kindle unlimited(読み放題)のカタログを眺めていたら、面白そうなマンガがあった。
さっそくダウンロードして、最初の2話だけ読んでみた。
鹿の子という女子高生の父親の視点で、娘の蔵書について語るという、奇妙なマンガだ。
よく他人の本棚を見るのはその人のプロファイリングになるという
娘のことを知る手がかりになるかもしれない
全く口をきいてくれない娘の心を知りたくて、父親は娘の留守中に部屋に侵入し、本棚の観察を試みる。
ところが、本棚にぎっしり詰まった本には、全部カバーがかけてあって、タイトルも分からない。
速読が特技の父親は、一冊だけ抜き取って、その場で「女に火をつける男」という小説を読み始めるのだけど……
父親の脳内に展開される小説のイメージは、救いを排除してグロさを極めた暗黒の世界だった。
……えらいの読んでるな鹿の子ちゃん
いや私も昔
筒井康隆とか
式貴士とか
変な小説読み漁ったけどさ!
2話目で父親が読んだのは、「帝都正樹 奇想短編集」という本に収録されている「ミニモン」という小説だった。
ミニモンという、ポケモンみたいな生物を虐待して瀕死に追い込んだ少女が、深く後悔して、
「ユルシテ ユルシテ ユルジデェーッ!」
と叫んだところ、口のきけないミニモンは、鉛筆をくわえて
ユルス
と書いた。
許されたと思って喜ぶ少女に、ミニモンを治療した医者が告げる。
「コロス と書こうとして崩れたようにも見えないかね」
読み終わった父親は、心の中で叫んだ。
ポ○モン風の世界観で江戸川乱歩の芋虫的な話にしやがった!!
江戸川乱歩の「芋虫」は、未読だった。
どうしても読みたくなって、kindleストアで検索したら、創元推理文庫版が読み放題だったので、さっそくダウンロードして「芋虫」だけ読了。
「芋虫」は昭和4年(1929年)に、「新青年」という雑誌に掲載された作品だという。
もともとは雑誌「改造」のために書かれた作品だったけれども、内容が「反戦的」であったために、当局の検閲を恐れた編集者が掲載を拒否し、「新青年」でも伏せ字まみれで掲載されたという。
この作品を妻に読ませたところ、「いやらしい」と言われ、芸妓たちには「ごはんがいただけません」と苦情を言われたそうだ。
(以上、ウィキペディアの「芋虫」のページによる)。
読後、乱歩の妻と芸妓たちの気持ちがとてもよく理解できた。
というか、乱歩の妻、こんなのよく読んだなと思う。
芸妓たちは、さぞかしダイエットできたことだろう。
(´・ω・`)
「芋虫」の主人公の時子は、戦争で四肢と聴覚を失い、顔面のほとんどを破壊される重傷を負った夫と二人で暮らしていた。
当時としては驚異的な医療技術で命を救われた夫は、金鵄勲章(←これを一発で変換するiPhoneすごい)を与えられ、世間では武勲をもてはやされたものの、後に残ったのはわずかな年金だけだった。
救いの見えない暮らしのなかで、時子は、口のきけない肉塊となった夫に対する嗜虐に目覚め、思うさま嬲る行為に耽溺するものの、そんな自分を深く嫌悪していた。
夫は時子に依存していたけれども、妻の心が壊れていくのを感じたのか、破壊されずに残っていた目に、時子には理解できない感情を浮かべるようになる。発作的に時子はその目を自分の手で潰し、失明させてしまう。
視力を失った夫の胸に、時子は何度も「ユルシテ」と書き、懸命に介抱する。
けれども夫は、時子がそばを離れたすきに、芋虫のように這って家の外に出て、庭の古井戸に落ちて死ぬ。
夫の枕元の柱には、「ユルス」という文字が書き残されていた。
……
時子の夫は、たぶん日本海の向こうの大陸で何らかの武勲をあげると同時に負傷したのだと思う。
けれども、いつごろの、どの戦争だったのかは、作中では書かれていない。
須永の生きたむくろが家にはこばれると、ほとんど同時くらいに、彼の四肢の代償として、金鵄勲章が授けられた。時子が不具者の介抱に涙を流している時、世の中は凱旋祝いで大騒ぎをやっていた。
江戸川乱歩「芋虫」
日露戦争は1904年から1905年。
「凱旋祝い」のイメージにはぴったりのように思うし、この戦争で金鵄勲章を貰った軍人も多いようだけれども、四肢を失うほどの重傷者の救命に成功するような医療技術があったがどうかが気になる。
近代的な輸血方法が日本に入ってきたのは1919年だというから、ちょっと無理かもしれない。
シベリア出兵が1918年から1922年まで。
負傷者はとても多かったらしいけれど、国益をもたらさず、史上稀に見る失敗とも言われる戦いだったようなので、「凱旋」には当たらない気がする。
張作霖爆殺事件が1928年に起きて、そのあと関東軍がたくさん戦うけれども、主な戦績は「芋虫」の発表後となるようだ……
もしかすると、乱歩は歴史上の特定の戦争を想定せずに「芋虫」を書いたのかもしれない。
いずれにせよ、歴史おんちで近代史無知の私には、この探索は荷が重い。のちの課題ということにしておこう。
それにしても、江戸川乱歩は「現代」の作家だと思っていたけど、「芋虫」は100年近くも前の作品だ。
100年前は「現代」とは言い難い。
明治元年は1868年。
自分の子どもの頃、「100年前」といえば、まだ江戸時代の終わりごろに触っている感じだったから、とてもじゃないけど「現代」の範囲内とは思えなかった。
この間、内田魯庵の「大杉の最後」を読んだとき、関東大震災が1923年9月だったと確認した。この地震が起きてからも、もうすぐ100年になる。遠い。
そういえば先日、関東大震災後に耐震を意識して建てられたという「九段坂ビル」にまつわる短編マンガを集めた本をを先日読んだ。
震災の復興助成をうけて、1927年に竣工したという九段下ビルは、空襲とバブル期の地上げを生き延びたものの、東日本大震災後に劣化が問題となり、2011年に解体されたという。
それにしても、日本って不思議な国だと思う。
日露戦争で大変なお金がかかったあとに、震災の復興して、隣の大陸に鉄道引きまくって、戦争に戦争を重ねて……それでよく1945年以前に詰まなかったと思うのは、社会おんちだからだろうか。
あ、でも日本以外の国々も20世紀はわりとそんな感じだったのか。(大雑把な把握)
……なんていう調子で寄り道しまくるから、ラノベ以外の本は、なかなか読み終わらないのだった。
「本田鹿の子の本棚」、いつ読了できるだろう。