湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(40)罠と罠

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第40回「罠と罠」を視聴した。

 

和田合戦の気配が濃厚になってきた。

 

またブラック義時(小栗旬)の暗躍を見せつけられるのかと、胃がキューッとなるのを覚悟して見始めたのだけど、なにしろ相手が単純素朴な人情家の和田義盛横田栄司)だから、どうしても気が抜ける場面があって、ありがたいことに緊迫感はそれほどでもなかった。

 

とはいうものの、ドラマはシビアに進んでいく。

 

事の発端は、和田義盛の息子たちや甥が、泉親衡という信濃の武士による反北条キャンペーンに乗っかって、挙兵に手を貸したことだった。

 

この機会に和田を滅ぼして、北条一強の時代を作ろうと考えているブラック義時は、わざと和田一族を挑発し、謀反を起こさせようともくろむ。

 

泉親衡の件で、和田義盛の息子たちはお咎めなしとなったけれども、甥の和田胤長(細川岳)だけは、積極的に乱に加担していたとして許されず、流罪が決まってしまう。

 

胤長を許してもらうために、和田義盛は一族の者たちを大勢引き連れて御所に参上する。ナレーションによると、この謝罪に加わった和田の一族は98人だったという。

 

時房が、

 

「ものすごいことになっています! 無数の和田義盛が集まっています!」

 

と、シュールなことを言っていたのに、義時と文官たちは完全スルー。ツッコミは視聴者に託すスタイルなんだろうか。

 

ちょっと横道にそれるけれども、「吾妻鏡」には、このとき和田義盛は、木蘭地の水干に葛袴を着ていたと書かれている。

 

 

木蘭地は、赤みのある黄を帯びた茶色だという。葛袴は、 葛布(くずぬの・葛の繊維で織った布)で作った小袴だそうだ。

 

けれともドラマの義盛がこの場面で身につけていたのは、水干ではなく直垂のように見える。色も木蘭地とは違うようだ。

 

水干はフォーマル、直垂はどちらかと言うとカジュアルということだから、「吾妻鏡」の義盛は、甥の赦免を願うために、敢えてフォーマルな衣装を身につけて、御所に参上したことになる。

 

対して、ドラマの義盛は、衣装を整えようなどという発想もなく、普段着のまま大勢で押しかけて、実朝と面会さえできれば、なんとかなると考えていたようだった。

 

たしかにドラマの義盛には水干姿が似合うとは思えない。蛇足になるけど、つねに胸をはだけている八田知家の水干姿は全く想像できない。三浦義村ならアリかもしれない。

 

話を戻す。

義時は、縄をかけた胤長を、わざと「無数の和田義盛」の前に引き立てて見せつけ、陸奥国に流してしまう。

 

さらに義時は、胤長の屋敷一族の者に渡さず没収し、和田一族のヘイトを稼ぎまくる。

 

義盛の人柄を慕う実朝や泰時は、なんとしても和田討伐を止めようとするけれども、義時は全く耳を貸そうとしない。御家人内ゲバを心から嫌悪する政子が義時を叱っても、効果なし。

 

そこで政子は、北条家に伝わる秘策である「女装」を発動し、女物の着物を被った義盛を内密に御所に引き入れ、実朝の前で義時と会見させて、強引に和解させることに成功する。

 

和田義盛の女装はかなり恐ろしかったけど、水干よりは似合っていたんじゃないかという気もする。

 

そして、義盛の実直な言葉は、義時の心を少しは動かしたように見えた。

 

ところが、義時との和解が成立したと信じた義盛が、実朝と双六などはじめてしまってなかなか帰宅しなかったために、義盛が北条の罠に嵌められたと考えた和田の一族は、とうとう挙兵に踏み切ってしまう。

 

和田側の挙兵メンバーには、三浦義村八田知家たちもいた。義村は乱勃発と同時に和田を裏切って義時に寝返る予定だったけれども、義村たちを疑った巴に起請文を書かされてしまったために、寝返り計画がボツとなる。

 

次回はとうとう和田合戦になるのだろうけど、巴はどうなるのだろう。生き延びるのか、それとも……

 

 

(_ _).。o○

 

毎度楽しみにしている歴メシコーナー。

 

まず、義時と時房が、酒を飲みながら都の御所の復興事業について話し合っているシーン。

 

二人の間には折敷が二つあって、一つには酒が入っていると思われる首長のボトルが載っている。もう一つには肴を盛ったらしき皿があるのだけど、画面が暗くて中身がよく見えない。

 

義時が口に運ぶときにちらりと見えたのは、煎餅のように平べったい、直径4〜5センチほどの、灰色っぽいもの。何なのだろう。

 

色が蕎麦っぽいので、蕎麦焼き餅かなとも思うけれども、厚みが1センチもなさそうなので、具を入れずに、煎餅に近い感じに焼き上げたのか。

 

蕎麦は、平安時代までは、殻が硬くて調理しにくいために、非常食としての雑穀扱いだったという。鎌倉時代に入って、中国から引き臼が伝わってからは、蕎麦を使った料理が増えてきたらしいけれど、執権の地位にある人が、酒の肴にわざわざ蕎麦焼き餅を食べるかというと、ちょっと分からない。

 

となると、小麦粉を焼いたものだろうか。色が濃いのは何か混ぜているからか。知りたい。

 

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和田義盛三浦義村が差し向かいで酒を飲むシーンもあった。ここでも折敷の上に肴があって、義村が指で摘んで食べているのだけど、暗くてよくわからない。

 

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実朝夫妻と、政子、実朝の乳母の実衣、のえ(義時の後妻)が、大根の葉っぱの筋を取っているシーンでは、政子が時々大根汁を作る話をしていた。尼御台となってからも、料理をしているのだろうか。

 

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歴メシネタではないけれど、最後のほうで、挙兵のために和田義盛の屋敷に集まった者たちが、起請文と思われるものを燃やした灰を茶碗に入れて、水に溶かし、皆で回し飲むシーンがあった。

 

これは「一味神水(いちみしんすい)」、あるいは「神水起請(しんすいきしょう)」と呼ばれる儀式だそうで、中世日本で行われていたという。約束を破った者には神罰がくだることになっているそうだけれども、三浦義村はバチが当たらなかったんだろうか。