湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

台風とか漱石の二百十日とか表現の自由とか


おはようございます。m(. .)m

 

気持ち悪いサイズの台風が迫ってきていて、大雨洪水警報、強風、雷注意報など出ていますが、いまのところ我が家のあたりは普通の土砂降りが続いています。

 

このまま何ごともなく素通りしていってくれるようにと願うばかりですが……

各地で竜巻、冠水など、もういろいろ起きている様子。

 

とりあえず、食料、飲料の備蓄と、お風呂にためた水がありますので(今朝息子が入れてた)、用心しながら様子を見ます。

 

 

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19号

 


二百十日


台風が近づいているので、なんとなく、漱石の「二百十日」を読んでいる。

 
圭さんと碌さんという、二人の男性の、どことなく落語みたいな会話がずっと続く。
二人は、阿蘇山に登るたびに旅をしてきたようだ。

台風は、序盤では出てこない。

 

「全体豆腐屋の子がどうして、そんなになったもんだね」
豆腐屋の子がどんなになったのさ」
「だって豆腐屋らしくないじゃないか」
豆腐屋だって、肴屋だって――なろうと思えば、何にでもなれるさ」
「そうさな、つまり頭だからね」
「頭ばかりじゃない。世の中には頭のいい豆腐屋が何人いるか分らない。それでも生涯豆腐屋さ。気の毒なものだ」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 


圭さんは、豆腐屋の息子だったらしい。けれども、全く豆腐屋らしくなく、実際豆腐屋にもならなかったようだ。

頭がよくても、豆腐屋豆腐屋にしかなれない、というのは、社会の中の階級差による縛りへの批判だろうか。

その後、圭さんは、社会の中の上位者に対する嫌悪と、革命的な考えを、あからさまに口にする。

 

 

「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」
「君がかい」
「なあに、華族や金持ちがさ」
「そうかな」
「例たとえば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」
「成功しないのは当り前だ」
「すると、同じようなわるい事を明日やる。それでも成功しない。すると、明後日になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じように重ねて行く。重ねてさえ行けば、わるい事が、ひっくり返って、いい事になると思ってる。言語道断だ」
「言語道断だ」
「そんなものを成功させたら、社会はめちゃくちゃだ。おいそうだろう」
「社会はめちゃくちゃだ」
「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」
「ある。うん。あるよ」
「あると思うなら、僕といっしょにやれ」
「うん。やる」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 


華族や金持ち」のやる「わるい事」について、具体的には書かれていないが、話の流れから考えて、弱者に対するハラスメントだろう。

 

そしてまだ、台風は出てこない。

 


「君の腕は昔から太いよ。そうして、いやに黒いね。豆を磨いた事があるのかい」
「豆も磨いた、水も汲くんだ。――おい、君粗忽で人の足を踏んだらどっちが謝るものだろう」
「踏んだ方が謝まるのが通則のようだな」
「突然、人の頭を張りつけたら?」
「そりゃ気違だろう」
「気狂なら謝まらないでもいいものかな」
「そうさな。謝まらさす事が出来れば、謝まらさす方がいいだろう」
「それを気違の方で謝まれって云うのは驚ろくじゃないか」
「そんな気違があるのかい」
「今の豆腐屋連はみんな、そう云う気違ばかりだよ。人を圧迫した上に、人に頭を下げさせようとするんだぜ。本来なら向むこうが恐れ入るのが人間だろうじゃないか、君」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 

 


華族や金持ちも、中身は豆腐屋と変わらない人間なのに、優位であることをかさに着て、筋の通らないふるまいをするのだと、圭さんは力説する。

 

どうやら個人的に、華族や金持ちがらみで、何かイヤなことがあったらしい。

 

それはきっと、頭を殴っておいて、殴った相手に謝らせるというような、理不尽な仕打ちだったのだろう。

 

その後ふたりは風呂に入り、宿屋のお姉さんに半熟卵を四つ注文したら、生卵二個と固ゆで卵二個が運ばれてきた。宿屋のお姉さんは、半熟卵を知らなかったのだ。

 

百年ちょっと前の、東京と地方の文化的な格差は、いまの日本からは想像もつかないほど大きなものだった。

 

阿蘇山は噴火して、夜にはその火が見えるほどだけれど、地元の人たちは女性でも平気で登るのだと、宿のお姉さんは話してくれる。
それに勇気を得て、二人は阿蘇に登るのだけれど、どしゃぶりの雨と強風に見舞われる。

二百十日の嵐は、恐ろしいものだった。

 

草の中に立って碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹で、どっと崩れて海のように濁ったものが頭を去る五六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼まる暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の煙りは卍のなかに万遍なく捲まき込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲みなぎり渡る。

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 

 

短い描写だけど、あらためて、漱石の筆力に圧倒される。

 

明治期にあって、尾崎紅葉樋口一葉のような千年以上にわたって積み上げられてきた古典を下地にした絢爛豪華な擬古文ではない、生まれたばかりの口語の日本語で、噴火する阿蘇山で嵐に襲われる状況を、いまどきのフルCGの映画のように表現してみせる凄みに、感じ入るほかはない。


嵐のなか、二人は道に迷い、圭さんが山の亀裂に落下するというアクシデントもあり、結局登山を諦めるのだけれど、その途上、こんな会話もあった。

 

「ハハハハそんなに聞きたければ話すよ。その代り剛健党にならなくちゃいけないぜ。君なんざあ、金持の悪党を相手にした事がないから、そんなに呑気なんだ。君はディッキンスの両都物語と云う本を読んだ事があるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」
「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏国の革命の起る前に、貴族が暴威を振ふるって細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝ねながら話してやろう」
「うん」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 


ディケンズの「二都物語」を読んだのは、四十年近く前のことだ。

 

こちらは、まだ内容をうっすらと覚えているが、同じころに読んだはずの「二百十日」は、こんな話だったのかと思うくらい、内容を覚えていなかった。

 

たぶん、当時は面白みがわからなかったのだとと思う。

 

二百十日」は、1906年明治39年)10月、雑誌『中央公論』に掲載された作品であると、ウィキに書いてあるけれど、「華族や金持ち」に対する反発心をあからさまにした作品を、のびのびと発表できる時代だったのだろうかと、ちょっと気になって「日本の言論弾圧の年表」をウィキで確認した。

 

ja.wikipedia.org

 

該当箇所を引用。


1900年 - 1919年
第一段階。1900年制定の治安警察法により結社の自由が弾圧され、1910年から1911年に起こった大逆事件無政府主義者が弾圧・粛清された時期。この時期には、東京帝国大学憲法学の教授である上杉慎吉天皇主権説を主張し、天皇機関説を主張した美濃部達吉を攻撃した。また、平沼騏一郎が検事として大逆事件幸徳秋水らの死刑を求刑した。その一方で、政府は幸徳の遺作である『基督抹殺論』の刊行を認め、『基督抹殺論』は政府や軍部による反キリスト教政策のために利用された。


圭さんと碌さんの思想の向かう方向は、時代的に、結構きわどかったんじゃなかろうか。

漱石は、その危険さをわかっていて書いたのかもしれない。

 

韜晦、というのとも違うのかもしれないが、作品の中に仕込んだ芸術としての毒が、イデオロギー検知のフィルターに引っかかって、つまらないことにならないように、巧妙に物語を作ったのではないかという気がするのだけど、どうだろうか。


愛知トリエンナーレの、例の展示をした方々には、「二百十日」の漱石に、学ぶところがあるのではないかと思うのだが。と小声でつぶやいてみる。

 

 

二百十日

二百十日