湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

動画鑑賞日記「カーネーション」(1〜3回)

映像作品の鑑賞が苦手なのだけど、今年は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を最初から見ているせいか、ちょっと弾みがついたようで、例年になくいろいろな作品を観ている。

 

先月、Amazonプライム・ビデオでNHKオンデマンドのコンテンツが見られるように新規登録したので(有料)、元を取りたい思いもあって、公開されているドキュメンタリーやドラマを漁ることも増えた。

 

いまは、Amazonプライム・ビデオで、NHK連続ドラマ「カーネーションを、最初から少しづつ見ているところ。

 

先日観た伊藤野枝のドラマを「風よ あらしよ」と同じ頃の話だけれど、女性の人生が徹頭徹尾抑圧されていた印象の強かった野枝の物語と違って、「カーネーション」の女性たちの表情は明るくて、生き生きしている。

 

けれども、同じ時代背景なのだから、当然、厳しい要素も織り込まれてくる。

 

第1回

 

お話は、大正時代の呉服屋の長女、糸子の小学校時代から始まる。

 

お転婆な糸子の夢は、大工になって、だんじりの屋根上で華やかに指示を出す大工方になること。

 

だんじり当日、大工方を務める近所のお兄さんを見て大はしゃぎする糸子だけれど、幼馴染の悪ガキに、女が、大工方になれるはずがないとバカにされて、喧嘩になってしまう。

 

男尊女卑、夫唱婦随があたりまえの時代に、女の子が自由に職業を選ぶことなど許されず、まして男の仕事である大工を目指すなど不可能に等しい。

 

椎名林檎のテーマ曲が流れているとき、赤い服の小さな少女が、足踏みミシンの上でだんじりの大工方のそぶりをしているのが、あいらしくて、とても切ない。

 

食べ物メモ

 

ドラマを見れば、食べ物に目が吸い寄せられる。

 

歴メシというほど古くはないかもしれないけれど、約100年前の家庭料理は、いまとはずいぶん違っていて、とても興味深い。

 

第1回目には、だんじりのご馳走がいろいろと出てきた。

 

まず、朝の台所の風景。

 

大きな鍋で煮込まれている、おでん。

大根、ちくわ、がんもどき、こんにゃく、卵のほか、じゃがいもっぽい色のものも見える。

 

日本でじゃがいもが本格的に食べられるようになったのは明治維新後だと、Wikipediaに書いてあった。当初は西洋料理の食材として使われていたけれども、徐々に肉じゃがような日本料理にも取り入れられるようになったのだとか。

 

肉じゃがは明治初期には作られていたようなので、他の煮物にも自然にじゃがいもが使われるようになったのかもしれない。

 

桶に入った混ぜご飯の前には、エビ、サヤインゲン、薄切りにしたれんこん、サワガニっぽいものなどが、皿に盛られて並んでいる。混ぜご飯の具になるのだろうか。

 

皿の並びのなかに、乾燥した湯葉っぽいものも見える。置き場所的に、混ぜご飯関連なのだろうけど、私には、ご飯に湯葉を使うレシピに心当たりがない。

 

湯葉はお寺と縁の深い食材のようで、平安時代最澄が持ち帰って比叡山延暦寺に伝えたとも、鎌倉時代に禅や喫茶とともに伝来したとも言われ、精進料理によく使われている。

 

「乾燥湯葉」をご飯物に使うレシピがないかと思って、ネット検索してみたら、思いがけずいろいろ出てきた。(東北人の)私が知らないだけで、湯葉入りのご飯料理はポピュラーなものらしい。

 

「ちりめん湯葉ごはんの素」というものもあるそうで、混ぜるだけでいいタイプのものもあった。

 

 

糸子の祖母は、大きな籠いっぱいの蟹を手に取って大鍋に入れているいるシーンもあった。茹でるのだろう。タラバガニっぽいけど、足が少し短い気もする。海産物に疎い上に、茹でる前の蟹の全体像をほとんど見たことがないので、よくわからない。

 

 

夜の宴会シーンでは、客の男性が「うまいわ、このミズナス」と言いながら、ナスを手に持って齧っている。

 

「水なす」という品種は、大阪府泉州地域で盛んに栽培されているそうで、灰汁が少なくて、ほのかな甘味があり、生食も可能なのだという(Wikipediaによる)。

 

ドラマの中では「上手に漬けてはる!」も褒められていたので、生食ではなかったのだろうけど、見た目はほとんど生に近いようだったから、ごく軽い浅漬けだったのかもしれない。

 

食べてみたい。

 

 

だんじり翌日の子どもたちの朝食は、ご飯に汁にめざし一匹と、とても質素だった。

 

第2回

 

糸子の両親には娘しかおらず、長女の糸子は婿を取って呉服屋を継ぐことになっている。

 

けれども大工になりたい糸子は、家業に全く興味がなく、父親が反物の素晴らしさを滔々と語って教えていても、ちっとも聞かずに歯をほじっている。

 

学校の修身の時間、一人ずつ名前の由来と将来の夢を発表するときに、糸子は大工になりたいと言って、先生に注意される。

 

女は夫を立てて従うのが当たり前だという先生に、糸子は何故かと問うけれど、そうするのが当たり前だからとしか答えてもらえない。

 

腹を立てた糸子はクラスの男の子たちと喧嘩騒ぎを起こし、間に入った用務員さんに怪我をさせてしまうのだけど、商売の下手な父親の代わりに、集金に回ることで、説教をまんまと帳消しにしてもらう。

