蔦は、古くは万葉集で「岩綱」として詠まれているが、平安時代の勅撰和歌集には「蔦」の歌が見えず、新古今和歌集あたりから、蔦の紅葉が詠まれることが増えてきたという。
今回取り上げるのは、藤原定家の蔦の歌。
詩を歌にあはせ侍りしに、山路秋行といへる心を
都にも今や衣をうつの山ゆふ霜はらふ蔦の下道
(新古今和歌集 巻第十 羇旅歌 982)
✴︎うつの山…今の静岡市と藤枝市の堺にある峠。宇津の山。駿河国の歌枕。「衣を打つ」と掛けている。「伊勢物語」第九段に、宇津の山を詠んだ業平の歌が出てくる。
✴︎衣をうつ……砧(砧)で布を打つこと。布の皺を伸ばしたり、つやを出したりするために行う。中国でも行われていて、漢詩の題材になっている(白居易「聞夜砧)。日本では、明治時代にアイロンが普及してからは廃れた。
「伊勢物語」第九段の該当箇所を引用しておく。
行き行きて、駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。「かかる道は、いかでかいまする」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。
伊勢物語 第九段より
【適当な意訳】
ひたすら歩いて行って、駿河国に着いた。
宇津の山まで来たのだけど、自分が進もうとする道がやたらと暗くて細い上に、蔦だのカエデだのが猛烈に生い茂っていて、とんでもなく心細くなり、こりゃ酷い目に遭うこと間違いなしと思って絶望していたら、修行のために旅する人と遭遇した。
その人が、「なんでこんな道にいらっしゃるんです?」と言うのを見ると、なんと、知り合いだった。もののついでなので、その人に、都の思い人への手紙を届けてくれるように頼んだ。
おひさ。
元気してる?
いま駿河国の宇津の山なんだけど、ここ、めっちゃ寂しいのよ。人少なすぎて、誰とも会わないの。ほんと、孤独。
ねえ、リアルで会えないのは仕方ないとしても、せめて夢の中で会いたいと思うのに、君ってば、ちっとも夢に来てくれないよね。
都の暮らしが楽しすぎて、ボクのことなんか、忘れちゃってるんだろうね。
というわけで、この手紙読んだら、絶対夢に出てきてよね。
………
なんか、皮肉で当てつけがましい歌だと思う。
甘ったれている感じも、なきにしもあらず。
思い人は業平より年上の女性だったのかもしれない。
定家の新古今の歌(982)は、伊勢物語の上の章段と、業平の歌を踏まえて詠まれている。
秋の羇旅の歌として詠まれているので、蔦は紅葉していると思われる。
【いつもながら適当な意訳】
ここは、宇津の峠道。
艶やかに紅葉した蔦が、頭上に生い茂っている。
そのせいで、夕暮れの峠道が、一層薄暗くて、もの寂しい。
そして、とっても寒い。
歩きながら、ぱんぱんとコートの霜を払っていたら、妻の打つ砧の音が聞こえた気がした。
妻が恋しい。
マジで恋しい。
きっと妻も寂しがって、俺のシャツを丁寧に整えたりしてるんだろうな。あいつはそういう女だから。
今すぐ飛んで帰りたい。
だけど、ここは駿河国。都まで300キロはある。即帰還は不可能。
でも、会いたい。
今夜、夢で待ち合わせしようって、都に念を送った。
君に届け、この思い。
(pixabayの画像をお借りしました)