こんにちは。
朝は教会の日曜学校へ。
末っ子がスキー合宿なので、私一人で参加した。
今日のお話は、マルコによる福音書の第8章、イエスが弟子たちに、「人々はわたしをだれと言っているか」と問うところ。
イエスこそがキリストであると答える弟子たちに向かって、イエスは将来自分がユダヤの長老たちに捨てられて十字架にかけられるのだと話すと、弟子の一人であるペテロが、そんなことを言ってはいけないと諌める。
ペテロをはじめとする弟子たちは、イエスこそが、自分たちの王となって国を栄えさせると信じていたらしい。中には、イエスに付き従うことで、世俗的な栄誉を得ることを願う弟子もいたのかもしれない。
そんなペテロに向かって、イエスは痛烈な言葉を投げかける。
「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」
そのあとイエスは群衆を呼び寄せて、
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思うものはそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう」
と言う。
ものすごい宣言だと思う。
現世利益ゼロ、殉教待ったなしの教えに、群衆が従ったとは思えない。弟子たちも混乱したことだろう。
この後の第9章で、イエスは重いてんかんを患っていると思われる子どもを助けるように、子どもの父親に願われるのだけど、自分の弟子たちが子どもを救えずにいるのを見て、ブチキレる。
「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をわたしの所ところに連れてきなさい」
ダメ弟子全員をまとめて破門しそうな勢いだけれど、イエスは最後の日まで彼らを見限ることなく、そばに置いている。
ただ、罵詈雑言を止めるつもりはなかったようで、
「他人の信仰を邪魔するような奴は首に石臼を結びつけて海に放り込まれろ」
とか、
「罪を犯しそうなら、手足をぶった斬れ、目ん玉もくり抜け」
とか、どんどん言葉が過激になっていく。
自分が十字架に架けられる日が近いと知らせたにもかかわらず、弟子たちの信仰が深まらず右往左往している姿を見て、よほど苛立ったのだろうか。
それを差し引いたとしても、イエスという方は、なかなか短気で辛辣な性格だったように思えてならない。
(_ _).。o○
あすけん、という健康アプリを、まじめに使うことにした。
毎日の食事の記録と、歩数記録、体重等の健康チェックを続けると、栄養士さんからのアドバイスがもらえる。
今日一日で口に入れたものを漏れなく記録した結果、どうも私は食べ足りていないらしいと分かった。
カロリー不足で、脂質とタンパク質がかなり不足しているのだという。
食べ足りていないのに、なんで体重が減らないのか。理不尽だ。
なにはともあれ、足りていないものを意識しつつ、明日もきちんと記録を取ろうと思う。