 

 

第3回

 

糸子には、父親よりも商才があるらしい。

 

駆け引きの苦手な父親の代わりに、払いの悪い客の家に行き、うまくお金を取り立てる特技があるのだ。

 

この日も、クラスメイトの家の料理屋に行って泣き脅しをかけ、店の客をうまく巻き込んで、取り立てに成功していた。

 

父親は賢い糸子を可愛がるものの、お前が息子だったら一緒に商売が出来ておもしろかったのにと残念がる。女でも商売が出来ると糸子が言っても、父親は取り合わず、聞き流すばかり。

 

年が明けて大正14年。糸子たち四姉妹は、母に連れられて神戸にある母方の祖父母の家を訪問し、おせち料理をご馳走になる。

 

食事のあとの大人たちの会話から、糸子たちの呉服屋が資金難で、問屋への支払いもままならず、実家にお金を借りてやりくりしていることが分かる。呉服を愛しているものの商売が下手な糸子の父親は、駆け落ち同然で糸子の母親と結婚して店を持ったものの、高価な反物を仕入れても売ることが出来ず、売れても集金がままならずで、儲かっていないようだ。

 

元々結婚に反対していた祖父が、糸子の母親に厳しい言葉を投げつけているのを、伊達巻きを齧りながら廊下をうろついていた糸子が聞き齧って、部屋に入ってくる。

 

あわてた祖父が、内孫の男の子に糸子の遊び相手になるように言いつけたため、糸子は従兄弟の部屋に行くのだけど、タイタニック号の模型や地球儀を見せようとする従兄弟には目もくれず、棚にあった、マイセンっぽい陶器の西洋人形に夢中になってしまう。

 

 

大正時代にマイセンの人形が日本に輸入されていたとしても不思議ではないのだけど、検索して調べてみたら、なんと第一次世界大戦後には、ジャパンマイセンと呼ばれる陶器の人形が、日本からアメリカに輸出されていたらしい。

 

ジャパン・マイセンとは、大正時代から欧米向けに輸出されて高評を得た磁器人業と装飾食器の総称です。


アメリカはドイツから人形を輸入していましたが、第1次世界大戦が始まるとその輸出がストップ。アメリカにドイツの人形は入って来なくなりました。上流階級人々は、人形の輸入先として日本の丸山陶器を選び、当時の技術ではかなり難しかった完成度の高い作品を丸山陶器は試行錯誤の結果、見事に完成させます。


アメリカの上流階級の人々はその作品を手にし、マイセンと同じ位に素晴らしい作品であると評価し「ジャパン・マイセン」と絶賛したのです。

 

(「ギャラリー陶里」のホームページより引用)

 

日本 | ギャラリー陶里

 

大正時代って、短いのに本当に奥が深い。

 

で、人形のドレスに夢中な糸子の様子を見た従兄弟は、糸子を強引に家の外に連れだして、舞踏会の会場に連れていく。そこで、糸子は踊っている西洋人女性たちのドレスに完全に魅せられてしまう。

 

呉服屋の少女と、ドレスとの、運命の出会い。

ゆっくり少しづつ見ようと思う。

 

 

食べ物メモ

 

集金に成功した糸子は、出迎えに来た父親に、ハンバーガーほどの大きさの食べ物を買ってもらって、歩きながら頬張っていた。

 

せんべいのようにも見えるけれども、糸子が食べる様子を見ると、パンほどの柔らかさのようで、かじったところに具らしきものもチラリと見える。

 

なんだろう。

あんぱんかなとも思うけれども、それにしては色が淡い。

 

 

 

 

カルメラ焼き(カルメ焼き)だろうか。

色的には、そちらのほうが近く思える。具が入ってあるように見えていたのは、影になっていたからかもしれない。

 

 


大正14年の正月のシーンでは、糸子の祖父母の家のおせち料理が出ていた。

 

まず、大皿…

エビ伊達巻き

何か具が入っているらしい卵焼き(推定)。

里芋。

タコ。

お花の形に切ったにんじん。

何の形か分からないけど飾り切りして煮たらしいさつまいも。

しいたけ。

松風焼(推定)。

おいしそうなハム。

鶏肉の二色巻(推定)。

金柑の甘露煮(推定)。

しめ鯖(推定)。

お花の形に切ったレンコン(推定)。

崩れた豆腐っぽいもの。

薄切りにした大根っぽいもので鮭色の何か巻いたもの。

奈良漬っぽいもの。

 

重箱のほうはカメラの動きが早すぎて、ほとんど確認できなかった。糸子が「その栗うちのやで!」と主張していたので、栗きんとんは入っていたらしい。

 

重箱の手前には、大きな伊勢海老が噴水のように盛り付けられていた。祖父母の家はずいぶん裕福らしい。

 

糸子たち四姉妹が、栗の所有権を巡って熾烈に争うのを見た母方の祖父が、「ちゃんと食べさせているのか」と苦言を呈していた。

 

大人たちの食後のデザートは、チョコレートだった。

 

チョコレートは江戸時代には長崎の出島経由で入って来ていたそうで、明治時代には国内で製造されるようになり、大正時代には森永製菓や明治製菓による工場生産も始まっていたという。

 

 

(_ _).。o○

 

こんな調子で毎回レビューを書いていたら、とても見終わりそうにない。

 

今後は気になった回だけ取り上げようかと思う。もちろん食べ物を中心に。