湯飲みの横に防水機能のない日記

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「鎌倉殿の13人」(39)穏やかな一日


NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第39回「平穏な一日」を視聴した。


このドラマに「平穏」な一日があると言われても、全く信用できないと思いながら見始めたけれども、予想通り、不穏なフラグが立ちまくっている回だった。


まず、和田合戦フラグ。

 

和田義盛(横田栄司)が将軍実朝(坂口健太郎)に、上総介任官をおねだりしたものの、政子と義時につっぱねられて、叶わずに終わる。単細胞な和田義盛は、そのことで義時にストレートな怒りを抱き、他の御家人たちも北条氏との格差が開いていくことに不満を募らせていく。

 

そして、このドラマ最大の不幸イベントとも言える、実朝暗殺フラグ。


亡き頼家の遺児であり、実朝の猶子でもある善哉は、公暁(寛一郎)と名を改め、数年後に殺害する実朝に暗い視線を送りつつ、出家して鎌倉を去る。

 

実朝と一緒に公暁に殺される予定の源仲章(生田斗真)は、後鳥羽上皇の意を受けて鎌倉殿の近くで仕え、温厚な三好康信(小林隆)を押しのけるようにして和歌の指南などをしているけれども、仲章自身は抜きんでた芸術の才能があるわけでもないようで、藤原定家の指導の仲介役のような形に収まっているようだ。何かにつけて嫌味な言動の多い源仲章だけれども、嫌味の一つ一つが死亡フラグのようにも見えてきて、多少気の毒になってくる。


北条義時(小栗旬)は、どんどん政治家としての黒さを増していて、北条を武家のトップに据えるためならどんな汚い手でも使う覚悟を決めてしまっているようだった。けれども根が人情に厚い性格であるだけに、内側にため込んでいる思いはずいぶんと重そうで、顔色もあまりよくない。

 

その様子を間近に見ている嫡男の泰時も、いろいろと考え込んで、半端なく大きなストレスをため込んでいる。

 

そこで立つのは、悪妻フラグだ。


当主と嫡男のせいで北条の屋敷は大変に辛気臭く、義時の後妻ののえ(伊賀の方・菊地凛子)が、男性陣のいないところで散々悪態をついている。


ドラマでは、しょっぱなから骨太な悪妻という裏の顔を披露したのえだけれども、北条の女性たちとはうまくやっているようで、泰時の妻の初(福地桃子)とも本音に近い語り合いをしている。

 

のえは前妻の息子である北条朝時(西本たける)を下品だといって毛嫌いしていて、それを初の前で取り繕おうともしない。のえにも実子が生まれているので、先妻たちの息子は、たとえ下品でなくても邪魔な存在だろう。

 

Wikipediaの伊賀の方の記事によると、彼女には義時を毒殺した疑いがあるという。また、義時の死後に実子を執権に、娘婿を将軍にしようとしたとして、謀反の罪に問われて伊豆に流罪になり、数か月後に死亡したらしい。

 

ドラマの中ののえも権力欲は旺盛で、義時の地位だけを目当てに、柄にもない良妻の仮面をかぶって後妻に収まっていたけれども、夫をストレートに毒殺するようなタイプとは思えない。とはいうものの、自分の好みではない夫の日々の食事に身体に悪いものをさりげなく混ぜ込んで早死にを画策することぐらいは、やりそうでもある。

 

北条朝時もささやかなフラグを立てている。
継母ののえに嫌われている彼は、御所の女房であるよもぎ(さとうほなみ)に手を出して捨てたことで実朝の怒りを買い、父義時にも叱られる。のえによる朝時の低評価は、あながち的外れではないようだ。

 

とはいうものの、軽薄一辺倒という人物でもないようで、義時に叱られているときに見せた表情からは、屈折した内面がうかがえた。

 

Wikipediaによると、離縁した比奈(堀田真由)の息子である朝時は、祖父である時政夫妻の嫡男だった政範の死後、時政の後継者として見られていた可能性があるらしい。時政が牧の方事件で失脚したため、そういう話は消えたのだろうけれども、朝時の心の中には自分こそが北条家の本流だという意識があったのかもしれないという。

 

そんな朝時の意識の影響を受けたのか、朝時の息子たちは、得宗家に対してたびたび謀反を起こして、流罪になったり殺されたりするという。


このように、不穏なフラグ満載の「平穏な一日」だけれども、私にとって一番衝撃的だったのは、実朝が泰時に恋の歌を贈り、返歌を求めたことかもしれない。


実朝が、妻の千世(坊門信清の娘・加藤小夏)と実質的な夫婦関係でないことに気を揉んだ乳母の実衣が、側室を迎えることを実朝に強く勧めるけれども、実朝は拒絶する。

 

千世も、自分を避け続け、男の御家人たちにばかり心を許している夫の振る舞いに傷ついていて、自ら側室の件を申し出るものの、実朝は応じようとしない。


涙ながらに理由を問う千世に対して、実朝は、嫌いなのではない、どうしてもその気になれないのだと、女性を受け入れられない自らの苦悩を打ち明ける。そこではじめて実朝と千世は互いの本心を伝え合ったのだけれども、結局実質的な夫婦にはなれないままだった。


