百首歌に
はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける
(はかなくて すぎにしかたを かぞうれば はなにものおもう はるぞへにける)
「新古今和歌集」 巻第二 春下 101
【語釈】
- はかなし…あっけない。なんということもない。たよりない。
式子内親王は、幼少期から十年ほども、賀茂神社の斎院として、俗世を離れて過ごしている。
その後は、叔母である八条院暲子内親王の元に身を寄せていたものの、叔母と姪を呪詛したなどという疑いをかけられ、同居を解消。
父の後白河院から相続した屋敷は、関白の九条兼実に横領されていて、住むことができなかったという。
さらに、後白河院の霊のお告げを騙った蔵人大夫の事件に巻き込まれて、危うく都から追い出されそうになったりもしたようだ。(以上、Wikipediaの記事より)。
「はかなくて過ぎにしかた」(どうということもなく過ぎていった過去)という言葉に込められた彼女の思いは、察するに余りある。
「むなしく過ぎた年月を数えていたら、花を眺めて物思う春が過ぎ去っていた」
どうも式子内親王は、春に「花に物思う」ことなく、「はかなくて過ぎにしかたを数」えていたらしい。
……
本多平八郎による英訳も見てみる。
No. 101
When I look back upon the past
gone without return,
the springs I spent were all concerned
about the cherry trees abloom.
Princess Shikishi
「THE SHIN KOKINSHU 英訳新古今集」
本田平八郎 北星堂 昭和45年
【語釈】
- be concern about …懸念する。
- abloom…花が咲いて。
- without return …取り返せない、元に戻せない、返却不可。
英訳では、花に物思うのは「春」であって、「わたし」ではないとされている。
元の歌でも、歌人が意識の焦点を当てているのは「はかなくて過ぎにしかた」であり、桜ではない。
それにしても使われている言葉は平易でも、訳すのが意外に難しい。
春が「the springs」と複数形になっているので、「花に物思ふ春」は一年きりのことではなく、多年に渡るものであるということになる。その意を汲んで訳すと…
「私が(これまで何度も)過ごしてきた春は、すべて満開の桜の木を心配していました」
となるのだけど、そのままだと、前半の、
「When I look back upon the past gone without return」
とのつながりが悪く、おさまりがよろしくない。
少し捻ってみる。
【訳】
私が取り返しのつかない過去を振り返ることに春を費やしている時…
春は、いつだって咲き乱れる桜の花のことばかりを気にかけていた。
…
英訳も踏まえて、意訳を作ってみた。
【怪しい意訳】
今年もまた桜が咲いたと思ったら、もう散り始めてる。
なにもかもがあっけなくて、笑っちゃいそうになるのよね。
それにしてもなんにもない、虚な人生よね。
普通の人は、この時期は桜を眺めて恋の物思いなんかに耽るんでしょうけど。
私の人生、
恋なし。
結婚もなし。
人に取られて家もなし。
だいたい兼実くんてば、性格悪過ぎ。
パパが遺してくれたマンション、勝手に横取りするとか、ありえなくない?
他にもいろいろあったわねえ。
呪ったとかいう変な理由で叔母の家を追い出された時は、呆れてあいた口が塞がらなかったわ。どうせ遺産相続関係で邪魔だったんでしょうけど、それにしてもねえ。
でもまあ、なんとかなるものよね。
兼実くんも関白クビになって、家返してくれたしね。歌人としての彼は嫌いじゃないわ。定家くんたちのパトロンだしね。
ふふふ、こうして桜の散ってるのを眺めてると、なんだか、ケセラセラ〜って歌いたくなるわ。意味わかんないけど。
……
英訳をAIにイラスト化してもらったら、こうなった。
本多訳の英文は、このようなイメージになるらしい。
英語圏の方々の感想が欲しいところだ。