湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

和歌をとどめる浜千鳥…(古今和歌集)

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今回は、古今和歌集のよみびとしらずの歌。

 

 忘られむ時偲べとぞ浜千鳥ゆくへも知らぬ跡をとどむる

 

(わすられむ ときしのべとぞ はまちどり ゆくへもしらぬ あとをとどむる)

 

古今和歌集 巻第十八 雑下 996

 

【普通の意訳】

 

どこへ飛び去っていくのか分からない浜千鳥が、足跡を残していくように…

 

いつか忘れられてしまうであろう、この時代を思慕せよと、万感の思いを込めて、私たちはこうして文字を書き留めていくのです。

 

……

 

「浜千鳥」の「跡」を、文字を書き留めると解釈するのは、古代中国の漢字発祥の伝説に由来するのだという。

 

伝説では、中国古代の黄帝に仕えていた、蒼頡(そうけつ)という史官が、鳥や獣の残した足跡から、元の動物の種類を推測できることから、記号によって情報を伝達できることに気づき、象形文字を作ったとされている。

 

蒼頡は、その優れた観察眼と洞察力のためか、顔に目が四つあったと言わていて、Wikipediaに掲載されている肖像画も、ほぼ人外仕様になっている。

 

正直、不気味だったので、AIにリライトしてもらったのだけど…(今回はUni DreamというiPhoneアプリを使ってみた)

 

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イケメン化しても、怖かった。😱

 

ちなみに、いつも使っているDesigner に描いてもらったら、目が増えたので、没にした。

 

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まあ蒼頡のことは置いて、古今和歌集に戻る。

 

上の歌の次に、歌集について詠んだ歌が掲載されている。

 

貞観御時、「万葉集はいつばかりつくれるぞ」ととはせ給ひければ、よみて奉りける

 

文屋有季

 

神無月しぐれふりおけるならの葉の名に負ふ宮の古言ぞこれ

 

(かんなづき しぐれふりおける ならのはの なにおうみやの ふるごとぞこれ)

 

古今和歌集  巻第十八 雑下 997

 

【雑な意訳】

 

清和天皇万葉集って、いつごろ出来たの?」

文屋有季「奈良時代っすね」

 

……

 

文屋有季は、六歌仙といわれる文屋康秀の同族だろうと思われるものの、関係性は不明のようで、古今和歌集にはこの一首だけが入っている。早死にした人なのかもしれない。

 

古今和歌集は、醍醐天皇が命じて編纂され、905年に奏上されている。

 

清和天皇の在位期間は、858年から876年(貞観18年)までなので、古今和歌集成立よりも、半世紀ほど前の人ということになる。

 

万葉集の成立年は、不明。

編纂者の一人とされている大伴家持が、彼の死後に勃発した政変(藤原種継暗殺事件)に関与したという、謎の嫌疑により失脚し、死後20年を経て恩赦を受けるまで、万葉集も世に出せなかったという事情があったせいで、成立事情がよく分からなくなってしまったようだ。

 

恩赦を受けた806年あたりを成立年と考えるとすると、奈良時代ではなく平安時代の成立ということになるけれど、文屋有季が「ならの葉の名に負ふ宮の古言ぞこれ(ナラの木と同じ、奈良という名を持つ都の、古いテキストなんですよ)」と答えるくらいなので、当時の人たちにとって、万葉集奈良時代の歌集という意識だったのだろう。

 

よみびとしらずの996の歌が詠まれた時代は分からないけれども、万葉集について触れた997の歌と並べて掲載されていることを考えると、古歌を伝える万葉集のように、古今和歌集を後世に残そうとする、当時の編纂者たちの意思を反映する歌として選ばれたように思えてくる。

 

そのように解釈すると、996の歌は、古今和歌集の仮名序の末尾の内容とも繋がってくる。

 

人まろなくなりにたれど、歌のこととどまれるかな。たとひ時うつり、事去り、たのしびかなしび、行き交ふとも、この歌の文字あるをや。

 

青柳の糸たえず、松の葉の散りうせずして、まさきのかづら長くつたはり、鳥の跡ひさしくとどまれらば、歌のさまをも知り、ことの心を得たらん人は、大空の月を見るがごとくに、いにしへを仰ぎて、今を恋ひざらめかも。

