湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ホトトギスの鳴く頃に…(和歌メモ)

 

(この画像は、一応、慈円の和歌を元に作ったAIイラストですが、もはやツッコむ言葉もありません…)

 

今日は、慈円のほととぎすの歌について。

 

正治百首歌奉りける時

前大僧正慈鎮

 

五月雨の雲間の軒のほととぎす雨にかはりて声の落ちくる

 

さみだれの くもまののきの ほととぎす あめにかわりて こえのおちくる)

 

玉葉和歌集 巻第三 夏  369

 

 

【語釈】

  • 雲間…雲の絶え間。晴れ間。

 

【全くひねりのない意訳】

五月雨が小止みになり、雲の晴れ間が見えている。屋根の軒から、雨音に変わって、 ホトトギスの鳴き声が落ちてきた。

 

……

 

慈円 (1155-1225)は、藤原道長の直系の子孫で、関白太政大臣だった九条兼実の同母弟にあたる。 「慈鎮」というのは、慈円諡号

 

道長→頼通→師実→師通→忠実→忠通→兼実・慈円

 

兼実と慈円の曾祖父の曾祖父が、道長ということになる。その間、ざっと二百年。大河ドラマ「光る君へ」の時代からはだいぶ遠い。「平清盛」をちょっと過ぎて、「鎌倉殿の13人」の時代だ。

 

慈円は僧侶だけれど、和歌の道を仏の道と同じように重要視していたらしい。理由は、西行に「和歌の心得がなければ真言は得られない」と言われたからだという。

 

西行法師。遁世の後。天台真言之大事を伝て侍りけるを。吉水の慈鎮和尚。伝ふべき由仰られければ。先つ和歌を御稽古候へ。和歌を御心得なくば。真言の大事は御心得候はしと申ける故に。和歌を稽古し給ひて後伝べしとの給けるとなん云り。

 

沙石集 哀傷之歌事

 

【雑な意訳】

西行法師が出家遁世の後、天台真言の大事を伝えておりましたのですが、吉水の慈鎮(慈円)和尚が、ご伝授くださいとおっしゃったところ、「まず、和歌をお稽古なさい。真言の大事は、和歌の心得がなければなりません」と申したので、慈円和尚は和歌を特訓なさったのちに伝授を受けたとのこと。

 

沙石集

 

……

 

慈円西行は面識があり、仏道と和歌の両方の影響を受けていたようだ、ということを、まず押さえておく。

 

(_ _).。o○

 

慈円の歌の詞書にある「正治百首歌」は、正治2年(1200年)に、後鳥羽院が34人の歌人に、百首づつ歌を詠ませて提出させたもので、慈円も百首を提出している。

 

その8年前の1192年に、第62世天台座主比叡山延暦寺のトップの座)に就任した慈円は、建久七年の政変(1196年)で、兄の九条兼実が大失脚したため、自分も座主を辞任して、以後しばらく自宅謹慎の暮らしをしていた。

 

兼実はその後二度と朝廷に返り咲くことはなかったけれど、弟の慈円後鳥羽院に目をかけられて、朝廷のための祈祷をしたり、歌人として活躍もしていた。

 

後鳥羽院の勅命によって編纂された新古今和歌集には、慈円の歌が91首も選ばれている。ちなみに最多は西行の94首だという。

 

新古今和歌集に収録されている全1980首のうちの一割近くを、たった二人の同時代の僧侶の歌が占めているのは何故なのかと思うけれど、いまここで考えても分かりそうにないから、保留。

 

ただ、新古今和歌集の時代の歌人たちにとって、西行(遁世した人)と慈円(実家が没落した人)の二人が、無視できない巨大な存在であったことは間違いなさそうだ。

 

(_ _).。o○

 

ホトトギスの歌は、古来、数多く詠まれていて、万葉集で153首、古今和歌集で42首、新古今和歌集には46首あると、Wikipediaの「ホトトギス」のページに書いてあった(自力で数えようとしたけど力尽きた…)。

 

冒頭の慈円の歌では、「五月雨」「雲間」「軒」が、ホトトギスの鳴き声が「落ちくる」舞台に配置されている。

 

