湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

古い日記についての日記

 

最近転載している15年前の日記よりも、さらに古い、19年ほど前の育児日記を発掘したので、そちらの転載も平行して開始することにした。

 

息子の言葉・施設での生活

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当時、息子は三才、長女さんは四才。

末っ子が生まれるのは、この四年後になる。

息子は二歳で重度の広汎性発達障害と診断され、その直後から地元の障害児施設へ、週に二回ほど、お試しみたいな感じで母子通所するようになった。

翌年、三歳になってから、正式に入園したものの、しょっぱなからトラブルだらけの通園だった。

 

息子にとっては意味不明の珍奇な試練だったかもしれないけれども、悪いことばかりではなかったと思いたい。

 

私にとっては、不条理に呆然とする日々だったように思う。


古い日記はバラバラに保管されているため、順不同の転載となるけれども、あまりにギスギスした文章はそれなりに薄めて、ゆっくり移していこうと思う。

 

 

飛ぶように過ぎていく

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こちらは15年前の日記からの転載。

 

育児日記なのに、マンガやラノベについて書いた字数が多いのは、ほぼ仕様といっていい。このころ読んでいた「今日からマ王」シリーズ、最後まで読んでいない。トイレで流されて異世界に転移するという、ものすごいはじまりの物語だったけど、一体どういう形で決着したのだろうか。アニメシリーズがAmazonプライムビデオで見られるようなので、そのうち覗いてみよう。

 

 

花粉症で目が痛い

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ゴンチチの「放課後の音楽室」を聞いている。

この曲、末っ子が生まれるときに陣痛室でも聞いていた記憶がある。

 

曲のイメージとしては、放課後の音楽室というよりも、人類が滅亡したあとの夕日、という感じに思えるなあ、などと思っていたけど、いま聞いてもそんな感じだ。

 

 

頭痛三日目

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このころ、よく頭痛に悩まされていた。

たぶん睡眠時無呼吸症候群の症状が出ていたのだろうと思う。

診断がつくのは、この数年後。

 

末っ子の抱っこひもで肩こりが酷くなったので、スリングを購入して、多少楽になったのだったか。

 

いまも売ってるのかなと思って、Amazonの商品情報を見ていたら、ずいぶんいろいろなタイプのものがあった。私が買ったのに似たタイプのものもあって、懐かしかった。

 

 

 

ふう・・・

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当時、息子は地元の小学校の特殊学級(その後、特別支援学級という名称に変わった)に通っていた。

 

そこでは学校の方針として、普通学級との交流がけっこう盛んにおこなわれていて、給食時に同じ学年の普通学級で食事したり、掃除のときには上級生が持ち回りで手伝いに入ったりしていた。林間学校や修学旅行でも、息子は普通学級の子たちの世話になりながら、一緒にお泊りしたのだった。

 

だから、息子を連れて道を歩いていると、「あ、◯◯くんだ!」と声をかけてくれる子がよくいた。親の手から離れたところで、息子が地域のコミュニティに参加していると感じられて、ほんとうにうれしかった。

 

 

 

子どもたち

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当時の朝は本当に忙しかった。

息子を学校に送り届け、朝の支度に付き合って、ついでに長女さんの担任の先生とも話す。長女さんが入院すると、病院に飛んでいって付き添うという日課も加わる。もちろん末っ子の世話もある。同じ生活を今やったら、たぶん三日ももたないだろう。

 

 

やれやれ…

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当時の長女さんは、やたらとダジャレに凝って連発していた。

ダジャレが苦手な私にとっては、頭痛のタネだったのだけど、先日聞いてみたら、授業でダジャレを指導されていたのだという。

 

長女さんが最も称賛するダジャレは、クラス女の子が発表したという、

 

牛を失った

 

というダジャレだそうだ。

 

 

 

懇談会

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なんとかPTA役員を回避したい、などという軟弱なことを書いている日記。

 

当時の私に教えてやりたい。

このあと、通算8回も役員を引き受けることになるのだと。

しかもそのうち2回は、本部役員だった。毎年のPTA総会で前に座らせられて、司会だのなんだのをやる、アレである。

 

 

外出まであと二時間。

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担任の先生との面談の時間に遅れることのないよう、睡魔と闘うため、にひたすら日記を書いている。

 

とにかくヒマさえあれば、書いていた。疲れ切ってボロボロでも、脳さえ動かしていれば乗り切れると信じていた。若かったのだと思う。

 

 

面食い息子

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小学校の個人面談のときに、息子を他の教室で預かってもらっていたことを書いている。これはほんとうにありがたい配慮だった。

 

息子は特別支援学校の中学部に進学したのだけど、そちらでは、息子も面談に参加するのがルールだった。大丈夫かしらと不安になったものだったけど、成長した息子は、ちゃんと着席して面談を乗り切っていたことが多かったように記憶している。

 

 

 

ほとんど寝ていない

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面談の翌日は、懇談会。

当時の春先は、学校行事が目白押しで、ほんとうに忙しかった。

 

そんなときに夜泣きを食らうと、ごく当たり前の日常生活が極限状況に近づいていく。

 

Twitterで、発達障害児を育てている若いお母さんがたのつぶやきを見かけることがあるけれど、育児の大変さは、いまも昔も何も変わっていないと思う。見かけるたびに、密かにエールを送っている。

 

買っておいた「指輪物語」を未読と書いているけれど、いまだに未読のままだ。文庫本で買ったはず。探そう。

 

 

ゲド戦記」のほうは一冊だけ読んだはずだけど、内容が他の作品とかぶってしまって、もはやはっきり思い出せない。

 

 

寝たら死ぬ・・・

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まだ睡魔や頭痛と闘っている。

授乳中だから頭痛薬を飲まずに我慢していたのだろう、たぶん。

 

子ども3人を、ほぼ母乳で育てたけれど、上の2人が難病、障害と続いたこともあり、末っ子の授乳期には、食べ物にはかなり気を付けていたように思う。食べたものが影響して起きたことではないにしても、尽くせる最善は尽くしたいという思いだった。

 

この日記の後半に出てくるホラーな話は実話で、いまもネットに記事が少し残っている。コワイ話が大嫌いだから、霊能関係には極力近寄りたくないのだけど、若いころからときどきこんなふうに呼ばれることがある。理由は全く不明。霊感などないと思いたい。

 


もうだめかもしれない

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眠気覚ましシリーズのラスト。

のちに不眠症で投薬を受けることになるなど、当時は想像もできなかった。

 

 

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やっと懇談会をこなして帰宅し、療育に出かける前に書いた日記。

このころは、こんな具合に1日に何回でも日記を更新していた。書くことがスタミナドリンクのかわりだったのだろう。