためにスーツケースを持って歩いていると、いきなり馬の頭をかぶった男に捕まって、目の前でニンジンを食べられる。

 

 

馬頭の男によると、主人公は自分の時代とのリンクが弱まっているので、このままだと大変なことになるという。

 

馬頭に危険を避けるためにはバランスを崩すなと激しく忠告されたものの、わけのわからない主人公は、たまたま目の前にあったヤジロベエをテーブルから叩き落とす。

 

 

ヤジロベエがバランスを崩すのと同時に、主人公は室町時代の関東(くわんとう)にタイムスリップし、たまたま出会った武家の男に「大和守(やまとのかみ)」に間違えられ、屋敷に拉致されてしまう……

 

と、ここまでが序盤なのだけど、既に全くわけが分からない。なんでヤジロベエ?

 

作品の元になったらしい能楽の「正尊(しょうぞん)」について調べてみたら、戦国時代に活躍した猿楽師の観世長俊(かんぜながとし)の残した作品だそうで、その観世長俊の別名が「弥次郎(やじろう)」だったらしい。わかるかそんなの!💢

 

「正尊」は、平家滅亡後、頼朝配下の土佐坊正尊が、義経に刺客ではないかと疑われたので、身の潔白を証明するために見事な起請文を書いて読み上げたところ、名文に感動した義経に許され、静御前の舞などで歓待されたという話らしい。

 

「鎌倉殿の13人」でも土佐坊正尊が京都の義経の館を襲撃する話があったけど、起請文など書くヒマもなく終わったと記憶している。

 

話を「ツワモノ」に戻すと、こちらの主人公も刺客と誤解されて、あやうく討ち取られそうになったものの、馬頭の男に言われて名文の起請文をでっち上げ、それでも疑われたので、もはややけくそで、自分のピアノの最大の理解者だった女性を失った苦悩を打ち明けたところ、関東の武士たちの誤解が解けて、もてなされていた。

 

たぶん、主人公の死んだ元カノが、能楽「正尊」での静御前相当なんだとは思うけれども、能楽のほうを知らなければ、全く何も分からない。

 

あと、タイムスリップ先が室町時代になってる理由も分からない。何よりも、主人公がピアニスト志望である理由が、どこにもない。

 

末っ子曰く、

 

NHKは何をやりたかったんだ?」

 

煙に巻かれたままでは落ち着かないので、もう少し分かりやすいものを見ようという話になり、YouTube中田敦彦の動画を探して、近代日本史のものをいくつか続けて見た。

 

【日本史⑨】明治維新!戊辰戦争・西南戦争・そして世界大戦へ - YouTube

 

【日本史⑩】世界大戦の時代へ!日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦 - YouTube

 

なかなか凄い動画だった。

 

何が凄いのかというと、動画に一点集中するのが超絶苦手なADHDの末っ子と私が、内職もせずツッコミも入れずに、ほとんど黙って全部見たことだ。

 

欲を言えば、私たちとしては、もっと細部の情報をぎっちり詰め込んでもらっても良かったのだけど(つまり少しだけ退屈ではあった)、それは自力であとから補えばいいことなので、特に文句はない。

 

今後、明治維新から第二次世界大戦までの日本の歴史を思うたびに、中田敦彦が当時の日本を模してタコ殴りにされている姿を思い出すことだろう。