ホトトギスは、雨や雲、雨夜、花、そして何ものかの訪れなどを心待ちにする切ない状況などと、セットで詠まれることが多いようだ。

 

大伴家持、雨ふる日に霍公鳥の鳴くを聞く歌一

 

卯の花の過ぎば惜しみかほととぎす雨間もおかず此間ゆ鳴き渡る

 

(うのはなの すぎばおしみか ほととぎす あめまもおかず こゆなきわたる)

 

万葉集 巻第八 1491

 

【意訳】

ホトトギスは、卯の花が終わってしまうのが惜しいと思って、雨が降る間も絶え間なく、このあたりを飛んで鳴き続けているのだろうか。

 

紫式部

 

誰が里も訪ひもや来ると郭公心のかぎり待つぞわびしき

 

(たがさとも といもやくると ほととぎす こころのかぎり まつぞわびしき)

 

新古今和歌集 巻第三 夏 204

 

【若干怪しい意訳】

誰の家でも手当たり次第訪問する、あのホトトギスみたいに浮気な男をひたすら一途に待つなんて、侘しすぎるわ。

 

鳥を詠める

 

雨はれし雲に副ひてほととぎす春日を指して此ゆ鳴き渡る

 

(あめはれし くもにたぐいて ほととぎす かすがをさして こゆなきわたる)

 

万葉集 巻第十 夏雑歌 

 

【語釈】

  • たぐひて…動詞「たぐふ」の連用形+接続助詞「て」。一緒になって。寄り添って。
  • ゆ…格助詞。〜から。〜より。〜を通って。
  • わたる…補助動詞。ずっと〜し続ける。絶えず〜し続ける。一面に(広く)〜する。

 

【意訳】

雨上がりの雲と一緒に、ホトトギスが春日を目指して、ここからずっと鳴きながら飛んでいくよ。

 

……

 

季節の風物としてのホトトギスの鳴き声を、純粋に待ち望むような歌も多いけれど、一見そういう歌であっても、どこかに恋の情緒の気配、というか、謎のムラムラ感が滲み出ている歌も結構あるようだ。

 

延喜御歌(醍醐天皇

 

夏草は茂りにけれど郭公など我が宿に一声もせぬ

 

(なつくさは しげりにけれど ほととぎす などわがやどに ひとこえもせぬ)

 

新古今和歌集 巻第三 夏 189

 

【だいぶ怪しい意訳】

夏草がボーボー茂って、季節はすっかりサマーなのに、ホトトギスちゃんよ、どうして俺んちで一声も鳴かないのよ。いい加減待ちくたびれたYO!そろそろ入内しようぜベイベー!

 

後徳大寺左大臣家に十首の歌よみ侍りけるに、よみて遣はしける

 

太后宮大夫俊成

 

わが心いかにせよとて郭公雲間の月の影に鳴くらん

 

(わがこころ いかにせよとて ほととぎす くもまのつきの かげになくらん)

 

新古今和歌集 巻第三 夏 210

 

【だいぶ怪しい意訳】

もう何なのよ!

ホトトギスの鳴き声、ヤバすぎッ!!

雲の晴れ間から漏れてくるピュアな月の光だけでも、ハートがぐらんぐらんしてるのに、そこにあのビビッドな声は反則でしょ!? これ以上、いたいけな俺ちゃんの恋心を、どうしようっていうのよ!?

 

……

 

上の二首、特に俊成(藤原定家の父親)の動揺っぷりを読むと、(頭は)大丈夫なのかと言いたくなるけど、ホトトギスの声の裏側に、別の何かを聞き取っているのだとすれば、ただの鳥フェチ変態の告白ではなくなる(それでもだいぶ危ないとは思う)。

 

ホトトギスが象徴するもの、譬えられるものは、歌ごとにさまざまだけれども、その鳴き声が、折に触れて歌人たちの心をひどく揺さぶる力をもっていたのは、間違いなさそうだ。

 

(_ _).。o○

 

ホトトギスの声が上空から「落ちくる」という表現は、西行の歌にも見える。

 

西行

 

時鳥ふかき嶺より出でにけり外山のすそに声の落ち来る

 

