湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記

こんにちは。

 

f:id:puyomari1029:20221109110245j:image

 

今日は朝から息子(24歳・重度自閉症)の受診のため、病院へ。長女さんもデイケアと診察があるので、一緒に出かけた。

 

息子は精神科でデパケンを処方してもらっているのだけど、病院の方針で2週間に一回の診察が必要なので、ほぼ毎回、私の代理受診でまかなっている。

 

秋になってから、息子はかなり落ち着いて過ごせている。直近一か月ではパニックを一度も起こしていない。

 

過食もずいぶん収まって、顔が少しほっそりしてきたように思う。ありがたいことだ。

 

病院はかなり混んでいて、予約時間より1時間半ほど待たされた。待っている間はラノベなど読んでいたのだけど、後半、腹痛が始まってしまって、ちょっと辛かった。

 

新型コロナの後遺症なんだろうと思うけれども、二日に1回は痛みや吐き気が来る。痛み自体はそんなにひどくはないけれど、外出がますます億劫になるなどして、地味に精神を削られるのが困る。

 

でも後遺症ならそのうち治るだろうと思うので、あまり深刻に考えないようにしている。

 

(_ _).。o○

 

昨夜は、末っ子と日本史の復習をやった。

 

手元にあった問題集に、「日清戦争がなぜ起きたか」を理解する前段階として、「日清戦争前の日本と朝鮮の関係の変化について説明せよ」という設問があったので、教科書(山川出版社)を眺めつつ、解答案を作ってもらったのだけど、とんでもなく血生臭い一連の事件を頭に入れるまでが、なかなか大変だった。

 

……

 

まず、日本は1876年に李氏朝鮮と「日朝修好条規」という欧米譲りの不平等条約を結び、朝鮮を清の属国ではなく独立国であると認めさせ、無理矢理開国させた。

 

李氏朝鮮では、高宗の妃である閔妃(びんひ)の一族が権力を握っていて、汚職で政治は混乱していた。ちなみに夫の高宗は、当時は政治と妃に興味がなく、酒食に溺れる駄目な感じの人だったらしい。

 

閔妃の一族は、最初、日本を後ろ盾としての開国政策を進めたけれども、財政難のために旧軍兵士への俸給の不払いなどがあったため、旧軍や民衆が暴動を起こして日本公使館を襲撃し、閔氏政権を倒してしまった。この乱では、日本の軍人や留学生が多数殺害されたという。(1882年、壬午軍乱)

 

この乱のために日本と清は軍を派遣。

 

乱の鎮圧に成功した清は、李氏朝鮮の首都である漢城府に兵を数千人も駐留させるなどして、支配力を強めていく。

 

清によって政権に復帰した閔氏の一族は、もともとの宗主国である清への依存を強くして日本と距離を置くようになる。

 

一方日本では、壬午軍乱で多数の日本人が犠牲になったことなどから、ナショナリズムが沸き起こり、軍拡が叫ばれるようになる。また、清や朝鮮と提携すること道を捨てて、欧米先進国と並び立つことを考えるべきだという言論が次第に優勢になっていく。

 

その後、日本と清は朝鮮への支配権を巡って対立を深めていくことになる。

 

一方、閔妃一族の清国依存に反発し、日本と結んで近代化を図ろうと考えていた金玉均は、福沢諭吉後藤象二郎などと積極的に交流していたが、壬午軍乱のあと、清の支配力がドカ盛りになっていくのを見てこりゃ駄目だと考えてクーデターを計画。清がベトナムでの宗主権を維持するためにフランスと戦争を始めたのを好機とみて、日本の支援のもと、準備を進める。

 

ところがクーデター直前になって、清がフランスと和議を進めたため、井上肇外務卿はクーデター加担を取りやめてしまう。

 

クーデターは一応成功したものの、数日後には数千人の清国兵によって王宮を奪い返され、日本公使館に逃げ込んだ金玉均らは、仁川経由で日本に逃げ落ちるしかなかった。逃げられなかった日本人居留民や、金玉均の関係者らは、多くが殺害されたり自殺したりと、悲惨な末路をたどった。(甲申政変)

 

なお、日本に渡ったものの冷遇されていた金玉均は、絶望して上海に渡ったところで、閔妃の刺客によって殺害され、八つ裂きにされた遺体を朝鮮半島各地に晒されたという。

 

このクーデターのあと、日本はさらなる軍拡を進めて、清を倒して朝鮮を支配下に置くという構想を強めるようになる。

 

政敵との暗殺合戦を延々と繰り広げていた閔妃は、日清戦争開始後、日本人と朝鮮人たちの合同チームによって暗殺される。(1895年、乙未事変

 

……

 

上には書ききれなかったけど、閔妃という女性の振る舞いは、徹頭徹尾、人の命を犠牲にするのに躊躇がない印象で、悪女列伝に名を残しそうなタイプに思える。

 

事変が勃発して王宮に追っ手が迫った時も、侍女を自分の身代わりに服毒自殺させて逃げ落ちたこともあったという。

 

性格が苛烈だったかどうかまでは分からないけれども、ああいう不安定な時代に王妃として国の命運を左右する権力を持ってしまったことで、極端な悪女化を果たしたことは間違いない。

 

一体どんな人だったんだろうねと話していたら、末っ子が画像検索して「髪型が怖えー!」というので、見せてもらったら、確かにとても強そうなヘアスタイルだった。

 

f:id:puyomari1029:20221109130840j:image

 

上の角部分、どうなっているんだろうか。

全部毛髪だとすれば、結いあげるのが、ものすごく大変そうだ。

 

 

その後いろいろ検索していたら、この写真は本人のものではないらしいという説を見かけた。ずっと命を狙われていただろうから、顔が分かるような写真を残さなかったとしても不思議ではない。

 

それにしても、こういう残虐で不幸な歴史が、関東大震災のときに流布したという、朝鮮や中国の人々についての流言の下地になったのかもしれないと思うと、なんとも言えない気持ちになる。

 

さらに、明治期の朝鮮半島における強烈な反日感情が、豊臣秀吉朝鮮出兵のときに加藤清正らの群勢が一般民衆を無差別殺戮したことに由来するという話もあるようで、頼むからどこの国もこれ以上の禍根を積み上げないでもらいたいと、ひたすら祈りたくなってくる。

 

朝鮮半島をめぐる一連の事件には、清だけでなくロシアも深く関わっていて、後の日露戦争の原因にもなっていくという。

 

短絡的な見方だろうけど、なんだかプーチン大統領という人は、19世紀の朝鮮半島で叶わなかったロシアの思惑を、ウクライナに持ち込んでいるかのようにも思えてくる。

 

あのかたはパーキンソン病膵臓がんと、前立腺がん、血液のがんを患っていて、ステロイド注射で顔貌が変わってしまっているという噂だけれども……最大の病巣は帝国主義の呪いなんじゃないかと思えてくる。

 

帝国主義って、資本主義の成れの果て(最終段階?)という説(マルクス?)があったと思うけれども、そうだとするなら、現状は身も蓋もないほど皮肉だ。