湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

2.26事件の復習

 

末っ子と一緒に、NHKオンデマンドで、NHKスペシャル「全貌 二・二六事件完全版 最高機密文書で迫る」を全部見た。

 

 

ニ・ニ六事件は、陸軍の青年将校たちが、人びとを搾取する特権階級を排除して天皇中心の政治に立ちかえるという目的で決起し、1500人近い下士官や兵を率いて、何人もの要人を襲撃して殺害したクーデター未遂事件。

 

当初は、陸軍の上層部にもクーデターの趣旨に共感し、支持する人も少なくなかったという。

 

ところが、天皇が激怒して自ら近衛を率いて鎮圧することも辞さないと言っていることが伝わると、様子見をしていた勢力は明確に鎮圧に動き、計画段階から支持していたはずの陸軍上層部も、青年将校たちを反乱軍として切り捨ててる選択をする。

 

結果、首謀者の将校の一部は自殺し、残りは逮捕され、下士官や兵たちは原隊に復帰し、クーデターは終了した。

 

エグい話になるのだろうと覚悟して見始めたのだけど、番組では要人暗殺の残虐シーンはさらりと流されていて、どちらかというと観察者的な立場だった海軍視点で、陸軍上層部や昭和天皇がどう判断して動いたかという話が多かった。

 

海軍は、事件が勃発してから鎮圧されるまでの詳細な情報を分刻みに記録していただけでなく、事件発生の1週間前には、事件の首謀者やターゲットのリストを入手していたのだという。

 

つまり、起きることが分かっていたクーデターを、誰も止めなかったということになる。

 

海軍は、事件の全貌を記録した機密文書を戦後になっても公開しなかったという。

 

首相や大臣の暗殺計画を詳細に把握した上で黙認していたという、まともな国家なら考えられないような背信行為をやったわけだから、とても公開できなかったのだろう。

 

しかも、狙われた当時の首相の岡田啓介は、元海軍大将だったのだから、身内を裏切ったようなものだ。

 

とはいうものの、時代ははっきりと軍国主義に向かって流れていて、海軍も一枚岩ではなく、中にはクーデターを起こした陸軍青年将校たちに共感する人もいないわけではなかったようで、事前に鎮圧に動くことは難しかったのかもしれない。Nスペのナレーションでは、組織の保身に走ったというような指摘をされていたけど、そういう事だったのだろうと思う。

 

昭和天皇は、陸軍の皇道派の影響を受けた青年将校のクーデターに激怒して、断固として鎮圧を命じたとされているけれど、海軍の機密文書によれば、事件当初は心が揺れていたようで、海軍の軍令部総長だった伏見宮博恭王を呼んで、海軍が陸軍の味方に付くことがないかどうかを問い、味方をしないという言質を取ったという。

 

Nスペでは、当時の昭和天皇が、ゴルフや麻雀を好むという軟弱な印象のためか、軍部にあまり支持されていなかったことから、他の皇族に天皇をすげ替えられる恐れを持っていたのではないかと指摘していた。

 

番組では語られなかったけど、決起した青年将校たちは、陸軍士官学校を出ていないためにエリートコースから外れた存在だったそうで、農村や漁村の貧困を直に知る機会も多かったことから、憂国の念を抱き、北一輝国家社会主義に傾倒して、彼の著作を聖典としていたことが、事件の背景にあったという。

 

始まりというかきっかけが、社会主義的で反資本主義的なのに、それとは直接関係のなさそうな国粋主義に結びついて激烈な排外主義に流れていくというのが、当時の国家社会主義というものなのだろうとは思う。ナチズムもだいたいそんな感じだろうし。

 

でも、北一輝自身は天皇機関説に従って、天皇の神格化を否定していたんだそうで、それがどうして皇道派と結びついてクーデターまで起こすことになるのか、さっぱりわからない。

 

そこのところを疑問に思った青年将校は、いなかったんだろうか。

 

昨日やっていた、山川日本史一問一答アプリの続き。

‎「山川一問一答日本史」をApp Storeで

 

無味乾燥な一問一答も、ドキュメンタリーを見たあとだと、映像イメージに助けられて記憶がはかどる。

 

【第十二問】

 

二・二六事件で官邸を襲撃された首相は誰か?

