こんちには。
今日も寒い。
小雨が降っていて、外の気温は5度。
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朝、なかなか起きない末っ子を叩き起こして、教会の日曜礼拝へ行ってきた。
今日のお話は、マルコによる福音書にある、「やもめの献金」だった。
イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。
マルコによる福音書 第12章 41-44節
この時代、神殿には十三個もの賽銭箱が置かれていたそうで、箱ごとに、献金されたお金の使い道が、定められていたのだとか。
やもめが献金したレプトン銅貨2枚は、いまの日本円に換算すると160円ほどの価値だったという。
二千年前に、夫を失ったユダヤ人女性が、どうやって生活費を得ていたのかは分からないけれど、一日の生活費が160円ほどだとするなら、夫から受け継いだ財も、母を養ってくれるような息子もおらず、ほとんど物乞いに近い状態だったのかもしれない。
そんな貧しく苦しい暮らしにも関わらず、やもめ女性が生活費全額を賽銭箱に入れたのは、信仰の深さによるものだという。それは信仰による自己犠牲ではなく、「お金がなくても、神様が必ずなんとかしてくれるから大丈夫」という、絶対的な信頼に基づく行動なのだという。
礼拝のときに必ずする「主の祈り」にも、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」とある。信じて祈れば、一日を暮らしていけるのだから、不安に思うことはない……キリスト教の信仰の基本が、そこにあると私は思っている。
「日用の糧」という言葉から即座に連想するのは、災害被災者と、難民の暮らしだ。
国連UNHCR協会によると、2022年に戦争や迫害などで家を追われた人は、全世界で1億840万人にも登るのだという。
そのうち難民と呼ばれる人は3530万人で、その76パーセントは中低所得国に受け入れられているという。
難民の出身国は、上位から順に、
…とのこと(2022年)。
このうち、ウクライナとベネズエラはキリスト教圏で、コンゴは八割、南スーダンが六割ほど、中央アフリカで五割ほどが、キリスト教徒なのだという。
シリア、アフガニスタン、南スーダン、ソマリアはイスラム教圏。
ミャンマーは仏教国。
これを書きながら調べていて初めて知ったのだけど、アフリカ大陸は、大雑把に分けて、北緯10度線を境目にして、北側がイスラム教圏、南側がキリスト教圏になっているらしい。
スーダンがイスラム教で南スーダンはキリスト教なのだけど、二国の国境線は北緯10度あたりにあるようだ。
なんで北緯10度が宗教圏の境目になっているのかは、ちょっと検索したけど、よく分からない。植民地時代の宗主国の影響とか、使用言語や公用語の影響とか、イスラム教圏との距離の遠近とか……他にもいろいろありそうな気がする。
キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、アブラハムが信じた一神教をルーツとしている。だから、福音書のやもめが生活費全額を献金するほど信じていた神と、上に書いた国々の難民の多くが信仰する神は、同じということになる。
日用の糧、行き渡っているのだろうか。
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