(ほととぎす ふかきみねより いでにけり とやまのすそに こえのおちくる)

 

新古今和歌集 巻第三 夏 218

 

【意訳】

ホトトギスが、奥深い山の峰から出てきたのだな。人里近い山裾に、鳴き声が落ちて響き渡るよ。

 

……

 

山奥から飛来したホトトギスが、空の高みから鋭い声を落とした、その鮮烈な一瞬を切り取って詠んでいる。

 

この歌は、慈円の百首歌より前の1187年ごろに、「御裳濯河歌合」として、西行が自分の歌72首を選んで左右に分け、歌合のように構成した上で、藤原俊成に判を依頼したものの中に含まれるという。俊成は、この歌について、

 

今まさしく聞く心ちしてめづらしくみゆ

 

として、臨場感あふれる斬新な表現を、高く評価したという。

 

予期せぬ邂逅だからだろうか、西行の歌には謎のムラムラ感はなく、待ち焦がれて悶々としていたような気配もない。

 

むしろ、ホトトギスの声に心洗われ、屋外で視界が一気に開けたような清々しさがある。

 

それに比べて、慈円の歌は屋内であり、縁に出て雲の晴れ間を見上げていたとしても、その視界は、家の軒で半ば遮られている。

 

ホトトギスの鳴き声の音量も、西行の聞いたものとは、おそらくかなり違っていたはずだ。

 

西行の歌のホトトギスは、「深き峰より」飛来したというのだから、それなりの高度を飛行中に鳴いている印象だけれど、慈円の歌のホトトギスの鳴き声は、家の軒あたりから、いきなり聞こえてきたようだ。

 

となると、家の中の人間にとっては、雨音が途切れたところへの、至近距離からの突然の「テッペンカケタカ」攻撃だったわけで、風情がどうのこうのという以前に、度肝を抜かれたのではないかと思う。

 

(Yahoo知恵袋で、夜中にホトトギスに鳴かれて眠れないという悩み相談が出ていた。お気の毒なことだ)

 

西行ホトトギスの歌に習って「声の落ちくる」と詠んだ慈円だけれども、自宅への突然のホトトギスの来襲は、どんな感情を呼び起こすものだったのだろう。

 

(_ _).。o○

 

ホトトギスは、別名「死出の田長(しでのたおさ)」とも呼ばれ、人の死とも縁の深い鳥であるとされる。

 

古代中国の伝説で、蜀の国で農耕を盛んにして繁栄させた、望帝杜宇(ぼうていとう)と言う人物が、死後ホトトギスに化身して、春になると鋭い声で鳴いて民たちに農耕を始めさせていた。  

けれど、のちに蜀が秦に滅ぼされたのを悲しみ、

 

「不如帰去」

(帰りたい! やっぱりおうちが一番いい!)

 

と、「オズの魔法使い」のヒロインのドロシーみたいなセリフを叫んで、血を吐いたという。

 

ホトトギスは口の中が赤いために、その鳴き声かから吐血を連想されることもあった。明治時代の俳人正岡子規は、肺結核で吐血したために、ホトトギスの表記の一つである「子規」を雅号にしている。

 

そんな伝説の影響か、人の死が関連する歌に詠まれることも多い。

 

題しらず

よみ人しらず

 

なき人の宿にかよはば郭公かけて音にのみなくと告げなむ

 

(なきひとの やどにかよわば ほととぎす かけてねにのみ なくとつげなむ)

 

古今和歌集 巻第十六 哀傷 855

 

【意訳】

死んでしまったあの人の家に通うのなら、ホトトギスよ、この私が、ずっと心の中をあの人のことでいっぱいにして、声を出して泣いてばかりいると、伝えておくれ。

 

藤原高経朝臣の身まかりての又の年の夏、時鳥のなきけるを聞きてよめる

 

紀貫之

 

郭公けさ鳴く声におどろけば君に別れし時にぞありける

 

(ほととぎす けさなくこえに おどろけば きみにわかれし ときににぞありける)

 

古今和歌集 巻第十六 哀傷 849

 

【意訳】

今朝、ホトトギスが鳴く声に驚いて気づいたんだけど、去年、あなたが亡くなった季節になっていたんだね…

 

