入道前関白、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに、時鳥歌
皇太后宮大夫俊成
むかし思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山ほとぎす
(むかしおもう くさのいおりの よのあめに なみだなそえそ やまほととぎす)
新古今和歌集 巻第三 夏歌 201
*皇太后宮大夫俊成……藤原俊成(ふじわらのとしなり・しゅんぜい)。九条兼実の歌壇の師として迎えられ、右大臣家百首(治承二年・1178年)などを詠進する。後白河院の院宣で「千載和歌集」を編纂。
*入道前関白……九条兼実。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ココリコの田中直樹が演じていた(ということに、だいぶ後になって気づいた)。「愚菅抄」の著者である慈円の兄(「鎌倉殿」では山寺宏一が演じていた)。藤原俊成、定家親子の庇護者でもあったらしい。
*涙な添へそ……涙を添えないでくれ。
*ほととぎす……五月雨の季節に鳴く。
*夜の雨……ほととぎすが鳴く季節なので、梅雨ということになる。
蘭省の花の時の錦帳の下 廬山の雨の夜の草庵の中
【訳】
(今頃都のあなたたちは宮中の)尚書省の(豪華な)錦の帳(とばり)のもとで宿直していることだろう。(江州に左遷された私は)廬山の雨降る夜に、ただ独り草庵の中で過ごしている。
(角川ソフィア文庫版から引用)
*尚書省……唐の行政機関。宮城のほぼ中央にあったらしい。
*錦帳……宿直様にしつられられた錦織の帳「とばり)。
ただ、この歌を詠む二年前に、俊成は咳の出る病気のために、職を辞して出家しているので、「むかし思ふ」という思いには、実感が込められていたのかもしれない。
【蛇足つきの意訳】
山の中の草庵に隠棲し、思うのは、華やかなりし昔のこと…
ホトトギスよ、五月雨の降る夜に、これ以上、私を泣かせてくれるな。
……
なんかね、私の人生、いろいろあり過ぎだと思うのよ。
若いころは、頑張っても頑張っても、ぜんぜん出世できなくて、でも歌だけは認められて、時の帝の和歌サロンで名を上げたりしてたけど、その帝、私の歌を好んで下さった崇徳院様は、讃岐に流されて怨霊化……したかどうかは知らないけど、悲惨な最期だったのは確か。
まあでも、崇徳院様のお父上、鳥羽天皇の皇后でいらっしゃった美福門院様に仕えていた女性を後妻にもらったおかげで、三十路過ぎてから少しずつ官位が上がってきて、六十過ぎに、念願の公卿になれたんだけど。
咳が止まらなくて退職するしかなくなるとか、もうね。
あと何年、生きられるのかなあ。
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この歌を詠んだとき、六十四歳くらいだった俊成は、1204年、91歳で大往生を遂げる。