湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の一冊「私の百人一首」白州正子

お気に入り本棚の本を順番に書いていく日記の1回目。

 

白洲正子「私の百人一首

 

昭和51年に出た本で、私の持っているのは平成11年の第13刷。

 

ほとんど読めていない。

買ったのが平成11年だとすると、長女さんが3歳、息子が2歳。私はまだ三十代。

 

ただでさえ大変な年子の育児なのに、長女さんが難病で入退院を繰り返し、息子が重度の発達障害と診断されたものだから、毎日が戦争みたいな状況だった。

 

どういう経緯で買ったのかは全く覚えていないけど、そんな育児戦争の真っ最中に、まだ閉店前だった池袋西武のリブロに何度か足を運んだ記憶がある。難病や重度障害児の療育についての本を探すという名目で行かせてもらったのだけれども、目についた文学書などもどっさり買い込んで帰った覚えがある。

 

こういう本をじっくり読める生活じゃないと分かっていても、無意識に心の逃げ場を求めて、買ってしまったのだろう。

 

そんな本を、還暦間近になってようやく手に取っている。

 

今日は百人一首の九十三番目の「鎌倉右大臣」(源実朝)の歌の章を読んでみた。

 

 

世の中は つねにもがもな なぎさ漕ぐ

あまの小舟の 綱手かなしも

 

15歳で藤原定家の門に入り、師に大きな期待を寄せられた実朝は、22歳で歌を詠むのをやめてしまったという。

 

実朝は1192年の生まれだから22歳というと1214年前後だろうか。

 

和田義盛が謀反をおこして敗死する和田合戦が1213年に起こっていて、その数ヶ月後には畠山重忠の息子の重慶が謀反の疑いで殺害されるという事件が起きている。治承四年の頼朝挙兵のときから従っていた家が次々と滅びていくさまを見ていた実朝の歌のなかには、まるで辞世の句のように思えるものがあると、白州正子氏は書いていた。

 

そういう実朝の人生の背景を思いながら、百人一首の「世の中は常にもがもな」の歌を読むと、先行きの見えない人生への静かな諦めが伝わってくるような気がしてくる。

 

白洲正子氏は歌の現代語訳を極力書かない方針だそうだけれども、実朝の歌には大体の意味さえ述べることが不可能に思う、としている。現代語訳や意味解釈では、歌として完成されている世界が歪み損なわれて、別物になるということだろうか。

 

だけど粗雑で無粋な読者としては、あえて自己流の解釈など書いてみたくなる。

 

世の中は常にもがもな。

 

いつまでも変わらない、安らかな世であってほしい。親しい人との繋がりも変わらずにいてほしい。

 

けれどもそれらは容赦なく壊されて、失われていってしまう。

 

先の全く見えない人生に漕ぎ出していく自分にも、あの渚の小舟のように引いて進んでくれる綱手があれば、どんなに救われることか。それがたとえ、この世の外へ向かうものであったとしても。

 

 

(_ _).。o○

 

うちにあるのは新潮選書だけど、同じ作品が文庫にもなっているようだ。

 

 

文庫本は649円。

中古の最安値は現時点で43円……。