こんにちは。
15年前の過去日記を少し追加したので、リンクと補足を書いておく。
読書記録「自閉症なんか怖くない―低機能広汎性発達障害者とのつきあい」
息子に重度の障害があると分かってから、手当たり次第に関連書を入手してナナメ読みしたけれど、この本はアタマから終わりまで熟読したと記憶している。
息子の療育が一段落したところで、障害児教育関連の本は、今後も読み返す可能性のある何冊かを残して、ほとんど手放してしまった。
「自閉症なんか怖くない」は、たぶん手放していないと思うのだけれど、探そうと思うと命に係わる室内温度なので、やめておくことにする。
映画「イノセンス」
映画のレビューではなくて、ほとんど育児日記である。
息子が小さいころは、睡眠効果を期待して、ほんとうに繰り返し見ていた。
末っ子が大きくなってからは、この映画をやたらと怖がるようになったため、あまり見られなくなってしまった。いまでもYouTubeなどでテーマ曲をかけていると、末っ子に怒られる。
地震・手紙・パニックからのドライブ
息子の担任の先生たちに渡す文章を書きあぐねて、愚痴っている日記。
どんなことを書いたのか、全く覚えていない。
この年に書いて提出した文章もパソコンの中にあるはず。そのうち探してみよう。
みんな寝た。
Beanie Babiesに出会ったのは、長女さんが長期入院中のことだった。
ちょうどハロウィン行事が日本で広まり始めたころだったと思う。
ディズニー映画の「ナイトメアー・ビィフオア・クリスマス」の影響などもあって、長女さんの病室のベッドの上には、ガイコツやオバケのぬいぐるみを、やまほど積み上げて遊んでいたものだ。
その中には、私の手作りのカボチャや、腎臓のぬいぐるみもあったはず。
腎臓のぬいぐるみ、看護師さんたちに好評だったなあ。
カテゴライズ
当時の息子の療育課題について、書いた日記。
言葉関係の練習は、ほんとうに根気よくがんばっていたけれど、大人が期待するような成果はなかなかあがらなかった。
目に見えて成果が出ないことを、二十年近くも続けられたのは、目に見えない何かが育っているという手ごたえが確かにあったからだと思う。
息子はいまもカテゴライズが苦手だけれど、当時練習していた言葉が、ふと出てくることもある。何かは確かに積みあがっていたのだ。
「~わよ」という語尾
亭主が言葉関係の研究者であるため、私の日記には言葉に関する記事がかなりたくさん出てくる。これもその一つ。
「~わよ」「~わね」という語尾を使う人を、近年ほんとうに見かけなくなった。
もともと私は使わないし、私と同世代の女性も使わない。
日常会話では絶滅危惧表現であるのかもしれないけれど、ラノベなどを読んでいると、オネエ言葉を使うキャラの会話文で多用されているようなので、当面、死滅することはなさそうに思う。
今日の予定…
末っ子が使っていたバウンサーの思い出など。
ほんとうになつかしい。
Amazonで商品情報を見ていたら、いまも後継の商品があるようだ。
クリオネ乳児
末っ子の乳児時代の記録。
いま思い出しても、かなり気難しい赤ん坊だったと思う。
長女さんは周囲にも「育てやすい」子と言われる赤ちゃんだったし、息子も乳児期にはおっとりしておとなしい赤ちゃんだったから、癇癪玉みたいな末っ子乳児との日々は、まさに格闘だった。
トンベリな気分の朝
普通の日記。こうして書き残していなければ、微塵も思い出せなくなっていたであろう、日常の思いだ。
トンベリのお人形は、まだうちのどこかにあるはず。
たまには掘り出して、風に当ててあげようか。
スライムがあらわれた
末っ子をあやすのに、息子の療育と同じようにフラッシュカードをつかっていたという日記。
これがはからずも早期療育として奏功したのかどうかは不明だが、末っ子は二歳になる前に、ひらがなを読めるようになってしまう。
過去日記は、まだあと9000本以上も残っている。
元の文章をかなり書きなおしながら作業しているので、全部をそのまま転載するのは、私の事務能力的にもたぶん不可能だろう。
でも、もしかしたら、ちょっとがんばれば半分くらいはイケるかもしれない。
少なくとも、年内に記事数1000は、あっさり達成しそうではある。
楽しんで続けよう。苦しくなったら、休む。
そうだ。忘れないようにメモしておこう。
ここのブログの「最初の記事」は、2017年9月25日の「今日はお題のない日」である。これより古い日付の日記は、あとから追加したものになる。
もうすぐ三年目。
三周年記念日には、何を書こうかな。