湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ニュース

こんにちは。

f:id:puyomari1029:20200205144954j:image

 

数ヶ月ぶりに、美容院でカットしてもらってきた。

 

切ってもらっている間、お店に流れていたラジオでニュースを聞いていた。

 

相模原の事件の公判があったらしい。ある被害者の親族が、容疑者に、家族が亡くなるときの詳しい様子を尋ねたり、障害のある家族とささやかな幸せを感じながら暮らしてきたという思いを伝えたりしたものの、容疑者が自分の行いを是とする気持ちに揺らぎはなかったようだ。

 

そんな報道を聞きながら、聖書のなかで、イエス・キリストが、自分を裏切ることになるユダについて、生まれないほうが彼のためにはよかった、と語っている場面のあることを思い出していた。

 

かけがえのない存在を死に追いやったという意味では、キリスト教の世界のなかでのユダという人の罪は計り知れない。けれども、イエスが十字架にかけられるということは、イエスにとっては預言の現実化であり、既定路線だったとこも聖書では語られていたはずで、もし彼がイエスを売るという裏切りを行わなかったら、預言は成就しなかったかもしれないのだ。そういう意味では、ユダの行いは、その後2000年にわたって続いて、世界中の多くの人の支えとなった信仰にとって、なくてはならないものだったということにもなる。

 

ろくでもない悲惨な事件というのは人間の社会には尽きることなく起きるものだし、同じようなことが何度でも繰り返されるものだけれども、そういうろくでもない悲惨な事件を、その後に続く歴史のなかで、幸福で望ましい結果につながるものとすることも、可能なはずだと思う。

 

相模原の事件のあの容疑者は、彼自身のためには生まれてこないほうがよかったのかもしれないが、彼がやってしまったことと、犠牲になってしまった方々の存在や、苦しみを受けてしまった方々の思いは、決して無駄にはならないはずた。

 

 

重い障害のある家族とともに生きる暮らしから得られるものは計り知れない。

 

重度の知的障害のある息子のおかげで、私はどれほどのことに気づかされ、思いもかけない方向から、どれほど助けられたかわからない。

 

 

そろそろ息子がショートステイから帰る頃だ。迎えに出なくては。