それは単に切腹マニアだったから、という説があるんだという話を、亭主に聞いた。
亭主はその話を、Kさんという気の毒な知人から聞いたのだという。
文学研究者であるKさんは、あるとき友人に、「三島が切腹した理由を雄弁に語る資料を所蔵する美術館が九段のほうにあるから、ぜひ見て来い」といわれ、好奇心にかられて見に行ったのだという。
教えられた住所のあたりにたどりつくと、たしかにそれらしい建物はあるのだけれど、見たところ、どうも一般的な美術館でとは様子が違う。Kさんは、その一般的でない気配にたじろぎ、つい入りそびれて一旦素通りした。
けれども、せっかく玄関先まで来て入らずに帰るのもどうかと思い、回れ右して、もう一度入り口のところへ戻って見た。
が、見れば見るほど、展示物の選択に特定のバイアスが強くかかっているらしいのが分かるものだから、どうしても中に踏み込む勇気がでない。結局二度目も素通りした。
すると、美術館の入り口がガラリと開き、中から男性が顔を出したかと思うと、Kさんに向かってニッコリ笑い、
「どぅぞ~」
と、やさしげな声で招き寄せた。招かれるままにKさんは美術館に入ってしまった。
そこには、「無修正」な男と男の愛の世界に関する画像が、付箋紙つきで多量に展示されていたという。付箋紙は、いわゆる法に触れる「部分」に貼り付けられているけれども、案内してくれた男性によれば、必要に応じて、
「このように、めくって、下をご覧になることができます~」
とのことだった。
が、Kさんは付箋紙の下には用がなかったので、目的の三島の資料なるものを探すために、勇気を出して美術館の奥へと分け入った。そして、それは見つかった。
資料とは、ふんどし姿の三島由紀夫が、血糊と日本刀を使って、うれしそうに苦悶の表情など浮かべて切腹を実演しているところを撮影した写真だったという。
なんのために、そんなことをしたのか。
そりゃ、好きだったからだろうと、私でも思う。
生前の三島のそうした面を知っていた人々は、あの割腹事件のあと、「やりたいからやったんだ」ということを、口をそろえて言ったんだとか。
亭主からこの話を又聞きした私は、ある疑問を感じて質問した。
「あの世界にはな、『萌え』の要素として、<肉体><ふんどし><切腹>というのがあるんや。つまり三島は、その三つをまとめて実現しようとしたわけやな」
「肉体とふんどしはともかく、なんで切腹なんかで萌えるのよ」
「知るか」
「その美術館、こんど行ってみようか」
「いやじゃ」
「じゃ、目黒の寄生虫博物館と、そこの美術館と、どっちか必ずいかなきゃいけないとしたら、どっちにいく?」
「おとなしく寄生虫を見に行くわい」
「そんな根性で、一流の研究者になれるのかな~」
「ド三流で結構や。見たくないもんは見たくないんじゃ」
私はちょっと、付箋紙もめくってみたいような気がする。
(2005年04月29日)