湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(2月26日)

こんにちは。

 

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愛媛の方で少し大きな地震があったらしい。

 

亭主と末っ子が電車で関西に向かっている最中だったので心配したけど、最大で震度4、津波もないとのことで、とりあえず安堵した。

 

大きな地震の前触れでないといいけど。

いつか来るとしても、まだ寒い今でなくていい。

 

(_ _).。o○

 

この1週間の栄養状態。

 

オレンジ色は、プロテインサプリメントで補った分になる。

 

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スリムアップスリムを飲まなければ、タンパク質は全く足りていないことになる。

 

頑張って肉魚豆を食べないと。

 

 


しかし、食が細くてエネルギーも慢性的に足りていないのに、全く痩せないのは何故なのか。

 

まさかとは思うけど、タンパク質が足りなくて、浮腫んでいるのか?

 

でも血液検査で、アルブミンが低いと言われたことはない。

 

検査項目に入ってないのだろうか。

ありそうな気がする。

 

いずれにせよ、タンパク質を食べ足りていないのは確かだから、しっかり摂るしかなさそう。

 

 

(_ _).。o○

 

昨日の日曜礼拝で教わった、マルコによる福音書の「やもめの献金」の話の少しあとに、イエスが終末の兆しについて語る場面がある。

 

弟子たちが、神殿の素晴らしさに感嘆しているのを聞いて、イエスはその建築物が跡形もなく崩壊するだろうと言う。

 

弟子たちが驚いて、いつそれが起こるのかと問う。

 

それに対するイエスの答えは、おそらくはイエスの死後のユダヤ戦争や、エルサレム陥落を示唆しているようだけれど、もしかしたら二千年後の現代の話じゃないのかとヒヤリとするような、いろいろと思い当たる言葉が連なっている。

 

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

 

民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。

 

マルコによる福音書 第13章 7-8節

 

憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら──読者は悟れ──、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

 

屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。

 

それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 このことが冬に起こらないように、祈りなさい。 それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである

 

マルコによる福音書 第13章 14-19節

 

よく知らなかったのだけど、イスラエルは日本と同じように、大地震に見舞われる国だ。

 

新約聖書に近い時代だと、紀元前31年、アラブとの大戦争という国難の真っ最中に、巨大地震が起きて、三万人が死亡したのだという。

 

その大地震は、イエスが生まれる前、ヘロデ王がローマに接近してユダヤの王となった数年後に起きている。

 

具体的な被害は分からないけれど、死者の多くは家屋の倒壊によるものだったのではないかと思う。神殿のような石造りの建造物は、火災には強そうだけど、崩れたら中にいる人は助かりそうにない。

 

上のイエスの言葉も、地震を示唆しているように思える。屋上からおりるな、家に戻るなとあるのは、家屋の倒壊に巻き込まれないようにとの配慮ではないだろうか。山に登れとあるのは、津波の被害の回避を促す言葉のようだ。

 

イスラエル津波が来たことがあるのかどうかは分からない(ざっと検索しても見つからない)けど、昨年二月に起きた、トルコ・シリア大地震では、キプロスとトルコ沿岸で小さな海面変動が観測されたという。

 

世界地図を眺めてみて、地中海のご近所であるトルコやキプロス津波が来るなら、イスラエルの沿岸に来ることもあり得るだろうと大雑把に考えたけど、どうだろう。

 

「冬に起こらないように」祈ったほうがいいような、「今後も決してないほどの苦難」。

 

東日本大震災と、元日の石川の大地震を知っている日本人なら、誰だって「地震だよなあ」と思うだろう。

 

地震と戦争の組み合わせは、第二次世界大戦末期の日本でも起きている。

 

1943年、鳥取地震

1944年、昭和東南海地震

1945年、三河地震

1946年、昭和南地震

 

戦争で打ちのめされている最中に、四年連続で巨大地震に襲われるとか、昭和の日本、どれだけ運がなかったのか。

 

見方を変えれば、そのとんでもない大災害と大損害が「産みの苦しみ」として働いて、いまの日本があると言えないこともないけれども、当事者ならそんなことは絶対に言えない。

 

 

 

エスは、何を予見して、上のような言葉を残したのだろう。

 

 

 

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