 

古今和歌集 仮名序より

 

【意訳】

 

歌聖といわれる柿本人麻呂は亡くなってしまったが、彼の歌の事績は残っている。

 

たとえ時代が変わり、物事が過去のものとなり、多くの喜びや悲しみが去来したとしても、この古今和歌集という書物があるではないか。

 

青柳の細長い枝が絶えることのないように。

 

あるいは松の葉が散り失せず、柾木の葛が長くつるを伸ばして伝っていくように。

 

この歌集に綴られた文字が永久に残るならば、和歌というもののあり方を知り、世の中の情趣というものを理解することのできる未来人が、天空の月を仰ぎ見るように、過去を仰ぎ見て、我々の時代を崇敬しないことがあろうか。

 

……

 

古今和歌集の選者の一人であり、仮名序を書いたとされる紀貫之は、同じ選者であり従兄でもあった紀友則に先立たれたことを深く悲しむ歌を詠み、歌集に収録している。

 

紀友則が身まかりにける時によめる

 

明日知らぬ我が身と思へど暮れぬまの今日は人こそ悲しかりけれ

 

古今和歌集 巻第十六 哀傷 838

 

【意訳】

 

自分だって明日をもしれぬ命だと思うけれど、まだ日が暮れていない今日のうちは、あの方が死んだことが、悲しくてならない。

 

……

 

紀友則の死は、古今和歌集がほぼ完成し、帝に奏上した後(905年)、最後の仕上げをしていた頃だったようだ。

 

選者の序列では紀友則が筆頭であるのに、仮名序を紀貫之が執筆しているのは、本来仮名序を書くはずだった紀友則が亡くなってしまったからなのだろう。

 

「人まろなくなりにたれど、歌のこととどまれるかな」

 

(人麻呂は亡くなってしまったが、彼の歌の事績は残っている)

 

貫之は、亡き友則への思いをも込めて、こう綴ったのではないか。

 

自分たちが全身全霊で愛する和歌の素晴らしさを、時代を超えて伝えて行きたい…

 

その強い情熱があったからこそ、905年に生まれた歌集が、1000年以上も後に生まれた私たちの手元にまで届いたのだと思う。

 

 

(_ _).。o○

 

 

本多平八郎氏の英訳も見てみる。

 

No. 996

That I may be remembered after I am gone, my handwriting here I leave although a wretched scrawl.

 

「THE KOKIN WAKA-SHU 英訳 古今和歌集本多平八郎 北星堂書店

 

【語釈】

handwriting…手書き

although…にもかかわらず

wretched…みじめな、みすぼらしい、粗末な

scrawl…走り書き

 

【意訳】

 

私がいなくなった後も思い出されるように、私は、この粗末な手書きの文字を、ここに書き残こす。

 

 

英訳された結果、浜千鳥が消え去り、謙遜を加えたテキストが残ったようだ。

 

本多平八郎氏は、掛詞や縁語といった和歌の修辞によって醸し出される意味の広がりを潔く切り捨てて、和歌の真意のみを英訳する方針なのだと思う。

 

その結果、逆翻訳すると、歌人が訥々と本心を語っているかのような、独特の風合いが生まれてくるのが、なんとも楽しい。

 

上に挙げた仮名序の英訳も引用する。

 

Though Hitomaro is dead, the making of anthologies still goes on.

 

Time and tide come and go burdened with joys and sorrows, but if this anthology remains as fresh as the green willow branch and the pine needles, the reader will enjoy present-day verses by perusing these old and new songs as bright as the moon on high.

 

「THE KOKIN WAKA-SHU 英訳 古今和歌集本多平八郎 北星堂書店

 

【語釈】

burdened with…〜を背負い込む、負う

time and tide…時間と時流

present-day…現在

verses…詩

peruse…熟読する

 

【意訳】

 

人麻呂は死んだが、彼の詩集はいまだに作られている。

 

時と潮流は喜びや悲しみを抱えて過ぎ去っていくが、この詩集が緑の柳の枝のように、そして松の葉のように、鮮烈であり続ければ、未来の読者は、天空の月のように輝く、これらの古く、そして新しい歌を熟読することによって、彼らの時代の詩を楽しむだろう。

 

……

 

和歌の英訳では切り捨てられがちな、縁語的な直喩表現が、仮名序の英訳では残されているのが面白い。

 

ただし、柳と松葉は英訳されているのに、「まさきのかづら( 柾木の葛)」だけ、なぜかばっさり切り捨てられている。たとえが冗長になりすぎてしつこいという判断だろうか。

 

Wikipediaの記事によれば、本多平八郎氏は、徳川四天王本多平八郎忠勝の子孫なのだという。

 

和歌の修辞をバッサバッサと潔く切り捨てる英訳ぶりに、本多忠勝の愛槍「蜻蛉切り」の気配を感じるのは、気のせいだろうか?

