こんにちは。
きのうのやったことメモ
- 歩いて買い物に出た。帰宅後疲労困憊。往復で20分歩いただけなのに。
- Amazonカードを買ってswitch版女神転生ノクターンマニアクスの通常版を注文した。来月の誕生日に自宅に届く予定。
- 亭主に頼んでぬか床をかき回してもらった。
- pixiv sketchの絵のお題が「天使」だったので、天使の絵を描いた。
これのどこが天使だと言われそうだが、こういうのが旧約聖書のエゼキエル書の第一章に出てくるのである。少し引用してみる。
主の言葉がケバル川のほとり、カルデヤびとの地でブジの子祭司エゼキエルに臨み、主の手がその所で彼の上にあった。
わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北から来て、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。
またその中から四つの生きものの形が出てきた。その様子はこうである。彼らは人の姿をもっていた。
おのおの四つの顔をもち、またそのおのおのに四つの翼があった。
その足はまっすぐで、足のうらは子牛の足のうらのようであり、みがいた青銅のように光っていた。
その四方に、そのおのおのの翼の下に人の手があった。この四つの者はみな顔と翼をもち、翼は互に連なり、行く時は回らずに、おのおの顔の向かうところにまっすぐに進んだ。
顔の形は、おのおのその前方に人の顔をもっていた。四つの者は右の方に、ししの顔をもち、四つの者は左の方に牛の顔をもち、また四つの者は後ろの方に、わしの顔をもっていた。
彼らの顔はこのようであった。その翼は高く伸ばされ、その二つは互に連なり、他の二つをもってからだをおおっていた。
この生きもののうちには燃える炭の火のようなものがあり、たいまつのように、生きものの中を行き来している。火は輝いて、その火から、いなずまが出ていた。
生きものは、いなずまのひらめきのように速く行き来していた。
わたしが生きものを見ていると、生きもののかたわら、地の上に輪があった。四つの生きものおのおのに、一つずつの輪である。
もろもろの輪の形と作りは、光る貴かんらん石のようである。四つのものは同じ形で、その作りは、あたかも、輪の中に輪があるようである。
その行く時、彼らは四方のいずれかに行き、行く時は回らない。
四つの輪には輪縁と輻とがあり、その輪縁の周囲は目をもって満たされていた。
なんか分かりにくいけど、特徴をかいつまんでみると、
・人の姿をしているけど、顔と翼が4つづつある
・顔は全部違っていて、人、獅子、牛、鷲である。
・翼の下に人の手がある。
・翼はプロペラみたいに回転するらしい。
・体内に内燃機関を搭載しているらしい。
・車輪的な輪を備えているらしい。
・輪の周囲は目玉で満たされているらしい。
で、こんなものはとてもリアルに描けないので、上のようなテキトーな絵になったのであった。
それにしても、古代のイスラエルの預言者は、一体なにを見たのだろうか。
生き物だということだけど、回転する翼だの、タイヤみたいな昨日の輪っかだの、内燃機関としか思えない炎を搭載しているところだのを考えると、何らかのマシンとしか思えない。誰かそういう推測している人いないのかな。
日課のぬか床かきまぜは、体調が落ちると、どうしてもサボリがちになる。
かきまぜるのをサボると、冷蔵庫保存していても、ぬか床は容赦なくカビてしまうから、最低でも3日に一回はかき混ぜなくてはならない。
しかしめまいでふらついた状態では、うっかりぬか床のホーロー容器を落としてしまいかねないので、亭主にお願いしてみたのだけど、
「わしは生まれてこのかた、ぬか床をかき回したことはない」
などと、遠回しに回避しようとする。クサイものに触りたくないというのだろうが、我が家のぬか床は、手入れがいいから(←ここ強調)、乳酸菌由来のあまずっぱい匂いがするだけで、クサイなんていうことはない。
と強く主張して、しっかりかき混ぜてもらった。
これで私が倒れても、ぬか床は安泰である。 ( ̄ー ̄)ニヤ
過去日記転載
すでに見つけて読んでくださっている方々がいるけれども、スマホ版アプリからだと探しにくいと思うので、一応リンクを貼ってみる。
トルコの軍楽・傀儡謡 (2005月4月7日)
新学期 (2005月4月8日)
長女さんと息子が小学校低学年のころは、毎年新学期になるたびに、担任の先生や校長先生に面談を申し込んで、いろいろと話し合っていた。面談にあたって、それまでの成育歴や闘病歴、療育の経過などを文章でまとめて提出もしていた。
