この数日、19年ほど前の育児日記を、ここにせっせと転載している。
長女さんが6歳、息子が4~5歳。
末っ子はまだ生まれていない。
書き写していて驚くのは、過去に自分が書いた日記の出来事を、きれいさっぱり忘れてしまっていることだ。たとえば、2003年1月16日の出来事。
子どもたちを乗せて走っていた車が、「どっかーん」という爆発音とともにエンコしたという、なかなか衝撃的な出来事だけど、全く、微塵も覚えていない。亭主に聞いてみたけど、やはり覚えていないとのこと。
まあ、子どもたちが小さかったころの我が家は、毎日が大事件みたいなものだったから、車の爆発音&エンコくらいは日常茶飯事に埋もれてしまうレベルのことだったのだろう。
あ、いま思ったのだけど、車が故障して動かなくなることを「エンコ」というのは、もしかして、いまは使わない表現だったりするのだろうか。
気になって検索してみたら、「エンコ」「エンスト」は「いつしか使われなくなった自動車用語」であるらしい。ショックだ・・・・。
ちょっと引用させていただく。
80年代前半までのクルマは、オーバーヒート、プラグのかぶり、燃料切れ、etc……と何らかのトラブルでクルマが止まってしまうことは珍しくなかった。いわゆるエンジントラブル全般のこと。
そうなんだ・・・(´・ω・`)。
ちなみに上の2003年1月16日に私がエンコ・エンストさせたのは、ホンダ「トゥディ」。
1985年に発売された最初期の商用モデルで、マニュアル車だった。
当時も今もテレビを見ない生活だから、「トゥディ」にこんなCMがあったことを、今日初めて知った。↓
なんか、ものすごく、昭和だ。(´・ω・`)
「はぐれそうな天使」という曲は、うっすら記憶にある。
昭和の愛車「トゥディ」に19年乗り続けたのだけど、末っ子が生まれる前の年に、車検に出したら、整備をしてくれた方々に「このまま走ってると、走行中に底が抜けるから」と言われて、それ以上乗り続けるのをあきらめたのだった。
ハードディスクの底にあった写真。廃車にする直前に撮影したのだと思う。長女さんと息子が乗っている。なつかしい。
トゥディの「どっかーん」事件が記憶に埋もれたのは、ちょうどそのころ息子を家庭保育室に通わせ始めたからだろう。こちらのほうは、いまでもかなり鮮明に記憶している。
読み返していると、保育室の中の様子や、当時5歳の息子の表情などが、鮮明に思い出されてくる。
お迎えにいって、保育士さんにその日の息子の様子を聞くときは、いつもハラハラドキドキだった。他の子どもたちと、ほんの少しだけでも一緒に遊んだと聞いては感涙にむせび、パニックを起こしたと伝えられては悲嘆にくれ・・・そんな具合だった。
息子が文字に強い興味を持つようになったのも、そのころだったと思う。
絵本などは好まず、親が読んでいる文庫本や新書などにこだわり、同じ本の同じページだけを、じーっと見つめつづけていたりしたのを覚えている。
そういう息子の「読書」の習慣は、残念ながら、その後途絶えてしまった。
けれどもいまも文字の読み書きは好きで、介護施設では、自分で連絡帳を書く時間を作ってもらっている。
・・・・
過去の膨大な日記の転載作業に、意味があるかどうかは分からない。
ただ、長女さんに難病が、息子に重度障害があると分かったときから、毎日毎日、小さな喜びや希望を拾い集めながら、精神的に沈没することなく暮らしてきたんだなということが確認できるのは、悪くない。たぶんこれからも、我が家は大丈夫だろうと思えるから。