読書するときに、傍らに推しぬいを置くと、なぜか集中力が持続する。たぶんこれが「推し」というものの効果なのだろう。お洋服、増やしてあげないと。😍
数日前に、和歌四首の記事を少し書いて、AIイラストを添えたけれど、踏み込みが足りず消化不良なので、もう少し書き足してみる。
雪の木にふりかかれりけるをよめる
冬ごもり思ひかけぬを木の間より花と見るまで雪ぞふりける
(ふゆごもり おもいかけぬを このまより はなとみるまで ゆきぞふりける)
古今和歌集 巻第六 冬 331
この歌を読み味わっていると、子どもの頃、真冬の東北で、冬枯れした木々の梢に降りかかる雪を見つめて時を過ごしたことが、思い出される。
上空から絶え間なく降りしきる、花びらのような雪を見上げていると、空に吸い込まれていくような錯覚に陥ることがあって、その幻想的な感覚が面白くて、寒さを忘れて外にいたものだった。
貫之は雪があまり好きではなかったのか、
「冬ごもり思ひかけぬを」
(冬ごもりしていて、ちっとも気にかけていなかったのに)
という。
けれどもこの日、貫之は、木の間に降る雪が、花に見えることに気づく。
「花と見るまで雪ぞふりける」というのだから、貫之が雪を花と錯覚するまでには、それなりの時間の経過が必要だったはずだ。
ということは、何らかのきっかけがあって、それまで興味がなく無視して過ごしていた雪を見ようと思い立ち、降る雪が花に見えてくるまで、長々と眺め続けていたことになる。
冬ごもり中の貫之が、雪を見ようと思い立ったきっかけとは、なんだったのだろう。
(_ _).。o○
「思ひかけぬを」という表現は、古今和歌集では、この歌だけに見られるもののようだ。
他の歌集はどうかと思って、順番に万葉集、後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、金葉和歌集、詩歌和歌集、千載和歌集、新古今和歌集と見ていったけれど、一例も見当たらなかった。意外とユニークな表現だったようだ。
否定の「ぬ」のない「思ひかけ」という表現も、古今和歌集には見えなかったけれど、後撰和歌集では、詞書のものも含めて、13例見つかった。
十二月ばかりに大和へことにつきてまかりける程に、宿りて侍りける人の家のむすめを思ひかけて侍りけれども、やむごとなきことによりてまかりのぼりにけり。あくる春、親のもとにつかはしける
躬恒
かすが野におふる若菜を見てしより心をつねに思ひやるかな
(かすがのに おうるわかなを みてしより こころをつねに おもいやるかな)
後撰和歌集 巻一 春上 13
【語釈】
- おもひかく…心にとめる、予想する、恋する。
- やむごとなし…よんどころない、捨て置けない。
- こころ…精神(状態)、気持ち、情け、思いやり、情愛、意志、判断、本質、趣向、中心。
- つねなり…形容動詞。普通だ。永久不変だ。
- おもひやる…心をなぐさめる、はるかに思いを致す、想像する、気にかける、気を配る。
【微妙に怪しい意訳】
十二月頃、大和に用があって参りました時に、泊まらせてもらった家の人の娘のことが心にとまり、好きになったのですが、放っておけないような面倒ごとができてしまって、求愛することもなく辞去して都に戻りました。
翌年の春、彼女の親のところに、このような連絡を入れました。
「春日野で育った瑞々しい若菜のような、あなたのお嬢さんの姿を見てからというもの、私の愛はずっと変わらず、お嬢さんに向けて発信され続けているのです」
…………
この詞書の「思ひかく」は、明確に「恋慕する」という意味だろう。
よみびとしらず
秋の野に夜もや寝なむをみなへし花の名をのみ思ひかけつつ
(あきののに よるもやねなむ おみなえし はなのなをのみ おもいかけつつ)
後撰和歌集 巻第六 秋中 345
【意訳】
秋の野で野宿しようか。女郎花という、花の名前だけを恋い慕いながら。
……
特に恋愛について歌ってはいないけれど、そこいらじゅうに花が咲いていそうな野原で、花そのものではなく、花の名前だけを思って寝ようというのだから、この女郎花(おみなえし)は、ただの花ではなく、おそらくは恋着している女性なのだろう。
