湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(2月25日)

こんちには。

 

f:id:puyomari1029:20240225125808j:image

 

今日も寒い。

小雨が降っていて、外の気温は5度。

 

(_ _).。o○

 

朝、なかなか起きない末っ子を叩き起こして、教会の日曜礼拝へ行ってきた。

 

今日のお話は、マルコによる福音書にある、「やもめの献金」だった。

 

エスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

 

ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。

 

「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。

 

マルコによる福音書 第12章 41-44節

 

この時代、神殿には十三個もの賽銭箱が置かれていたそうで、箱ごとに、献金されたお金の使い道が、定められていたのだとか。

 

やもめが献金したレプトン銅貨2枚は、いまの日本円に換算すると160円ほどの価値だったという。

 

二千年前に、夫を失ったユダヤ人女性が、どうやって生活費を得ていたのかは分からないけれど、一日の生活費が160円ほどだとするなら、夫から受け継いだ財も、母を養ってくれるような息子もおらず、ほとんど物乞いに近い状態だったのかもしれない。

 

そんな貧しく苦しい暮らしにも関わらず、やもめ女性が生活費全額を賽銭箱に入れたのは、信仰の深さによるものだという。それは信仰による自己犠牲ではなく、「お金がなくても、神様が必ずなんとかしてくれるから大丈夫」という、絶対的な信頼に基づく行動なのだという。

 

礼拝のときに必ずする「主の祈り」にも、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」とある。信じて祈れば、一日を暮らしていけるのだから、不安に思うことはない……キリスト教の信仰の基本が、そこにあると私は思っている。

 

「日用の糧」という言葉から即座に連想するのは、災害被災者と、難民の暮らしだ。

 

国連UNHCR協会によると、2022年に戦争や迫害などで家を追われた人は、全世界で1億840万人にも登るのだという。

 

そのうち難民と呼ばれる人は3530万人で、その76パーセントは中低所得国に受け入れられているという。

 

難民の出身国は、上位から順に、

  1. シリア
  2. ウクライナ
  3. アフガニスタン
  4. ベネズエラ
  5. 南スーダン
  6. ミャンマー
  7. コンゴ
  8. スーダン
  9. ソマリア
  10. 中央アフリカ共和国

 

…とのこと(2022年)。

 

このうち、ウクライナベネズエラキリスト教圏で、コンゴは八割、南スーダンが六割ほど、中央アフリカで五割ほどが、キリスト教徒なのだという。

 

シリア、アフガニスタン南スーダンソマリアイスラム教圏。

 

ミャンマーは仏教国。

 

これを書きながら調べていて初めて知ったのだけど、アフリカ大陸は、大雑把に分けて、北緯10度線を境目にして、北側がイスラム教圏、南側がキリスト教圏になっているらしい。

 

スーダンイスラム教で南スーダンキリスト教なのだけど、二国の国境線は北緯10度あたりにあるようだ。

 

なんで北緯10度が宗教圏の境目になっているのかは、ちょっと検索したけど、よく分からない。植民地時代の宗主国の影響とか、使用言語や公用語の影響とか、イスラム教圏との距離の遠近とか……他にもいろいろありそうな気がする。

 

キリスト教ユダヤ教イスラム教も、アブラハムが信じた一神教をルーツとしている。だから、福音書のやもめが生活費全額を献金するほど信じていた神と、上に書いた国々の難民の多くが信仰する神は、同じということになる。

 

日用の糧、行き渡っているのだろうか。

 

(_ _).。o○