湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(備忘録)

こんにちは。

 

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月曜日は外出せず、火曜日は、長女さんの車の送迎(描画セラピー)のみで、ほとんど歩かず、悲惨な歩数で終わった。

 

山梨(主に富士急ハイランド)に旅行に行っていた末っ子は、大量のお土産と一緒に月曜日の夜に帰宅。絶叫マシンを乗り倒して、喉を枯らしていた。

 

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「ええじゃないか」は、絶対マシンの名前だとか。

 

薩摩芋タルトは、一緒に行ったお友達からいただいたとのこと。

 

いずれも美味しくいただいた。

 

火曜日は、息子(25歳・重度自閉症)がショートステイ(一泊)だったので、夜がとても静かだった。

 

今日(水曜日)は、息子の代理受診で精神科外来へ。デイケアの長女さんと一緒に車で出かけた。

 

 

(_ _).。o○

 

読書メモ。

 

伊勢物語の表現を掘り起こす  あづまくだりの起承転結」(小松英雄 著)を半分まで読んだのだけど……

 

 

面白い指摘が多いし、勉強にもなるのだけど、どうもあちこち、論証に成功していない(強弁で終わっている)ように思える。

 

先行研究や既存の注釈書、辞書などの記述の問題点を指摘する部分はとても鋭くて、共感できるのに、提示される新たな解釈の根拠が弱いというか、説明になっていないというか、詰めが甘いを通り越して詰めが全く存在していないところもあり、読んでいると頭がぐにゃぐにゃしてくるのだ。

 

あまりにぐにゃぐにゃするので、その都度亭主にいろいろ質問したところ、亭主も同じ意見のようで、ぐにゃぐにゃしている理由をスパッと説明してくれた。

 

亭主曰く、小松先生には文章論の概念がないのではないか、とのこと。

 

確かにそうかもと思った。

 

たとえば、伊勢物語の第九段の「八つ橋といふ所に至りぬ」の助動詞の「ぬ」について、その章段の文章全体の流れのなかで意味・用法をとらえれば、すっきり説明できるところを、本書では「小学館全文全訳古語辞典)に書かれている意味記述と、その辞書の用例となっている「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今和歌集)の「ぬる」の解釈を舌鋒鋭く批判してみせて、その批判をもって、伊勢物語の先行の解釈を否定したことになるという、不思議な論旨になっていた。

 

わざわざ古今和歌集の歌の不出来な解釈など持ってこなくても、「八つ橋という所に至りぬ」の「ぬ」は、その章段のメインとなるエピソードであるために、それまでの過去の出来事を叙述するモードから、主人公視点のリアルタイムな記述に切り替わったのだといえば、それで片付く話なのだ。

 

まあ、そういうぐにゃぐにゃする論調も含めて、面白い本ではあるので、最後まで読もうと思う。

 

(_ _).。o○