その一方で、実朝は、どうやら泰時に深い思いを寄せていたらしい。

 

弓の技くらべで鶴丸(平盛綱・きづき)が的を射て勝ちを決めた時、幼なじみの泰時と抱き合って喜んでいるのを見た実朝は、不愉快そうに眼をそらしていた。

 

その後、義時が鶴丸御家人に推挙すると、実朝は、いつになく感情的に却下してしまう。

 

鶴丸への嫉妬心からの却下だろうけれども、表向きの却下の理由として、実朝が和田義盛国司に任命しなかった件を挙げたため、義時は引き下がらざるを得なかった。

 

けれども義時は、自分が政から退くといって実朝を脅した上で、時政の謀反を退けた件での自分への褒美を鶴丸に下げ渡すという形で、結局思い通りに事を運んでしまう。

 

妻と本当の夫婦になれず、世継ぎを得られない苦悩。
名ばかりのお飾りのような将軍であることを求められる不満。

心を許せる側近もなく、親しい御家人たちとも距離を置かされてしまう孤独。

 

そんな実朝にとって、穏やかに自分の気持ちに寄り添おうとしてくれる泰時の存在は、かけがえのないものだったのだろう。

 

恋心を和歌の形で泰時に贈れば、返歌として泰時から思いを返してもらえる。その思い付きに、実朝は心躍ったのではないだろうか。

 

平安の男性歌人たちは、友人同士や、聟舅の間柄であっても、まるで恋人同士のような歌を贈り合うこともあった。和歌を学んだ実朝は、そういう事例をきっと知っていたはずだ。

 

たとえ古来からの様式に従ったやりとりだとしても、実朝は和歌の中だけでも泰時と結ばれたかったのかもしれない。

 


春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなき

 


実朝の歌集である「金塊和歌集」の「恋」の部に、「初恋の心をよめる」として掲載されているこの歌は、内に秘めた恋心を伝える歌であるらしい。


和歌に疎い泰時は、歌意がさっぱり分からず、返歌を求められて頭を抱えていたけれども、たまたま通りかかった源仲章に、恋の歌としての解釈を教えられる。


歌の中の「おぼつかなき(おぼつかなし)」には、「ほのかである」と「(恋しい相手に)会いたくてたまらない・待ち遠しい」の意味がある。源仲章はその両方の意味を取り入れて、

 

春の霞のせいで、はっきりと姿を見せない桜の花のように、病でやつれた己を見られたくはない。されど恋しいあなたに会いたい。切なきは、恋心。

 

と読み解いて見せる。

 

泰時がそれを聞いて、実朝の本心に気づいたのかどうかは分からない。もしかしたら、うっすらと察するものがあったのかもしれない。

 

けれども泰時は、間違った歌を贈られたのだということにして、実朝に申し出て別の歌に取り換えてもらっていた。

 

恋心を受け取ることすら泰時に拒否された実朝の心の内は、音のない絶望に占められていたのではなかろうか。


などと想像(妄想)たくましく鑑賞していたけれども、脚本家さんの真意は分からない。

 

泰時は、替えてもらった歌には返歌したのだろうか。

 

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( _ _ ).。o○

 

毎度恒例の歴メシコーナー。


たとえ食事シーンがなくても、強引にネタを探して欠かさず書く覚悟だけれども、今回はいくつか飲食のシーンがあった。


まず、執務中の大江広元に、義時がお茶を出すシーン。
白木の折敷に、白い茶碗を二つ載せて出していた。

 

たぶん、このドラマでお茶とはっきりわかるものが出てきたのは、今回が初めてではないかと思う。これまでは鎌倉の人々は昼間の会合でも酒を飲んでいた。栄西が中国から持ち帰って伝えた茶が、ようやく鎌倉にも広がってきたということかもしれない。


義時が自分でお茶を入れたのかどうかは不明。背後の机に、金属製の急須かやかんのようなものが見えていたけれども、茶器を置く場所のようにも思えなかったので、硯用の水を継ぐためのものかもしれない。


のえと初が、歓談しているシーンでは、前回も登場した無地の水次のそばに、白い茶碗があった。こちらもお茶を飲んでいたのかもしれない。


高めの脚のついた折敷には、サクランボらしきもの、桑の実、殻付きの生くるみ(推定)、オレンジ色と赤色の、ドライフルーツっぽい何か。

 

赤いのはドライフルーツにした李(すもも)だろうか。

 

オレンジ色のほうはビワっぽい色だけれど、ビワを干したものにしては色鮮やかすぎるので、違うかもしれない。


ネットで見るドライピーチが、似たような感じだったけれども、どうだろうか。

 

彩りよく盛られていて美味しそうだったのだけど、北条朝時ががばっと鷲掴みしたせいで、よく見えなかった。のえが朝時を嫌うのも分かる気がする。