湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日のテキスト(1)福音書

なんとなく読んだ本からの引用と、メモ書き。

 

すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。そこで御使が彼に言った、

「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。

 

ルカによる福音書 第1章 11-13節)

 

バプテスマのヨハネの父ザカリヤは、祭司として神殿で香を焚いていたときに、天使ガブリエルが突然現れたのでびっくり仰天。

 

しかも、夫婦そろって高齢なのに「もうすぐ子どもが産まれるからヨハネって名づけなさい」などと言われたものだから、思わず天使に「ありえないでしょ!?」と突っ込んでしまい、そのせいで息子が産まれるまで喋れなくされてしまう(パントマイムと筆談はできた)。

 

この記事を初めて読んだころの私のように、信仰と縁の薄い読者ならば、ザカリヤは、軽い脳梗塞かなにかのために、言語障害を引き起こし、天使の幻影を見たのかもしれないと思うのじゃなかろうか。

 

(↓3年前の日記に、似たようなことを書いているのを発見した)

聖書のなかの言語障害 - 湯飲みの横に防水機能のない日記

 

けれども、たとえ病気が直接の原因だったとしても、息子ヨハネが生まれた途端に言語能力を取り戻したのだとすれば、それは十分に奇跡的だと思う。

 

その後天使ガブリエルは未婚のマリアに受胎告知している。神の使いとはいえ、ものすごい無茶振りだ。

 

超高齢出産と処女受胎。

神様は、なんでわざわざこんな人体の限界突破に等しい離れ業をかましたのだろう。

 

だけど考えてみたら、2000年後の現代の医療技術によって、どちらの「奇跡」も人為的に可能になっている。ザカリヤのような言語障害からの回復も、発症後の適切な治療があれば、不可能なことではなくなっている。厳密な日時指定は厳しいだろうけど。

 

神様が、時空を超えてすべての事象を把握して操作できる存在なのだとすれば、未来に確立する技術を奇跡として引き起こすことなど、きっと簡単なことだろう。

 

そんな視点で読むと、聖書は別の意味で未来を予言する要素に満ちているようにも思えてくる。そんな読み方をクリスチャンの方々はしないのだろうけど。

 

他にも聖書のなかで「奇跡」とされて、現在では人為的に可能になっている技がいろいろとあるはずなので、また探してみようかと思う。

 

 

(_ _).。o○

 

教会の日曜学校では、聖書に書いてあることを真実として、書かれている御ことばを記憶に蓄えていって、生きる支えとすることを教えてもらっている。

 

昔からことばフェチ気味の私にとって、それは

わりと慣れた思考活動なので、違和感を覚えることばなかった。

 

聖書に限らず、すべてのテキストは、テキストという形で存在している現実だと私は思っている。テキストを読むことで、読む私に関わる現実も動く。内容の真偽の問題とは次元の違う価値や力が、テキストにはある、と思う。

 

(_ _).。o○

 

さて、このシリーズは何回続くかな。

 

参考にした本。

 

フェデリコ・バルバロ「聖書」(講談社)。亭主が学生のころに買った本。

 

小助川次雄「日々の祝福」(いのちのことば社)。教会の牧師先生から長らくお借りしていたけど、先日Amazonで中古本を自分でも購入。94円だった…。

 

 

口語聖書(日本聖書教会)。毎週日曜学校に持っていってる。