(2005年10月31日)
万葉集関連の本を眺めていたら、長女さん(9歳)がやってきて、一緒にページをのぞきこみはじめた。
どういう本なのかと聞くので、「おうたの本だよ」と言うと、どんな歌なのか教えてほしいという。
そのときたまたま読んでいたのは、柿本人麻呂の近江荒都歌と呼ばれる長歌と反歌、それと近江関連の短歌数首だった。
近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌
玉だすき 畝火の山の 橿原の 日知(ひじり)の御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天(そら)にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに おもほしめせか 天ざかる 夷(ひな)にはあれど 石走(いわばし)る 淡海の国の ささなみの 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる かすみたつ 春日の霧れる ももしきの 大宮処(どころ) 見れば悲しも
万葉集 巻一 29
【猛烈に怪しい意訳】
てすてす、マイクテスト中ー
か
では、本ツアーのアテンダント兼、ラッパーでありますところの人麿が歌います。
愛と悲しみのパレス大津!
ヘイ🎵
マウント畝傍のパレス橿原
マウント取ったよ最初のエンペラ
尊きお子様つぎつぎ生まれた
つぎつぎ継いでつぎつぎ治めた
だけどあるとき歴史動いた
一人のエンペラ ヤマト離れた
ド田舎遷都のムーブかました
神に等しきミカドの思考
匹夫にゃ分からぬポップな思想
気がつきゃ近江はビッグなシティ
さざなみ寄せる大津のパレス
レイク琵琶にて午後の曳航
いまは見えない過去の栄光
跡地も空き地も草でボーボー
霧で見えない遺跡も方々
廃墟ツアーでおセンチ暴走
イエイ🎉
【そんなに怪しくない意訳】
ねえ、琵琶湖の上を飛んでる、かわいい千鳥ちゃん。
夕暮れ時に、君が鳴いてるのを聞くと、
昔このあたりでイキッてたお方の全盛期だった頃とか、いろいろ思い出しちゃって、なんだかすごく切なくなるんだよねえ。
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読み上げてから、ざっと意味を教えると、長女さんは興味を持ったらしく、歌にちなんだ絵を描くといって、お絵描き帳とボールペンを持って立ち去った。
何分もしないうちに、
「かいたよ~」
と言って持ってきた画用紙を見ると……
「何これ」
「『岩走る近江の国』だよ」
「なんで岩に足が生えて、走ってんのよ」
「田舎だから」
たしかに歌のなかに「天離る鄙にはあれど」とあるけど。
田舎であることは、岩が走る理由になるのか?
「で、この人は何で、う●この前に座って号泣してるの?」
「『見れば悲しも』だから」
「なんで、う●こを見ると悲しいのよ」
「だって、部屋とかにいきなりう●こがあったら、悲しいじゃん。どうしてこんなところに、こんな大きなう●こが~~よよよよよって感じで」
「悲しいより前に、腹立たないかね、普通」
「いや、う●こは悲しいと思う」
廃墟の歌を排泄物の歌と解釈したのか?
まあたしかに、はかない命をつなぐために、食って代謝して排泄するという人の営みは、どこかもの悲しくはあるけれど。
人麻呂がそれに感動して歌を詠んだとは思えないのだが……(頭痛)。
「この、下のほうにいる、びらびらした怪獣は、もしかして千鳥?」
「そうだよ」
「トサカがあるんですけど」
「いや、ニワトリみたいなもんかと思って」
「ニワトリにしても、デコレーション過多だと思うよこれは」
「そうかな」
「千鳥は、ボエーっとは鳴かないでしょう」
「だって、昔を思い出して悲しくなる鳴き声でしょ」
「ボエーで、悲しくなるかね」
「じゃ、ゴワー、にする」
「それも違うと思う」
「じゃあどう鳴くのよ」
「いや、おかーちゃんも知らないけどさ、でもボエーとゴワーは違うんじゃないかと……」
そのとき、亭主が、ネット検索で千鳥の声の音声データを出してくれた。
「わりとカワイイ系の声だね」
「こんなの聞いても、悲しくならない。ボエーのほうがいいと思う」
「まあそういうのは、人それぞれだからねえ……」
いつか近江に旅することがあったら、よく謝っておこうと思う(誰に?)。