昨日、東田直樹さんの本を買いにでかけたけれど、目当ての著書「東田くん、どう思う?」は、残念ながら書店に在庫がなかった。
書店の在庫検索システムでは「在庫僅少」と表示されていたけれど、私が行く直前に、買われてしまったらしい。
取り寄せをお願いしたら、二日で届くとのことだった。今週中には入手できる。楽しみだ。
いまは、「跳びはねる思考」(角川文庫)を読んでいる。
跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること (角川文庫)
- 作者: 東田直樹
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2018/06/15
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
苦しくてたまらなくなると、空を見上げます。
目に飛び込んでくるのは、抜けるような青空と白い雲です。見ている僕はひとりぼっちなのに、世界中の人とつながっている気分になります。
自然はどんな時も、人々に平等です。そのことが僕の心を慰めてくれるのです。
東田直樹「跳びはねる思考」(角川文庫)
この一節を読んで思い出したのは、教会の日曜学校で習った、「マタイによる福音書」のなかの、イエスの言葉である。
『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
マタイによる福音書(口語訳) 5章43-45節 WIKISOUCEより
キリスト教も含めて、多くの宗教は、人を分け隔てし、差別する道具の一つにされてしまうことが多い。
そもそも人間の脳は、「仲間意識」と「排他感情」で強い快感を得る仕組みになっているのだというから、信仰や信念に限らず、特定の属性をを共有するグループに所属すれば、どうしたって差別や排他は行われてしまうということになる。
思えばイエスという方は、同時代の社会に蔓延していた差別や排他感情の生け贄として、十字架につけられてしまったようでもある。
現代の豊かな社会のなかにあっても、いわれのない差別をうけたり、無理解で排他的なまなざしをあびてしまう障害者もまた、十字架を押しつけられているようなものだろう。
自然は、そんな人間の脳内の差別の仕組みなどとは無関係に、全ての人にやさしく、また厳しい存在である。
そんなことを思いながら、東田直樹さんの言葉を読むと、どうしようもなく悲しくなってくる。
自閉症の方々が、社会のなかにいて「苦しくてたまらなくなる」ような時が、すこしでも、減っていきますように。