 

答…岡田啓介

 

末っ子が、日本史の授業で岡田首相襲撃の詳細を教えられたらしい。襲撃者たちは、官邸の日本間にいた秘書官の松尾伝蔵を首相と思い込んで機関銃で滅多撃ちにしたあと、拳銃でとどめをさしたという。写真で見ると、なんとなく雰囲気の似た二人なので、滅多撃ちにされたあとでは判別が難しかったのかもしれない。

 

当の岡田首相は女中部屋の押し入れに隠れていて、兵士たちが松尾を自分と誤認しているのを確認の上、翌日、弔問客に紛れて、反乱軍に占拠されていた官邸から脱出したそうだ。

 

Wikipediaには、岡田首相が松尾伝蔵について語る談話が掲載されていた。

 

福井で「おれは岡田大将に似ているだろう。このごろはひげの刈り方まで似せているんだ」と言っていたそうだが、いつも一緒に暮らしているわたしから見れば、似ているもなにもあったものではない。まるで別人だ。しいて言えば、二人とも年寄りであるということが似ているくらいのものだった。

 

JR福井駅前には、岡田啓介と松尾伝蔵の銅像が並んで立っているそうで、Googleマップで見学に飛んでみた。やっぱりちょっと雰囲気が似ていると思った。

 

【第十三問】

 

二・二六事件で殺害された大蔵大臣はだれか。

 

答…高橋是清

 

高橋是清という人について何も知らなかったので、Wikipediaの記事を読んでみたら、凄まじい人生を送った人だった。

 

実母は見習い奉公中に主人に手をつけられて、望まぬ妊娠してしまったのだという。

 

そんな事情だったため、是清は生後すぐに仙台藩足軽の家に養子に出されてしまう。

 

その後横浜のヘボン塾で学んで、藩命によって海外留学することになったのだけど、学費や渡航費用をアメリカ人の貿易商に奪われた上、ホームステイ先である貿易商の両親に騙されて、奴隷として売られてしまったのだというから、とんでもない話だ。

 

ところが本人は自分が奴隷になったことに気づかず、きつい勉強だと思いながら働き続けて、時にはサボるなどしつつ、英会話を習得していったのだとか。

 

その後、何をどうしたのかは不明だけど、一年後に帰国して文部省に入省し、大学予備門などで教壇に立つなどしていたけれども、明治22年にペルーに渡って銀鉱事業を行なって失敗。帰国してホームレスになる。

 

奴隷のから国家公務員になって、のちホームレス。

 

なかなか稀有な人生だ。

 

それから日本銀行に入行して、日露戦争のころには副総裁になり、イギリスに渡って戦費を調達。その後日銀総裁となり、大蔵大臣にもなり、原敬が暗殺されたあとには内閣総理大臣になってしまう。

 

犬養毅内閣でも大蔵大臣を務め、犬養が五・一五事件で暗殺されると、またしても総理大臣を臨時兼任。

 

波瀾万丈すぎて目が回る経歴だ。😵‍💫

転んでもただでは起きないというか、転ぶ前より遥かに出世するのだから、すごいとしか言いようがない。

 

というか、日本の総理大臣、殺されすぎだ。(´・ω・`)

 

だけど、ニ・ニ六事件では、岡田首相は殺されず、高橋是清が殺されてしまった。ケインズ政策実施によるインフレを懸念して、軍隊の予算を削ったせいで、軍部の恨みを買っていたという。

 

大蔵大臣を殺して、誰か幸せになったんだろうか。

 

【第十四問】

 

ニ・ニ六事件で殺された内大臣はだれか。

 

答…斎藤実

 

海軍大臣だった斎藤実は、犬養毅五・一五事件で暗殺されたあとに内閣総理大臣となり、蔵相の高橋是清と一緒に経済政策を推進し、満州国の承認、国際連盟からの脱退を表明した人だという。

リベラルで穏健な国際派だったためか、陸軍の青年将校たちに、昭和天皇を誑かす重臣とみなされ、敵視されていたんだとか。

 

 

【第十五問】

 

ニ・ニ六事件のあとに組閣した内閣名をあげよ。

 

答…広田弘毅内閣

 

広田弘毅という人は、外交官として平和を模索し続けていたのにもかかわらず、東京裁判で、首相時代に積極的な軍国主義者ではなかったものの、陸軍の歯止めにならなかったという理由で、A級戦犯として巣鴨で処刑されたという。

 

【第十六問】

 

広田弘毅内閣は、軍の要求をいれて軍部大臣に関する制度を復活したが、この制度をなんというか。

 

答…軍部大臣現役武官制

 

シビリアン・コントロール文民統制)の実質的な排除となったこの制度の復活が、東京裁判での有罪の大きな決め手になったらしい。

 

でもこれって、お断りしたら暗殺される話だったんじゃなかろうか…。

 

悲劇の文官という側面のある広田弘毅は、城山三郎の小説「落日燃ゆ」の主人公として描かれたことで、同情を集めたという。

 

 

【第十七問】

 

広田弘毅内閣は陸海軍による帝国国防方針の改定を受け、対ソ戦略(北進論)に加え、南進論を併記したが、これを何というか。

 

答…国策の基準

 

これも東京裁判で引っかかったのだろう。

 

(_ _).。o○

 

 

今夜は末っ子のリクエストで、飛鳥時代あたりのコンテンツを見る予定。

 

 

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