三年ぶりのお一人様の日は、自宅で映画三昧と決めていた。
一本目の映画は…
「スウィング・キッズ」
(以下ネタバレ大アリなので注意)
日本で公開されたのは2020年とのこと。
カン・ヒョンチョル監督。
朝鮮戦争当時の、巨済(コジェ)捕虜収容所には、相入れない主義主張を持つ多くの人々がひしめいていた。
映画では規模がよく分からなかったので、ネット検索してみたら、中国共産党軍捕虜2万人、朝鮮人民軍捕虜15万人。最大で17万人の戦争捕虜を収容していたと、巨済島 捕虜収容所遺跡公園のホームページにあった。これはピーク時のアウシュビッツ強制収容所を超える人数だ。
収容所を管理するアメリカ兵たちは、北朝鮮の捕虜たちを蔑むだけでなく、自国の黒人兵を「ニグロ」と呼んで陰で差別している。
北朝鮮人の捕虜たちは、自分達の故郷を破壊し身内を殺したアメリカ軍を憎悪していて、その強烈な敵対感情が、自国の共産主義への傾倒に拍車をかけた状態となっている。そのために、自分達の中の反動分子に鋭く目を光らせていて、粛正も厭わない。
収容所の外では、人々が貧困に喘ぎ、そのガス抜きでもあるかのように、アカ狩りと称して気に入らない人間に投石するような状況だった。
白人兵士からの差別に耐える黒人下士官のM・ジャクソンは、黒人という理由で仕事を干された元ブロードウェイのダンサーで、沖縄に日本人の妻子がいるのに、捕虜の東洋人たちには文化的な偏見を抱いていて、彼らに西洋風のダンスは不可能だと公言して憚らない。
北朝鮮の若い兵士たちの間で、英雄の弟として讃えられているロ・ギスは、共産主義を強く信奉して西洋人を激しく憎み、アメリカ文化に馴染もうとしている自国の捕虜を反動分子と非難するような青年だった。ギスにとっては、黒人のジャクソンさえも「西洋人」の括りであり、白人と等しく憎悪と蔑視の対象だった。
馬鹿馬鹿しいほどに重複する差別意識は、収容所の中で不自由に暮らす人々の心に充満する憎悪や反感を煽り、きっかけさえあれば、いつ爆発してもおかしくない状態だった。
そんな危うい収容所に新たに就任した所長は、人身掌握とイメージアップのために、捕虜たちを好遇する方針の一環として、ダンスチームを結成させるように、ジャクソンに指示を出す。
もっともそれは決して人道主義的な考えから出た考えではなく、北朝鮮側による西側非難のプロパガンダに対抗するためのもので、所長自身は底の浅い白人至上主義者であることが最後に明らかになる。でもきっと、当時のアメリカ白人の軍人としては、ごく普通のタイプだったのだろう。
ジャクソンは、最初はダンスチームに全く乗り気ではなく、オーディションを受けに来た全員を不採用とした。
けれどもオーディション終了後、おかしな成り行きで、四人の男女を採用することになってしまう。
異様な情熱で採用を迫ってきた中国人捕虜のシャオパンは、栄養失調と狭心症を抱える肥満体の青年で、元は才能ある振付師だったらしい。
うっかり収容されてしまった民間人、カン・ビョンサムは、ダンスで有名になることで最愛の妻を探し出そうとしていた。
押しかけ通訳の美少女、ヤン・パンネは、韓国語と英語だけでなく、日本語と中国語も話せる才媛で、歌も上手い。家族を養うために働く彼女は、ダンスはお金にならないから踊らないと言っていたのに、ジャクソンたちの踊るタップダンスの熱に引き込まれるように、いつしかメンバーになっていた。
ダンスパーティで騒動を引き起こしてホールの修理を命じられていた問題児、ロン・ギスは、敵国アメリカの文化などに染まる気はなかったものの、実は根っからのダンス好きで才能もあるために、ジャクソンたちのダンスに魂を揺さぶられる自分を持て余し、共産主義への狂信を精神の拠り所とする自国の捕虜たちとの気持ちの乖離に苦しみ続けることになる。
