湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ブログがオワコンとか知らないという日記

おはようございます。

 

そうだ、ひさびさに目次をつけてみよう。

 

【目次】

 

今日のふにゃもらけとBGM

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ふにゃもらけ部屋は、微妙にハロウィン仕様にしてみた。

 

 今朝のBGMは、ニコライ・カプースチンの「8つの演奏会用エチュード」。

大好きなアルバムだ。ウクライナ出身の作曲家でピアニスト。ジャズとクラシックが溶け合った作風が、日常のいろいろな場面にとてもよくなじむ。

 

カプースチン:8つの演奏会用エチュード

カプースチン:8つの演奏会用エチュード

 

 

ブログがオワコンとか知らないという日記

 

ブログの広告に、「ブログはオワコン」みたいなのが、しょっちゅうでてくるようになった。

 

ブログサービスも閉鎖終了するところが出てきているので、そろそろ収束の流れがはじまりつつあるのかなと思わなくもない。(はてなブログ様、どうか末永く続いてくださいますようお願いします)。

 

でも、「ブログはオワコン」的な広告が画面にバーンと出てくるのを見ていると、時代の流れ、というか、時代を都合よく少しばかり早めに流そうとしている人たちがいるということのようにも思えて、ちょっとうっとうしい。(´・ω・`)

 

始まったものは、いつか終わる。

そんなことは、いやというほど知っている。

 

インターネットが出現してから、パソコン通信がそれほど長引くことのなかった先細りの時期を経て廃止された(例えば某niftyとかである)。

 

それでインターネットで個人で作るホームページをがんばってやっていたら、今度は便利なブログサービスが流行ってきて、ホームページ作成へのサービス提供が終わって行った(例えば某niftyとかである)。

 

情弱であるため、某niftyのホームページサービス終了を知ったのはデータが消されてしまう直前だった。あれは、焦った。

 

internet.watch.impress.co.jp

 

 

で、今度はブログが斜陽になるぞという話であるらしい。

 

(蛇足だが某niftyのブログサービス「ココログ」も使っていたけど、そちらはホームページ廃止のときに全部やめた。削除する前にログを取っておかなかったのは痛恨の極みである)。

 

(これまた蛇足だが、十数年の長きにわたって使っていた某niftyのメアドは誰かにハッキングされてAmazonからの微々たる収益数百円を強奪されたので解約した。どこの誰が数百円を盗んだのか分からないが、盗んだ誰かに大いなる幸いが訪れるようにと願わずにはいられない。二度とケチな盗みを働かなくても済むように。)

 

パソコン通信やホームページのときのように、ブログサービスが次々と終焉するようなことになるとたまらない。うかつな私はブログアプリに直接書いて投げることがほとんどで、テキストをローカルに残していないことが多いからだ。

 

防衛のため、情弱なりに情報を集めておこうと思って、「ブログ オワコン」などの検索ワードであちこち眺めていたら、どうもこの「オワコン」というのは、ブログではなく、ブログで収益をあげるほうの話であると察せられた。

 

そして、次に収益化の手段として推奨されているものは、YouTubeなどの動画であるらしい。

 

そうであるなら、この「ブログはオワコン」とやらの流れは、私にはあまり関係のない話である。

 

ブログが収益になるなら、それはありがたい話であるけれど(書籍代欲しい…)、私の文章では、アクセス数を稼ぐコンテンツを作ることは難しい。そもそも、儲かりそうな、つまり多くの人の耳目を集めそうな話題に興味がないのだから、しかたがない。記事の冒頭に「ふにゃもらけ」の自室画像を貼り付けて喜んでいる人のブログがバズるはずがない(ふにゃもらけ君、ごめんなさい)。

 

たぶん 私は、テキストを残したいだけなのだ。

生きていた証を残したい、というと大げさになるけれど、それに近い気持ちはたしかにある。

 

それと、自分が唯一使うことのできる日本語の世界が、いつまでも豊穣なものであってほしいという願いもある。多くの日本語の書き手が、自分の言葉をつづり、言葉を読み、新しい言語芸術を生み出していく、そんな姿を生きている限り見届けたいのだ。

 

「ブログがオワコン」で動画が流行るのなら、それでもいい。動画でやりとりされるのも、言葉だからだ。多くの動画がテキストメインでないのは惜しいけれども(そりゃそうだ)、動画にもテロップがある。解説欄やコメント欄も文字言語だ。

 

私自身は動画はほとんど見ないけれども、自分で動画を作ってYouTubeにあげることもある。私が作るのだから、もちろんテキストメインの動画である。手間がかかるから、うつ病人にはハードルが高いけれども、どうしても時代が動画となってしまったら、そちらにシフトするのもやぶさかではない。ブログとともにダムに沈むのではなく、ブログにのっけたテキストを抱えたまま別の世界に泳ぎ渡る覚悟はある。これまでも、そうやってきたのだから。