もちろん、異常なほど花の名前だけに夢中な変人の可能性はあるだろうけど、そんな奇妙な歌を、わざわざ勅撰和歌集に載せるとは思えない。
えがたかるべき女を思ひかけてつかはしける
かずならぬみ山がくれの時鳥人しれぬ音を鳴きつつぞふる
(かずならぬ みやまがくれの ほととぎす ひとしれぬねを なきつつぞふる)
後撰和歌集 巻第九 恋一 549
【多少怪しい意訳】
とても手に入れることの出来そうにない女性に片思いして、送った歌。
初めまして。
僕は引きこもりのモブキャラです。
山奥に引きこもって、誰にも聞かれることなく囀っているホトトギスみたいに、ひとりぼっちで泣きながら、手の届かない貴女を思って時を過ごしています。
こんな僕ですが、もしちょっとでも興味を持っていただけるようなら、会っていただけないでしょうか。
やっぱり、無理ですよね…
……
作者の 春道列樹(はるみちのつらき)(生年不明-920年没)は、醍醐天皇のころの官人で、官位は 従六位下。壱岐守(いきのかみ)を勤めた人だという。
清涼殿の殿上の間に登ることができる身分は、五位以上(一番下は従五位下)とされていて、その人々が貴族とされていた。
壱岐守が赴任する壱岐国(いきのくに)は、現在の長崎県壱岐市にあたり、弥生時代には大陸との交易の拠点として栄えていたのだとか。
一方で、大陸からの海賊の襲撃をたびたび受ける地域でもあり、「刀伊の入寇」(1019年)とよばれる女真族の大規模襲来事件では、この壱岐国が、対馬と共に多大な被害を被っている。当時の壱岐守だった藤原理忠(ふじわらのまさただ)は、応戦して殺されたという。
春道列樹も、それなりの覚悟を持って壱岐国に赴任したことだろう。
もしかすると、赴任前に、今生の思い出にと、手の届きそうにない女性への告白を決行したのかもしれない。
(_ _).。o○
こんな感じで、後撰和歌集の「思ひかけ」13例は、全て「(人を)恋い慕う」の意味で解釈が可能だった。
となると、古今和歌集の貫之の「思いかけぬを」も、そちらの意味で解釈したくなってくるわけで……
古今和歌集の貫之の331の歌の一つ前に、清原深養父が、同じように雪を花に見立てて詠んだ歌が載っている(後の【意訳】内で引用する)。
貫之と深養父は親しい間柄だったらしく、当時の歌壇の中心的な存在だった藤原兼輔の邸宅に集まって、歌や管弦の遊びを楽しむことがあったという。
331の紀貫之の歌は、直前の深養父の歌に触発されて詠まれたものだとしても、不自然ではないように思う。
また、後撰和歌集には、雪の日に貫之が兼輔を家に招こうとして贈った歌と、その返歌とが収録されている。
【以上のことを踏まえて捻り出した極めて怪しい意訳】
毎日寒い。
朝起きるのが、マジしんどい。
布団の中から出たくない…
この寒さに立ち向かって外に出るとか、狂気の沙汰だね。雪も降ってるし。
とはいうものの、仕事もあるし、ずっと引きこもっているわけにもいかないし…
そういえば清原の深養父さんが、変なメールを送ってきてたな。
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
古今和歌集 330
──────────
貫之くん
お元気ですか。
冬だけど、もうすっかり春ですね。
ほら、空から花びらが散り落ちて来てるでしょ?つまり、雲の上は満開の桜の園なんですよ。
いいなあ。
春爛漫の天国に、飛んで行きたいなあ…
深養父より
──────────
なんか、空から降ってくる雪を花びらだと思い込んで、そのまま昇天しそうな勢いなんだけど…
まさか深養父さん、家の中で凍死しかけてたりしないよね。心配だし、様子見に行ったほうがいいかなあ。
とは思うものの、やっぱり寒い。
布団の引力が強すぎる。
深養父さんちに年頃の娘さんとかがいれば、出かけるモチベーションも上がるんだけど、あそこ、息子しかいないんだよなあ。
春とは言わず、せめて夏だったら、多少暑くたって、さっさと訪問するんだけどな。
夏っていえば、前に藤原兼輔さんちで、深養父さんの琴を聴きながら、歌詠んだりしたことがあったなあ。懐かしいや。
みじか夜の更けゆくままに高砂の峯の松風ふくかとぞきく
