末っ子の受験勉強につきあうという名目で「山川一問一答日本史」というアプリを一つ買った。
かつて私も使ったことのある山川出版の日本史の教科書を元にした、一問一答の問題集アプリで、約4500問が収録されているとのこと。
今夜は末っ子と一緒に2.26事件関連の動画を見る予定なので、その予習をしようと思って、そのあたりの問題を解いてみているのだけど…
全く当たらない。(´・ω・`)
高校時代、日本史は完全に捨てていたとはいえ、大人としての一般常識にここまで欠けているのも情けないので、挽回のためにせっせと覚えることにした。
【第一問】
陸軍が1934年(昭和9年)に、国防軍事優先の国家建設のため、統制経済の実現などを主張するパンフレットを発行したが、これをなんというか。
答…「国家の本義と其強化の提唱」
全く知りません。(´・ω・`)
Wikipediaによると、「国家の本義と其強化の提唱」は「陸軍パンフレット」と称され、60万部も刊行されたという。
内容的に、陸軍主導による社会主義国家の創設、計画経済採用の提唱であり、はっきり言うと、軍事ファシズム体制を堂々と主張するトンデモなものであったため、大変な騒ぎになったんだとか。
この時代って、社会主義を厳しく取り締まっていたはずなのに、軍国主義を全面に出せば、オーケーだったんだろうか。なんだかな。
当然大反対をする人たちもいたわけで、美濃部達吉などは批判する論文を書いたりもしたけど、そのせいで陸軍の恨みを買い、美濃部が提唱する「天皇機関説」は天皇に対して不敬であるとして排除されことになったという。
ちなみに昭和天皇は、その騒ぎが起きても美濃部の「天皇機関説」を支持していて、その旨を表明もしていたそうだから、天皇に対して本当に不敬だったのはどっちだろうという話になるのだけど、イデオロギーにのめり込んでいる陸軍の人たちにとっては、どうでもよかったのかもしれない。
というわけで、
【第二問】
1935年に貴族院で菊池武夫議員が、元東京帝国大学教授の憲法学者を反国体的であると非難し、政治問題となったが、これをなんというか。
答…天皇機関説
【第三問】
答…美濃部達吉
美濃部達吉は、この騒ぎのあと、「天皇機関説」に憤った暴漢に襲われて負傷。犯行現場の捜査によって、美濃部の受けた銃弾が、暴漢のものではないことが判明し、警視庁の巡査が撃ったのではないかと言う疑いが起きたけれども、警視庁が「拳銃が見つからない」としたために、結局犯人は分からないまま終わったのだとか。
ろくでもない国だったことが、よくわかる。
【第四問】
天皇機関説問題の政治問題について、政府はこの憲法学説を否定する声明を出したが、この声明を何というか。
答…国体明徴声明
そもそも「天皇機関説」は、天皇を法人たる国家の統治権を握る最高機関とするもので、大正時代には、天皇も支持する国家公認の学説だったという。
ところが、「万世一系の天皇が日本に君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い…」云々というような「国体」意識を是とする軍部や右翼団体にとっては、天皇をシステムの一部とみなす学説は、どうにも面白くなかったらしい。
それだけでなく、天皇すら超えて政治の主導権を握ろうとしていた軍部や右翼団体にとっては、「天皇機関説」の構造自体が、邪魔だというのもあったのかもしれない。
そんなわけで、軍部と右翼団体に迫られた内閣は、「国体明徴声明」を2度も出させられてしまった。
【第五問】
国体明徴声明を2度に渡って出した内閣名は?
答…岡田啓介内閣
岡田啓介は海軍大臣だった人で、天皇機関説を支持すると見られたため、陸軍の皇道派などから厳しく批判されたという。
首相就任当時の岡田啓介ははなぜかとても貧乏で、奥さんにも死なれていて、炊事が出来ず、首相官邸では弁当生活を送ったのだとか。国家では軍部の強硬派を抑えることが出来ず、大変な苦労をしたという。
なんにせよ岡田内閣による2度目の「国体明徴声明」で、美濃部の「天皇機関説」は完全に排除されることが決まり、同時に帝国憲法下の立憲主義も否定されることとなった。
この問題が教科書で詳細に取り上げられるのは、これが日本のファシズム台頭を明確に示す事件だったからだろう。
同じころ、日本では、ヒトラー人気が高まり、ユダヤ人の著作を焚書すると行為もあったそうだ。
【第六問】
東京帝国大学で憲法を講じ、絶対主義的解釈で君主論を強調し、美濃部達吉と論争を展開した学者はだれか。
答…上杉慎吉
上杉慎吉という学者は、「天皇即国家」「神とすべきは唯一天皇」「現人神」という立場から、美濃部の「天皇機関説」や吉野作造の「民本主義」を批判し、甘粕事件では甘粕正彦を擁護するなどしたという。
上杉の言説は、右翼学生運動の源流となり、のちには治安維持法の定める罰則事項「国体否定」の基準の一つにもなってあったんだとか。
【第七問】
上杉慎吉が唱えた君主権絶対の学説をなんというか。
答…天皇主権説
まともに歴史を学んで考えたなら、「天皇即国家」だの「現人神」だのという発想が出てくるはずもない。
上杉慎吉は、ドイツに留学してゲオルグ・イェリネックに師事したという。イェリネックは絶対主義的君主主義に反対して人権の確立に努めた公法学者だそうで、その説は「天皇機関説」にも影響を与えたらしい。そういう人に学んだのに、上杉慎吉はなんで「現人神」なんてことを言い出したのか、ものすごく謎だ。あんまり頭のよくない人だったんだろうか。
ちなみに上杉慎吉の息子二人は、それぞれ統計学と労働運動史を専門とする学者で、二人揃って日本共産党員だとWikipediaにわざわざ書いてあったんだけど、父親を反面教師としてそうなったのかまでは、残念ながら書かれていなかった。
まだ途中だけど、長くなっちゃったので一旦終わる。
ちかれた。(´・ω・`)