この数日、AmazonのAudible で、川端康成の「掌の小説」を聞いている。

作品を初めて読んだのは、大学一年の時だったか。
その年の共通一次テスト(のちのセンター試験)の現代国語で、この掌編集の中の一作が出題され、それがあまりにも印象深かったために、どうしても再読したくて、新潮文庫から出ていたそれを買い求めた。
印象深かった、と書いたけれども、本音を言えば、実に薄気味悪く不気味な掌編で、入試の真っ最中であるにもかかわらず、小説から喚起される脳内の映像に気持ちが持って行かれてしまい、解答作成に意識を引きずり戻すのが大変だったほどだ。
で、改めて他の掌編ごと読んでみて、川端康成という作家の気持ち悪さを、嫌というほど再確認した。日常に潜む猟奇、ごく当たり前の五感をきっかけに異界に引き摺り込まれる危うい感性は、若者にとっては相当な毒物になり得ると感じたから、その後はこの作家の作品には、あまり近づかないようにしていた。国文学専攻の友人は、「川端康成は、変態です」と断言していたけれど、同感だった。
最近、院試対策で文学作品を大量に読み倒している末っ子が、そろそろ近代文学に手を伸ばすようだったので、一応、忠告をした。
「川端康成には気をつけて。特に『眠れる美女』とか、読まない方が幸せかも」
末っ子は、まんまと読んでしまったらしい。
夜中に台所でガチャガチャゴソゴソとやっているので、何かと思って声をかけたら、
「川端の『眠れる美女』が変態すぎて腹が気持ち悪くなったから、これからパンケーキとブラウニー作って発散すんだよ!」
ほどなくパンケーキが出来上がり、ブラウニーの生地は冷蔵庫に納まった。
夜中の二時過ぎに、チョコレートをたっぷりはさんだパンケーキを、末っ子が鎌倉で買ってきた「パンにあうお茶」というので胃に流し込みながら、「眠れる美女」がいかにおぞましい変態小説であるかについて、末っ子と熱く語り合った。
その夜、といってもすでに朝がただったけど、枕元のFire MaxのAudible で川端康成の「掌の小説」を頭から流しながら、やっぱり気持ち悪いわと呟きつつ、就寝。
翌朝、辛気臭い顔の亭主にボヤかれた。
「朝の五時に、気持ち悪い話で起こされた。聞かすなあんなもん」
「ごめん」
でも、気持ち悪い小説こそ周囲にシェアして薄めるべきだと思っているから、聞き終えるまでは聞くつもりでいる。ごめん。

