先週水曜日からずっと、一日3000歩以上の誓いを守れていたのに…
昨日はどうしても無理だった。😭
朝起きてから脳が全く動かず、陰々滅々と時間をやり過ごすしかなかった。
昨日の日中は、家族がみんな出払っていて、私一人だったので、動くきっかけが無かったというのもある。誰かいれば、頼み事をされたりして、無理やりにでも動くきっかけになったのだけど。
そういうところは自立しないと、将来的にまずいと痛感した。
夕方以降はなんとか動けるようになったので、ヤフオクで落札した本の代金を支払うためにコンビニに出かけた。
落札したのは、本多平八郎「英訳万葉集」(北星堂 1967年)
手元に届くのが待ち遠しい。
先に入手した神田外語大版の英訳と比べるのが楽しみだ。
という具合に、何か気持ちが浮き立つような動機づけがあれば動きやすいし、外出する意欲も出てくるのだけど、そのために買い物をするというのも、どうかと思うし…
何か方法を考えよう。
(_ _).。o○
昨日の夜、X(旧Twitter)を眺めていたら、ロシアがウクライナにICBMを打ち込んだらしいという記事が流れてきた。
思わず目を疑ったけど、NHKなどのニュースにもなっているので、フェイクではないらしい。
大陸間弾道ミサイルを撃つには、近すぎやしないのか?
兵器のことなど分からないけど、ああしたものも、大(長)は小(短)を兼ねることができるのだろうか。
兼ねなくていいものを…
などと思っていたら、今日になって、あれは弾道ミサイルだけど長距離のじゃなかったらしいという話になっていた。
ふと思いついて、ウクライナとロシアの歴史的背景について、AIのCopilotさんに質問してみたら、完結にまとめてくれた。
ウクライナとロシアの関係は非常に複雑で、長い歴史があります。
9世紀から13世紀にかけて、現在のウクライナの地にはキエフ大公国(ルーシ)が存在しました。これはロシア、ウクライナ、ベラルーシの共通の起源とされています。
13世紀にモンゴル帝国がルーシを侵攻し、その後、ロシアの原型であるモスクワ大公国が成立しました 。
14世紀から18世紀にかけて、ウクライナの大部分はポーランド・リトアニア連合の支配下にありました 。
近代から現代まで。 18世紀末には、ウクライナの大部分がロシア帝国の支配下に入りました。
1922年にソビエト連邦が成立し、ウクライナはその一部となりました。この時期には、農業の集団化政策や大飢饉(ホロドモール)などがウクライナに大きな影響を与えました。
1991年のソ連崩壊に伴い、ウクライナは独立を果たしました。しかし、2014年のクリミア併合や東部の紛争など、ロシアとの緊張関係は続いています。
(Copilotさんの回答からの抜粋)
記憶の補強のために、日本史の歴史事項と繋げ合わてみる。
日本の平安時代から鎌倉時代初期までが、キエフ大公国(ルーシー)の時代。
モンゴル帝国のルーシー侵攻が、1223年。
1240年に、キエフ大公国が滅亡している。
日本では、1221年に承久の乱が起きて、北条に負けた後鳥羽院が隠岐島に流され、1239年に崩御している。
つまり後鳥羽院の失意の晩年が、モンゴルとキエフの戦乱期とほぼ重なっていることになる。
ちょっと覚えやすい。
モスクワ大公国が、1480年ごろ、モンゴルの支配(タタールの軛)から抜け出す。
日本はそのころ室町時代で、1477年に応仁の乱が終わったものの、幕府の権威が落ちて京都の復興が進まず、荘園制度が崩壊して公家は没落し、朝廷も貧乏になり、戦国時代が近づいてきた頃だった。
1721年、初代ロシア皇帝であるピョートル1世が即位。
日本では、1716年に徳川吉宗が将軍になり、幕府財政の再建のために享保の改革を頑張っていた。
…うん、なんとなくつながった。
忘れないように、復習しないと。
上の画像は、AIのCopilotさんが、ウクライナとロシアの歴史的背景の解説に添えてくれたものだ。
ウクライナの人とロシアの人が、それぞれの民族衣装を着て、焚き火を囲んでいる絵であるらしい。
弾道ミサイルを囲むより、ずっといい。🔥🚀
(_ _).。o○
やったことリスト。(11月22日)
- 外出
- Duolingo のレッスン
- Kindle Fire maxの設定