 

(_ _).。o○

 

例によって、AIイラストアプリに頼んで、英訳和歌をイラスト化してもらった画像を、この記事の冒頭に貼った。(Designer使用)

 

「Japanese poet」という言葉を添えただけで、特に意匠を指定していないのだけど、なぜか和風ゴシックホラー風(?)になった。

 

 

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こちらは、戦国時代風だろうか…

 

遠い未来を見据えて古今和歌集を編纂していた紀貫之も、いずれ戦乱の世が来て、自分たちの歌集に存続の危機に晒されることを予期しつつ、祈りをこめて、「鳥の跡ひさしくとどまれらば」と綴ったのかもしれない。

 

 

【恒例の怪しい意訳】

 

ぼくの名前は紀貫之

 

ひらがなで「土佐日記」なんていう作品を書いたりしたんで、実は中身が女だろうとか「男の娘(こ)」なんじゃないのかとか、色々言われてるような気がするんだけど、普通に男だからね、誤解のないように。

 

日記っていうのは、我々みたいな貴族の男が中国語(漢文)で書くのが普通だけど、ニホンの日常のあれやこれやなんて、漢語ばっかり並べても、しっくりこないというか、書きにくいこともあるじゃない? 

 

だから僕としては、ひらがなの運用をもっと一般化したいわけよ。

 

だいたい、男だって、和歌はひらがなで書くでしょ?

 

万葉集の歌はオール漢字表記だったけど、あれだって、万葉仮名で書かれた日本語だったわけだし。

 

中国語(漢文)が出来なくても、 男も女も楽に読み書きできて、ニホンの言葉で書きたいことを思う存分書き残せる、そんな時代になればいいなーって思うわけ。

 

どうしてそんなに書き残すことにこだわるのかって?

 

それはね、書き残さなかったら、なんにも残らないからだよ。

 

万葉集の歌って、古いものだと五百年くらいも昔のものだったりするらしいけど、そこまで古い歌って、ほんの少ししか残ってないんだよね。それより古い歌は、残ってない。

 

書き残されずに消えていった歌、一体どれくらいあるんだろう。

 

書き残されてる歌でも、誰が詠んだのか分からないものもたくさんある。

 

歌を詠んだ人たちも、その歌を聞いていた人たちも、たしかに存在してたのに、その人たちのことを思い出せる人は、もうこの世に一人もいないんだよ。

 

それって、あまりにも寂しいし、もったいないことだと思うんだ。

 

…なんてことを思うようになったのは、いとこの友則さんが亡くなってからかもしれないな。

 

古今和歌集の選者として、一緒に頑張っていこうって話してたのに、歌集が完成する前に逝っちゃうなんて、考えもしなかったよ。

 

友則さんが歌を詠む声や姿を覚えている人は、今はまだ、たくさんいる。

 

でも、何十年も経って、あの人のことを知っている人間が、この世に誰もいなくなったなら、歌集に書き残された歌だけが、あの魂を揺さぶるような歌を詠む人が存在したという証になるんだ。

 

それは、僕を含めた全ての歌人にも言えることだ。

 

歌聖と呼ばれるほどの柿本人麻呂だって、 どんなふうに生きて死んだのかっていう、具体的な伝記みたいなのは、今の時代にはほとんど伝わっていない。残っているのは、万葉集に収録されている歌だけで、他はすべて失われてしまった。

 

だから、書いて、残したいんだ。

 

文字になった歌が残ってさえいれば、僕たちみんながいなくなっても、遠い未来の歌人たちが、僕らの歌から魂を揺さぶられるような思いを、きっと汲み取ってくれるだろうから。

 

 

……

 

 

 

 

 

 

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