……

 

このように、ホトトギスは、生前に親しかった死者を想起するきっかけをもたらす鳥でもあった。

 

源氏物語では、三角関係に悩んだ浮舟が行方不明になり、死んだものとして葬儀が行われたあと、彼女を苦しめた貴公子二人がやり取りした歌のなかに、「死出の田長」としてのホトトギスが飛来する。

 

忍び音や君も泣くらんかひもなきしでのたをさに心通はば

 

(しのびねや きみもなくらん かいもなき しでのたおさに こころかよわば)

 

源氏物語 蜻蛉 薫が匂宮に贈った歌

 

【だいぶ怪しい意訳】

僕はずっと泣いています。

君も泣いていますか? 

泣いていないはずはないよね。

冥府から飛んできて愛する人の死を告げる、あのホトトギスの悲痛な叫びが、君にも聞こえているでしょう?

 

ほんとうに、甲斐のない恋愛でしたよ。死んでから本心を知ったって、仕方がないですからね。

 

(彼女のところに、君も通っていたよね。分かってるんだよ。はっきり言おうか? 彼女が死んだのは、君のせいだよ!)

 

 

橘の匂ふあたりはほととぎす心してこそ鳴くべかりけれ

 

(たちばなの におうあたりは ほととぎす こころしてこそ なくべかりけれ)

 

源氏物語 蜻蛉 匂宮が薫に返した歌

 

【すっかり怪しい意訳】

何が言いたいのか、さっぱり分からないなあ。

 

あのさあ、僕は彼女(浮舟)の姉と結婚してるわけよ。

 

そりゃあ姉妹だから顔は似てるよ。二人ともすごい美人だし、妹のほうに全く興味がなかったとは言わないさ。だからこそ、しっかり配慮してるわけ。夫が自分の妹にグラついたなんてことになったら、妻が傷つくだろ?

 

というわけでさ、ホトトギスとか、お呼びじゃないから。こういう思わせぶりなメールを、僕と妻がいる家に、わざわざ送ってこないでくれる?

 

(ていうかさあ、お前、人のこと言えんの? 彼女が俺になびいたのって、はっきり言って、お前の気持ちが中途半端だったせいだからな!)

 

……

 

薫と匂宮の歌の中のホトトギスは、亡き浮舟の面影につながるものであると同時に、三人の不適切な関係という、好ましくない影を落とす来訪者でもあったようだ。

 

特に匂宮にとって、薫が送りつけてきた「死出の田長」は、始末に困る鳥だったことだろう。

 

この歌の贈答のあと、匂宮は、妻である中の君(浮舟の姉)に、妹との関係を白状した上、

 

「あなたが彼女の存在を必死で隠すから、ついムキになって、ヤッちゃったんだよねー」

 

などという、大変にゲスい言い訳をかます

 

このエピソードのおかげで、匂宮という人は、私の脳内の「時代別腐れ外道ランキング・中古編」の最上位に輝いたまま、下落する気配がない。

 

浮舟に対する不誠実さという点では、中途半端に宇治で囲って放置していた薫も、匂宮と大差ない。

 

ホトトギスは、匂宮と薫を少しぐらい祟る権利があると思う。

 

(_ _).。o○

 

長々と迂回したけれど、慈円ホトトギスの歌に戻る。

 

慈円の歌と、西行の深き峰より出てきたホトトギスの歌は、上のほうから「声が落ちくる」と捉えているところは似ているけれど、視界の広がりが違っていることは、上で述べた。

 

慈円ホトトギスは、雨音が途絶えた薄暗く静寂な室内に、家の軒という至近距離から、いきなり鋭い鳴き声を響かせたと考えられる。

 

現代ならば警報音にも喩えられそうなホトトギスの声は、兄兼実の失脚後、天台座主を辞して、一応は自宅引きこもり中の身であった慈円にとって、自分の境遇に影響するような、大きな変化の予兆のように響いた……と考えるのは、妄想に過ぎるだろうか。

 

慈円がこの歌を詠んだ1200年は、鎌倉方面がガタガタと揺れ動いていた年だった。

 

1199年に源頼朝が亡くなり、頼家が二代目鎌倉どのになったものの、1200年には有力御家人梶原景時が、一族まとめて幕府によって滅ぼされている。

 

その頃の後鳥羽院鎌倉幕府に対して融和的だったけれど、幕府の台頭する状況は、朝廷側につながる人々にとっては、心穏やかに過ごせるものではなかっただろう。 

 

そのあたりの「愚管抄」(慈円の日記)の記事を確認したかったのだけど、家探ししても出てこないので断念した。😭

 

 

【どう考えても怪しい意訳】

 

テッペンカケタカッ

 

ぎゃあああああああ!!!