ギスは八つ当たりのようにジャクソンにダンス対決を挑み、ヤン・パンネとも反発し合ううちに、気がつけば、チームの一員になっていた。
そんな彼らにタップダンスを教え、共に踊るうちに、ジャクソンのなかの東洋人への文化的偏見が、少しずつ消えていく。
ダンスや音楽は、収容所の中で対立し合う人々の心に、ほんの一瞬ではあるものの、同じ人間として共有できる思いのあることを知らしめていた。その美しい奇跡は、やがて大きな奇跡をもたらしそうにも思われた。
けれども、収容所内に渦巻く対立感情は、日増しに強くなり、やがて暴動や内ゲバが頻発するようになっていく。
収容所内には北朝鮮側の手先が入り込んでいて、アメリカ軍側の情報を抜き取りながら、武器を掠め取って密かに備蓄し、暴動の指示を出していた。
それを察知したアメリカ軍側も、反乱分子の割り出しと粛正を開始。共産主義の色濃い捕虜と共に、望郷の念を口にしただけの捕虜たちまでもが、次々と射殺されていく。
当然、タップダンスの練習も難しくなっていく。
収容所の外でジャクソンに会ったヤン・パンネは、ダンスと音楽によって自分の命が躍動することを熱く語る。奇しくもその思いは、収容所の中で孤独に踊るギスと共通するものだった。
「ファッキン・イデオロギー!」
というヤン・パンネの叫びは、のちにジャクソンのダンスチームのテーマともなるものだった。
やがて、決定的な事件が起きてしまう。
収容所に入り込んでいた北朝鮮側の手先が、英雄の弟であるロ・ギスに目をつけ、彼がダンスチームのメンバーであることを利用して、クリスマスのステージに立った時に収容所の所長を射殺するようにと命じてきたのだ。
ギスの兄は、戦場で多くのアメリカ兵を殺害するほど身体能力は高かったものの、実は重い知的障害があり、精神的には幼児に等しかったため、ただ言いなりに使われていただけだった。その兄を殺すと脅され、自分も反動分子としていつ殺されるか分からないと悟ったギスは、手先の言いなりになるしかなかった。
クリスマスのステージで、ジャクソンの率いるダンスチーム「スウィング・キッズ」は、素晴らしいタップダンスを披露する。
彼らの足が奏でる音は、空いっぱいに広がる打ち上げ花火のように光り輝き、ほんの一瞬、すべての人々の心を繋ぎ、魅了した。
けれども奇跡は起こらなかった。
北朝鮮側の手先は、元々ロ・ギスを暗殺の前座として使い潰すつもりで、ギスの兄を楽屋に潜ませていた。ギスが舞台から下がるのと入れ替わりに兄が舞台に上がり、銃を乱射。大勢のアメリカ兵が死亡し、収容所所長も被弾する。
怒り狂った所長は、罪の有無など無関係に、その場にいる「イエロー」を殺せと命令し、ジャクソンを除くダンスチームは、全員射殺されてしまう。
そういうラストになるとは、正直想像していなかった。
けれども、舞台は戦時の収容所なのだから、甘い話になるほうがおかしい。
ファッキン・イデオロギー。
宗教が人類にとっての麻薬だと言うなら、政治思想は人類にとっての劇薬だろう。どちらも濃すぎれば致死的に働くものだという認識は、たぶん間違っていない。
麻薬も毒薬も、その用法を捻じ曲げるのは、いつだって、立場を異にする人々の間の不幸な軋轢から生み出される、差別や憎悪の感情だ。
もういい加減、それらの適正な使い方や対処法を、文明は学ぶべきだろう。出来ることなら今世紀中に、なんなら今年中にでも、なんとかならないものかと思う。
映画のラストで、場面は現代に飛ぶ。
年老いたジャクソンが、巨済島の捕虜収容所遺跡公園を訪れ、かつてメンバーと共に踊ったステージの傷跡を愛おしそうに撫でながら、過去に思いを馳せる。
それは、彼らが確かに命を燃やして生きていたという証だった。
(_ _).。o○
主人公のロ・ギスを演じるのは、K-POPグループ<EXO>のメインボーカルの、D.O。末っ子に聞いたら知っていた。この人を含め、出演していた俳優さんたちは、皆本当に素晴らしかった。