こんにちは。
【目次】
健康関連
昨日から、また少しめまいが出ているので、若干行動を控えている。
めまいは、朝起きてから、午前中いっぱい、ゆるく続く感じで、夕方にはだいたい収まる。
回復傾向なんだろうとは思うけど、なかなかすっきり消えていかないのがもどかしい。
いくつかの持病を診てくれている内科の先生に、自治体の健康診断を受けるように言われたので、昨日、いろいろ申し込んできた。
胃のバリウム検査、大腸がん検診、肺がん検診(レントゲン撮影)、血液検査。
自治体の補助が出るので、検査料はほとんどかからない。
バリウムとレントゲンは、来週土曜日午前中の予定。
何事もありませんように。
過去日記
どんどん記事を追加しているので、すでに総数は860本を超えている。
それをいちいち紹介するのも大変なので、折に触れて少しづつリンクを貼っていくことにした。
ここのところ転載していた15年前の日記よりも、さらに古い、1996年代の日記をハードディスクの底から発掘したので、それも少しづつ整理しつつ転載を開始している。
現時点で一番古いのは、1996年1月、まだ長女さんがお腹のなかにいたころの読書日記だ。
読書メモ「かんがえるごきぶり」(奥本大三郎)
当時、奥本大三郎のエッセイ集を気に入っていて、わりとよく読んでいたはずなのだけど、内容をあまり覚えていない。探し出せたら読み返したいけど、見つかるかどうか。
息子が三才ごろの日記も掘り出せたけど、ストレートな感情表現(罵詈雑言ともいう)が多いので、だいぶ手を入れる必要があった。
療育と親の思い
すっかり忘れていたけれど、こんなこともあったのだった。
24年前には、重度の知的障害を伴う自閉症の我が子を「療育教室」に通わせようなんていう親御さんは私の周囲には一人もいなかった。人がしないことをやれば、反感を買う。それはもうしかたのないことだと思う。
いまにして思うと、わざわざ陰口を伝えてよこした人のほうが謎である。
あれは何がしたかったのだろう。(´・ω・`)
あるコミュニケーション不全の記録
ほぼ激怒日記だったけれど、だいぶ削ってマイルドにした(当社比)。
もう四半世紀近くも前のことだから、思い出して感情が波立つこともないけれど、まあものすごい経験をしたものだとは思う。
この日記には書いていないけれど、3時間に及ぶ面談のあいだ、となりの教室で、私たちに聞こえるように、ずっと怒鳴り散らしている女の先生がいた。罵声の一言一句を記憶していないけれど、罵る相手が私たちであることだけは、分かりやすく伝わってきた。なにしろその女性は、夏休み期間で園児が一人もいないカラッポの教室で、ひたすら怒鳴り散らしていたのだ。あてこすり目的でなければ、異常をきたした人間である。
この日記を書いた22日後に、アメリカで同時多発テロが起きる。
刻々と伝えられるテロ現場の凄惨な光景は、見ているものの生命力をも削っていったように思う。
さらにその翌月、私はバセドウ病治療薬であるメルカゾールの副作用から、無顆粒球症という、白血球の一部が激減する病気を発症して、入院することになる。自力で病院にたどり着いたときには、炎症で気管が塞がる寸前だった。
ギリギリのところで死なずに済むという経験を経て、理不尽に生命力を削る情報や、自己保身のためのハラスメント構造を抱え込んでいるような組織集団とはきっぱり決別すべきだと強く思い、息子の施設退園を決めた。