 

びっ、びっくりしたー!

ホトトギスかよ…

 

何だって軒下なんかでいきなり鳴くのよ。心臓に悪すぎるでしょーが…

 

ただでさえ、うちは今いろいろあって、家族全員滅茶苦茶ナーバスなんだから、空気読んで少し離れて鳴いてほしいよ。

 

いろいろっていうのは、世の中のきな臭い動きとかもあるけど、まあ主に兄貴の失脚関連だよね。

 

兄貴って、昔からクソ真面目な人でさあ。優秀なんだけど、理想が高すぎて融通が効かないっていうか、頑張ってるのに人がついてこないっていうか、まあ損な性格なんだよな。人付き合いも下手くそだし。

 

失脚してからは、なんだか仏の道にハマっちゃって、僕より坊主みたいな生活してるんだけど。

 

できれば和歌のほうも頑張ってほしいんだよね。最近あまり詠んでないみたいで、ちょっと心配。

 

仏の道を極めるなら、和歌修行って必要不可欠だって、昔、西行さんに教わったけど、本当にそうだと思うんだ。

 

自分の心に真っ直ぐに向き合って、邪念に淀んだ認知の歪みみたいなのを正さないと、いい歌は詠めないけど、それって仏道修行にも通じるものだもの。

 

兄貴の歌も、昔っから素直っていうか、正直なんだよなあ。

 

「昔より離れがたきはうき世かなかたみにしのぶ中ならねども」(新古今和歌集 1832 九条兼実

 

自分は俗世間とは相思相愛の仲じゃないけど、どうしても離れられないって、兄貴、歌に詠んでたけど、自分が今の時代の政治に向いてないことは、失脚前から分かってたんだろうな。

 

いまの兄貴にこそ、もっと和歌を詠んでもらいたいんだけど、まあ落ち込んでる時に無理強いするものでもないし、様子を見るしかないかな。早く元気出して、長生きしてほしいよ。

 

ていうか、さっきのホトトギス、まさか誰かの訃報じゃないよね。

 

あの鳥は冥府からの使者だっていう説もあるけど、絶対あのキョーレツな鳴き声のせいだよな。あんなの耳元で鳴かれたら、死んでてもショック死する自信あるわ。

 

死ぬっていえば、去年は源頼朝が死んだけど、今年の正月には、鎌倉の梶原景時が、謀反起こしたとかで殺されちゃったんだよな。

 

僕、梶原景時って人のこと、結構好きだったのよ。教養人だし、なんかこう洗練されてて、荒っぽい坂東武者とは一線を画していたっていうか。

 

鎌倉は、まだまだ荒れるんだろうね。あんまりこっちに影響ないといいけど、きっといろいろあるんだろうねえ。あーやだやだ。

 

うーん…

ホトトギスの声なんか聞いたから、暗いことばっかり考えちゃうよ。

 

とりあえず、兄貴の無事でも確認しておくか。

 

……

 

兄の九条兼実は、1201年に愛妻を亡くし、1206年には摂政にまで出世していた息子の良経に先立たれるという、不幸に見舞われ、自身も翌年に亡くなる。

 

慈円自身は、ホトトギスの歌を詠んだあと、再び天台座主に返り咲き、後鳥羽院の治世で活躍していたれけど、その後鳥羽院承久の乱(1221年)を起こして敗北し、隠岐に流されてしまったことで、状況が一変する。

 

百首歌の後も、慈円および九条家の軒下には、冥府の使いを兼ねたホトトギスが、容赦のない時代の移り変わりを知らせる声を轟かせにやってきたかもしれない。