湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「あつ森」の書斎・他

こんにちは。

 

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トタケケさんライブを達成して以来、目的を見失って停滞気味だった「あつ森」だけど、ふと思いついて、亭主の書斎を再現することにしたら、俄然、気分が盛り上がってきた。

 

亭主の書斎は、我が家に残された最後の魔窟である。足の踏み場はほぼなく、ドアからデスクまで獣道より歩行困難な経路があるだけ。壁4面のうち2面は書架で埋まり、床には得体の知れない物品が積み上がる。ウォークインクローゼットは物が充満しすぎてゲロ吐き続けている状態で扉が閉まらなくなっている。ステキな出窓も書類満載、結露するためときどきカビが生えている。

 

かつて我が家には、人外魔境とも呼ばれた「書庫」もあったが、長女さんの自室を作るために一念発起して私の蔵書を数千冊処分して、物も捨てまくり、なんとか人の住める部屋にした。

 

亭主の「書斎」を再現して、そのとなりには、かつて我が家にあった「書庫」の進化版を作りたい。

 

……三年くらいかかりそうだけど。

 

 

 

今日の健康観察日記

 

高血圧のせいなのか何なのか、とにかく息苦しい日が続く。

 

起きていても寝ていても苦しいので、なんとかしたいと思って、昨日の夜、亭主に教えてもらった鎖骨回し体操をしてみた。片手で鎖骨のあたりを軽く抑えて、もう片方の腕をぐるぐる回すだけである。これが、かなり効いた。

 

それと、座ったまま、両腕を前後に振る体操もしてみた。これも効いた。

 

続けよう。

 

 

カナンの女

 

 

聖書を読んでいて、どうにも分からないと感じる時は、たいてい、時代背景や文化的な状況についての知識が足りない時のような気がする。

 

以下に引用する、新約聖書のマタイによる福音書の、「カナンの女」とイエス・キリストとのやりとりでも、異教徒の女性に対するイエスの底意地の悪い言動に、これまでずっと強い違和感を覚えていた。相手の信仰の深さを試すにしても、「犬にやる餌はない」みたいなことを言うのは、あんまりじゃないかと思ったのだ。

 

以下、wikisourceから引用。

 

マタイによる福音書 第15章 22-28節


すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。


しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。


するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。


しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。


エスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。


すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。


そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。

 

 

私はずっと、この「カナンの女」と言われる人物が、みすぼらしい身なりの貧しい女性だと思い込んでいた。イエス・キリストに病を治してもらうのは、社会の中で顧みられることのないような貧しい人々だというイメージがあったからだ。

 

でも、ふと思いついて、「カナン人」と言われる人々について検索してみたら、元々はフェニキア人ではないかという説があった。

 

フェニキア人といえば、地中海あたりで広く交易を行い、アルファベットなど、さまざまな文化を伝えた人々である。また、ウィキペディアの記事によれば、フェニキア人はユダヤ人と混じり合って暮らし、婚姻関係を結ぶことも多かったという。

 

また、旧約聖書では、カナン人というと、ほぼ商人のことであるという記事もあった。今度、kindle版の聖書で検索してみよう。

 

イエス・キリストの時代のフェニキア人・カナン人が、どんな様子だったかは分からないけれども、困窮した貧しい異民族という先入観は捨てたほうがよさそうだ。

 

エスにすがりついて娘の救済を願った「カナンの女」も、もしかしたら、裕福な商家の夫人だったのではないか。

 

普段ならイエスの元に寄り付きもしない異教徒の富裕層の女性が、困ったときだけ都合よくご利益を得ようとしてすがりついてきたように見えたから、弟子たちも、無情に彼女を追い払おうとしたのではなかろうか。

 

そう考えると、イエス・キリストの冷淡な態度も理解できる気がする。「カナンの女」は、娘の命を救ってもらうために、自分のことを餌をねだる「子犬」と言って蔑む相手に向かって、立場やプライドを捨ててなりふり構わず願うことができるかどうかを、その場で試されたのだろう。そして、それができたから、「あなたの信仰は見上げたものである」と賞賛されたのだろう。「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」という言葉が、同じ「マタイによる福音書」に出てくるけれど、「カナンの女」は、針の穴を通って見せたラクダよりも稀有な存在だったのかもしれない。

 

 

 

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