後撰和歌集 巻第四 夏 167
足曳の山下水は行きかよひ琴の音にさへながるべらなり
後撰和歌集 巻第四 夏 168
あの夜の兼輔さん、めっちゃハイテンションだったよなあ。
「深養父くんの琴って、マジ最高かよ! これ聞いたら高砂やーの相生の松とか、じゃんじゃん縁結んじゃって、諸人こぞって孕んじゃう勢いじゃんよ! いやー目出度い! って、もう朝!? 夏の夜、短すぎるわ!」
って、大はしゃぎしてたっけ。
まあ僕も興奮してたけどね。
あの時の深養父さんの琴、ほんと、神がかってたし。山麓から流れ落ちる清らかな川の流れが、そのまま音楽になったみたいでさ。聞いてるだけで鳥肌たって涼しくなったもんな。
いつかまた、あの夜みたいな宴会やりたいなあ。
だけど兼輔さんとこも、息子ばっかりなんだよなあ。娘さんは一人だけいたけど、帝の更衣になっちゃったし。
出かけるのが面倒だし、うちに呼んじゃおうかな。
うん、メールしよっと。
ふりそめて友まつ雪はむば玉のわが黒髪のかはるなりけり
後撰和歌集 巻第八 冬 471
───────────
兼輔さんへ
もうずっと雪だけど、降り始めの頃の雪が、後から降ってくる仲間の雪を待って、解けずに残ってるね。
僕も歳が降り積もって、黒かった頭もすっかり雪みたいに白くなっちゃったから、白髪仲間の兼輔さんが遊びにくるのを待ってるよ。早く来てね。
あなたの貫之より🩷
───────────
送信っと。
うわっ、返事早っ!
どれどれ…
黒髪の色ふりかふる白雪の待ち出づる友はうとくぞありける
後撰和歌集 巻第八 冬 472
───────────
貫之くんへ
あのねえ、人を勝手に白髪仲間にしないでくれる?
僕はまだまだ黒いから!
若さいっぱいで、全身ぴちぴちしてるっての!
今から見せつけに行くから待ってなさいよ。
兼輔より
p.s. 深養父さんも呼んどいてね。
───────────
あはは、暇してたみたいだなあ、兼輔さんも。
それにしても、今日の雪は、よく降るなあ…
深養父さんじゃないけど、じーっと見てると、確かに花びらに見えないこともないな。
深養父さんにもメールしなくちゃ。
冬ごもり思ひかけぬを木の間より花と見るまで雪ぞふりける
古今和歌集 巻第六 冬 331
───────────
深養父さんへ
いまから、うちの庭でお花見しませんか?
兼輔さんも来るって。
春爛漫の雲のかなたから、続々と花びらが届いてるから、震えがくるほど春を満喫できるかもしれませんよー。
白髪仲間の貫之より
───────────
うわっ!
深養父さんも反応早いわ…
昔見し春は昔の春ながら我が身ひとつのあらずもあるかな
(新古今和歌集 巻十六 雑上 1450)
────────
貫之くんへ
うん、行くよ。春だもんね。楽しまなくちゃ。
それにしても、今年の春、寒すぎない?
空いっぱいの花吹雪は昔の春と変わらないのに。年取って、身体が寒さに耐えられなくなっちゃったのかなあ。
あ、でも僕、白髪はそんなにないからね。
深養父
────────
うん、とりあえず、凍死の心配はなさそうだな。雪が花びらに見えてるのは、老眼のせいかも。僕も少し危ないし。
寒いからって引きこもってて、友だちのこともあんまり気にかけてなかったけど、あの二人に会えると思っただけで、なんだか元気が出てくるよ。
さーて、お布団からも出られたし、白髪トリオがそろうまで、のんびり雪でも眺めて待とうか。
(_ _).。o○
恒例の、AIイラストコーナー。
今回は、清原深養父の新古今和歌集の歌(1450)の英訳を、AIイラストアプリ「Designer」に作画してもらった。
Spring comes round still as it did of yore,
but alas,
I stay not the same.
敗因は、画風の指定で、あまり深く考えずに「Pieter Bruegel風」としたことだと思う。
たしかにブリューゲルの「雪中の狩人」っぽくなっている。
多少無理やりだけど、春が巡ってきた感もある。
だけど深養父さん、どこいった?
後ろの素っ裸の人は何者??
AIイラストの道は、厳しい…。