ほとんどの担任の先生方は、用意した資料をしっかり読んで、可能な範囲で対応してくださっていたと思う。いま思うと、ほんとうにありがたいことだったのだけど、当時は必死すぎて、そのありがたさをよくわかっていなかった。
それにしても、育児日記にしりあがり寿のマンガについても書いてしまうあたりが、いかにも私らしい混濁ぶりではある。
このときに買った「弥次喜多」シリーズは、その後全部手放してしまったのだけど、どうしても読みたくなって、一部買いなおしている。私の中ではこの作品はものすごい傑作なのだけど、世間の評価は分からない。
そういえば、映画「真夜中の弥次さん喜多さん」は、見よう見ようと思いながら、まだ見ていない。
蛇足だけれど、原作の「東海道中膝栗毛」が実はBL本(弥次さんがバイで喜多さんがゲイ)だというのは、この漫画を読んだあとで知ったのだった。
古本屋さんにおでかけ (2005月4月9日)
産後3か月だったけど、息子の学校の送迎などがあるので、毎日のように末っ子を抱いて外出していた。この日は古書店に行っているけど、もう少し大きくなると、車で数十分走ったところにある、大型書店にもよく出かけた。
古書店はいまもあるけど、書籍売り場が少なくなって、トレーディングカードやフィギュアなどの売り場が増えている。
行きつけだった大型書店は、このあと、電子本が普及したあたりから、どんどん規模を縮小していくことになる。先月ひさしぶりに行ってみたら、またフロアを一つたたんでいた。
夜明け(2005月4月10日)
なにげない息子の1日を書いている日記。こうして書き留めなければ、忘れてしまっていただろう。
息子はいまでも、同じ窓から、天気を気にして空を見ていることが多い。
天候は息子にとって、心に大きな影響を与えるものなのだと思う。
けれども息子は気持ちを言葉で語らないから、どんなことを考えて空を見ているのかは、いまも分からない。
サボテンダーはかわいい (2005月4月10日)
末っ子は、新生児のころから、抱っこしていないと絶対に寝ない赤ん坊だった。
生まれる前にベビーベッドをレンタルしたけど、寝かせてもすぐに起きて泣き出すから、ほとんど使わずに返品してしまったと思う。
高いところが好きだった息子が、大喜びでベッドに上がっていたことも思い出した。
抱っこでなければ寝ないのだから、末っ子が寝ている間は、私が起きて抱いているしかないわけで、これから猛烈な苦行だった。
ただ抱いて座っているだけでは、とてもじゃないけど精神が持たない。
私はテレビ番組や映画などを見るのがあまり好きではないし、暗くした部屋で本を読み続けるのも目に悪い(当時はkindleなどなかった)。
というわけで、テレビゲームの出番となる。
いろんなゲームをやっていたと思うけれども、この日記のころは、たまたま「金色のコルダ」をプレイしていたらしい。魔法のバイオリンを手に入れた主人公が、バイオリンの導きに従って演奏の腕をあげていき、運命を切り開くという、ちょっと変わったシナリオのゲームだったっけ。
switch版で続編も出ているようだ。
なつかしいな。
汚れちまった悲しみ (2005月4月10日)
長女さんの幼児時代の絵。ホワイトボードに描いたものだから、もちろんオリジナルは残っていない。ほんとうになつかしい。写真を撮っておいてよかった。
長女さんは幼児期から現在にいたるまで、とにかく膨大な絵を描きつづけている。数えてはいないけれど、おそらく万単位だろうと思う。小さいころに描いた作品のなかには、大人の心を鋭く突くものもあった。
ホワイトボード自体はまだ現役だけど、ボード用のペンに息子が強いこだわりを持つようになってしまい、ペンをおかないようにしているので、いまでは息子の使うノートや文字盤をたてかけておく場所になっている。
今日のやることリスト
- 養生と体力作り
- 息子の言葉練習プリントを作る
- ブログ整理
- 処方薬を忘れずに全部飲む。とくにめまいの薬
まだめまいが続いていて危ないので、あまり動き回れない。
それに、ものすごく疲れやすくなっている。
椅子に座っていられる時間は長くなってきたけど、それでも30分ともたないのは、情けなさすぎる。
体調が万全でないのもあるけど、寝込んでいる日数が長かったせいで、体力が落ちてしまった気がしてならない。やはり少しづつでも運動はしたい。横になって足の運動でもしよう。
息子は毎日、言葉の練習のプリントを介護施設に持参して、職員さんに見てもらいながらそれを書いている。
プリントは以前は私の自作だったけど、しばらく前から、長女さんに手書きで作ってもらうようになっていた。
長女さんも仕事が忙しくなってきたことだし、私も多少はパソコン仕事ができるようになったのだから、亭主と分担しながらでも作ろうかと思っている。