こんにちは。
咳は小康状態。
喋らず、物を食べず、静かに横になっていれば、ほとんど出ない。食べて喋って動き回ると、げほごほ復活。
咳をしないために、可能な限り大人しくしているけど、限度がある。
少しでも咳き込む頻度を減らして、気管を守るしかないか。
あとは、抗炎症、抗酸化食事の摂取。
にんじんジュース、毎日それなりの量を飲むようになって、ドライアイが少しずつ改善している。咳が治っても続けよう。
(_ _).。o○
大きな台風が直撃コースで進んで来ているとか。
うちの町は水害が心配。
ここのところ、雷雨になるたびに、洪水警報が発令されている。今年は被害が出た話をまだ聞かないけど、息子(26歳・重度自閉症)が通所している介護施設あたりは冠水しやすい地域なので、心配だ。
何年も前になるけど、陸の孤島になっちゃって送迎車が出せないと連絡が来て、亭主と二人で迎えに行ったことがあった。近寄れるところまで車で行って、あとは亭主が歩いて施設まで引き取りに行った。あの時は人の怪我などの被害はなかったけど、近隣で浸水した店舗や家屋が結構あったようだった。
何事もありませんように。🙏
(_ _).。o○
まだ頭の具合が悪いので、読書をせずに、YouTubeばっかり眺めている。
たまたま見つけた津軽弁ラップにハマってしまった。
字幕がないと、ほぼ聞き取れない。
なんだかアフリカの言語みたいにも聞こえる。
これ、すごくカッコいい。
津軽弁って、すごくラップ向きなのじゃなかろうか。
あるいは、すんたろすさんがすごいのか。
「わいは」は、さすがに聞き取れる。
私は一応津軽生まれだけど、幼少期に引越したので、津軽弁のネイティブではない。言語形成期に岩手、宮城と、方言の違う地域で暮らしたためか、どの方言もきちんと身に付かず、微妙に東北風の標準語みたいな言葉しか話せない。
それで別に困ることはないのだけど、どこへ行ってもアウェイ感があって故郷とは思えないのが、若い頃は寂しかった。
いまは、そういう無所属な寂しさというものは感じない。
五年ほどしか暮らしていない青森はともかく、二十年暮らした仙台でさえ、大震災以降、記憶の中の町とは全く別ものになってしまっているから、どこに行っても懐かしさなど感じようもないし、そこに交われない寄るべなさなども、そもそも抱きようもない。
結果、東北全部が、漠然と故郷だと感じるようになった。
だから、室生犀星の有名な詩を少し手直ししたく思う。 望郷に割くリソースは、私にはなさそうだから。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
室生犀星「小景異情」その二
ふるさとは時空隔てて気づくもの
共時に存在しないもの
よしや
老いを得て病の床に着くとても
帰るところにあるまじや
帰るすべなどあるまじや
ひとり夜更けの脳裏にて
あらまほしき場を構築し
そのこころもて
あるべきところにかへらばや
あるべきわれにかへらばや
↑Kindle Unlimited(読み放題)で利用できます。