とても他人事とは思えないドイツ映画を見てきた。
「ぼくとパパ、約束の週末」
親目線で見た場合…
自閉症児であり、おそらくはギフテッドでもある10歳の少年ジェイソン君を育てる大変さは、我が家の子どもたち全員分に匹敵するどころか、はるかに凌駕しているように思えた。
ASDかつ難病児であり、学校に適応できず、ガチの不登校になった長女さん。
ASDであり、重度の知的障害と強度のこだわりを抱え、日常に非日常が入り込むたびに大パニックになっていた、息子。
大癇癪持ちで、学校ではだんまりか殴り合い、宿題を全拒否していたこともあり、何度も担任と親とでお話合いをすることになった、ADHDかつギフテッドの末っ子。
この三人を育てた母親である私が見ても、ジェイソン君の両親の大変さは、ちょっと無理なレベルだと思う。
よく誤解されていると思うのだけれど、IQの低さと育児の大変さは、全く正比例しない。というか、比べるのが難しい。
IQ30以下の息子と、IQ140の末っ子とで、どちらの幼少期が大変だったかと聞かれれば、しばらく悩んで、どちらとも言えないと答えるしかないと思う。
喩えは悪いけど、家でジンベイザメを飼うのと、絶対に外に漏らせない人喰いバクテリアっぽいものを保管するのと、どちらかをかならず選べと言われることを想像してみてほしい。種類が違って比べられないというのは、こういうことだ。
もちろん、うちの息子のように重度の知的障害のある自閉症児の育児が難しく、多大な労力を求められることは否定しない。
けれども、高機能、あるいはギフテッドと言われるレベルの知能を持った自閉症の子どもたちの親は、いわゆる努力とか忍耐とかでは絶対にしのぎきれない、異次元の葛藤と消耗を強いられる。
そのことを、この映画は実にリアルに描いている。
出てくるエピソードの一つ一つに思い当たるふしがあったり、喚起される痛い記憶があったりして、大変に見につまされると同時に、「でも、うちは、ここまで強烈ではなかったな」とも思うのだ。
でも、ジェイソン君と彼の家族は、力業で困難を乗り越え、共に成長していく。
ドイツ中のスタジアムと全サッカーチームを実際に見て、推しのサッカーチームを決める、などという対応は、我が家では不可能だ。それができる家族の元に生まれたジェイソン君は、幸運だったと思う。
いや、違うか。
ジェイソン君と遺伝的資質を共有し、なおかつ彼に深い愛情を抱いて幸福を願う家族だからこそ、できたのだ。
そういう意味では、我が家だって同じかもしれない。
(_ _).。o○
そういえば、人生二度目の「お一人様映画館」だった。
そもそも映画館で見た映画自体が少ない。
思い出してみる。
「ベンジー」(1974年)
「ザナドゥ」オリビア・ニュートン=ジョン主演(1981年に見たはず)
「ルードヴィッヒ 神々の黄昏」ヴィスコンティ監督(名画座で1981年に見たと記憶)
「ゴーストバスターズ」(たぶん1985年頃に見ている)
「マイライフ アズ ア ドッグ」(1985年)
「愛と追憶の日々」(いつ、どうして見に行ったのか不明)
「ドグラマグラ」(1987年くらいか。トラウマ映画)
「お葬式」(1984年。テレビドラマみたいだと思った記憶)
「豪姫」(1992年。結婚してすぐのころか)
「ジョジョの奇妙な冒険」(2017年。忘れもしない、パニック発作を起こした)
「ゲゲゲの謎」(末っ子と行った)
「翔んで埼玉2」(長女さんと行った)
……
このうち「マイライフ アズ ア ドッグ」は、本当に劇場で見たのかどうか、自信がない。もしかしたら、レンタルビデオで見たのかもしれない。でも、大画面の印象が微かにある。それに、内容的に自分がこの映画を選んでレンタルするとは思えないので、他のほとんどの映画と同じように、チケットをもらったとか、人に誘われたとか、そんな消極的な理由で見に行った可能性が高い。
あ、ということは、今回見た「ぼくとパパ、週末の約束」は、本当に自分が見たいと思って映画館に足を運んだ、初めての映画ということになる。
うん。
見に行ってよかった。