 

 

今日のやることリスト

  • 本の整理
  • ブログの記事の整理(1日に20本を目安に)
  • 腰痛体操(フラとか)

 

 昨日の日記

亭主が久々に出勤したので、お昼は長女さんと二人でマックのドライブスルーに出かけた。私が食べたのはエグチセット。長女さんはビッグマックだったか。

 

 

昨日の過去ログ転載

 

その後、長女さんは仕事に出かけ、私は帰宅してブログの整理をしていた。昨日は過去ログをたくさん転載した。

 

無神経語録

dakkimaru.hatenablog.com

 

 まだ上2人の子どもたちが小さかったころ、周囲の人々に投げかけられた、いわゆる「心無い言葉」についての日記。読み返してみても、もはや心が波立つことはない。

 

自閉症の息子について、「育て方のせい」云々と言ってきた人は、ほんとうに多かった。先祖のタタリだの夫婦仲について邪推するような人もいた。難病児や障害児を目の当たりにすると、合理的な思考ができなくなる人が出てくるのは今も昔もそんなに変わらないのかもしれないけれど、昔よりはだいぶマシになったと思いたい。

 

 

鬱病戦隊メランコリア

dakkimaru.hatenablog.com

 

いまも昔も、大学進学後に精神を病む学生は少なくない。

いまの大学は、保健管理センターやカウンセリングルームがかなり積極的に動くようだけれども(亭主の大学はそうらしい)、昔の大学は放置だった。私の大学在学中に、知り合いの学生がすくなとも四人、おそらくは自殺で亡くなっている。自分が親になってみて、あの亡くなった学生たちの親御さんの心痛を思うと気が遠くなりそうになる。生きていれば、いまごろ皆アラ還である。若い人には、なんとしても自ら死なないでもらいたい。生き延びてほしい。

 

春の心配

dakkimaru.hatenablog.com

 

育児日記。

こんな日々もあったなと、読み返していて思い出す。

当時の自分に教えてやりたい。それがそうなのは、そのことが問題ではないのだと……。

 

 

 大人の読書、子どもの読書

dakkimaru.hatenablog.com

 

このころの私は、ファンタジー小説を熱心に読んでいたようだ。

もともとスペースオペラ風のSF小説が大好きだったのだけど、学生時代にファンタジーにシフトしたように記憶している。

 

 

押し付けられて読まされる本はつまらない

dakkimaru.hatenablog.com

 

 「ソフィーの世界」という、子ども向け教養ファンタジー小説についての、薄っすら毒のまじった感想。

 

 

 

カタプレキシー

dakkimaru.hatenablog.com

 

ナルコレプシーと併発する、情動脱力発作といわれる症状について書いた日記。

日記のなかにもあるけれど、ナルコレプシー発達障害との併発が多いのだそうだ。私はまさにそのタイプだったことになる。

 

大笑いすると腕の力が抜けてしまって、字が書けなくなる。

寝入りばなに酷い金縛りにあって苦しむ。

 

子どものころ、散々悩まされたそれらの症状は、三十代に入ってから、ほとんど起きなくなった。年齢とともに、未発達だった脳の部位が発達し、改善したのだろうかもしれないと想像している。


腰関連

dakkimaru.hatenablog.com

 

ぎっくり腰の思い出。

このときのぎっくり腰の痛みは、いまも生々しく記憶している。

 

だけど「蟻」という小説を読んた記憶がない。おそらく読了できなかったのだろう。読みたいけど、本を探すのは蟻の個体を弁別するのと同じくらい難しいかもしれない。

 

やれやれ

dakkimaru.hatenablog.com

 

一昨日あたり、長女さんと末っ子が、この日記に出てくる「マティックス」というゲームで遊んでいたので、「それって十五年前に買ったんだよ」と教えたら、長女さんがとても驚いていた。もっと後になって買ったのだと思っていたのだ。書き残していなければ、私も思い出すことはなかっただろう。

 

今日の大惨事

dakkimaru.hatenablog.com

 

息子の「粘土でヘアカラー」事件。

これは、ほんとうに忘れていた。

日記を丁寧に再読してみても、自前の脳内では記憶のカケラも見いだせなかった。

 

でも、これからしばらくしてから、息子が自分の髪の毛に延々とこだわる時代が来たことは覚えている。

 

前髪などを勝手にはさみで切ってしまうようになるのだ。

最近では、そういうことはめったになくなった。

 

 

以上、日記の転載記録である。

このほか、本のレビューなども転載したけど、それはまた別の記事でまとめて紹介しようと思う。