湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(4月23日)

こんにちは。

 

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YouTubeのショート動画のおすすめに、なぜか予言系が紛れ込むようになった。

 

何月何日に大地震が来るかもしれない。

第三次世界大戦の引き金になる事件が起きるかもしれない。

どこぞに小惑星が墜落して日本が大津波に飲まれるかもしれない。

 

そんな警告を大きな活字で織り込みながら、淡々と滅びを語る動画だ。

 

終末思想というのは、いつの時代にも多くの地域で語られてきているもののようだ。仏教にもあるし、新約聖書にも黙示録がある。

 

現実に起きている圧政や戦争は、どんなに恐ろしい状況であっても距離が遠ければ他人事でしかないのに、「予言」として語られる未来の大災害は、自分が当事者になることを前提として恐怖を煽ってくる。

 

ほんとうに恐ろしいのは、不確実な(というかほとんど外れる)予言よりも、いかに遠かろうとも、いままさに燃え上がっている現実のはずなのに。人の心の中では、物事と自分との距離感は、たやすく書き換えられてしまうものらしい。

 

そういえば、昨日大地震が起きるという予言動画もあったようだけど(タイトルしか見ていない)、幸いなことに外れたようだ。

 

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名古屋市長が、 「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言したそうだ。

 

河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も [愛知県]:朝日新聞デジタル

 

ウクライナパレスチナの現状を背景としての発言らしい。

 

この発言のまずいところは、戦争による死を、悲惨で痛ましいものであるとする以前に、「高度な道徳的行為」としているところだろうか。

 

政治を行う側の人が、戦争の惨さや痛ましさ、理不尽さに目隠しをして、自己犠牲の崇高さを前面に押し出す発言をしていたら、胡散臭いと感じるのが普通だろう。

 

戦国時代の武士とか戦前の昭和の日本人だったら違ったかもしれないけど、令和の日本人のほとんどは、英霊になってどこぞに祀られることを人生の誉れとは思わないだろう。

 

現実に軍備があり、軍事的に対立する可能性がある他国があるなら、否応なしに国家間の暴力に巻き込まれて死ぬ可能性は、残念だけど、誰にでもある。

 

だったら戦死を崇高に語る前に、なぜ自国を巻き込むような戦争が起きる可能性があるのか、どうしたら確実に回避できるのかを、それこそ命がけで考えて語って、有言実行してくれたらいいのに。

 

というか、東南海地震がいつ来てもおかしくないと騒いでいるような地震大国の日本に、戦争なんかやっている余裕なんてないと思う。開戦した途端に関東大震災とか、目も当てられない。実際、前の東南海地震は、第二次世界大戦中に立て続けに起きて、愛知県の三河でも多数の死傷者が出ている。なんでそこから目を背けるのか、分からない。

 

 

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あまりにも運動量が少ない(動こうと言うモチベが枯渇している)ので、エクササイズ関連のアプリの導入を思い立ったのだけど、サブスクの料金が高いので、思いとどまっている。

 

YouTubeのエクササイズ動画を見ながら、また頑張ろうか。でも、どうしても続かないのよね…。