ひどくつかれている。寝そべってみても、ゆかが砂地のようにぐずぐずと崩れて体が沈んでいきそうで落ちつかない。いやになって起きてしまった。
そうしたら部屋がぐらりと揺れだした。どうしようもないなと思ったら本当に地震だった。
乳児を抱いてテレビをつけた。揺れのもとは東京都三宅島のあたりらしい。あそこが噴火して十三年ぐらいになるだろうか。なくなった町のあとに軍事基地を作ろうかという話もあったらしいけれど今のところそういう気配はなさそうにみえる。
M山の噴火はその少しあとだったろうか。時間の幅がよく分からない。
おばあさんをおぶって避難する男の子の映像をテレビで見ていた亭主は、後年、成人したその子の麻雀仲間になったという。兄貴分の亭主は麻雀が強かったせいもあって慕われていたけれど、彼は私を一目見て「(スーパーマリオの)キノピーだ」と断言された。
「なんでうちの寮にキノピーが来てるんだよ、と思ったぜ」
以来マリオカートをやるときには必ずキノピーの車を持つことにしている。
結婚するときその仲間たちから可愛らしいワイングラスを贈られたけれど、新居に越してまもなく亭主が棚から落として割ってしまった。
彼らはもう結婚しただろうか。あれから六年たっている。音沙汰はない。
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診察めぐりの旅をしている。お医者からお医者への紹介状が旅券になって、つぎつぎと体が先に送られていく。次はまた脳外科だそうだ。
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ひさびさのお茶の水はシュールな街になっていた。ビルの上に道路がかぶさり車が天に昇っていく。人はみんな地面の一メートル上を歩いている。別にお茶の水に限ったことではないのだけれど。
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眼科の診察に五時間もかかるとは思わなかった。
待ち時間より検査の手間のほうが長かった。煩雑で細かくてやたら疲れるテストを繰り返し課せられた。
「兵隊を小屋の中に入れてください」
レンズを覗きながら一生懸命小屋に入れても兵隊はすぐに天に昇っていく。全部終わったときには、症状が二割増し悪くなったような気がした。
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結婚前に亭主が入っていた寮の裏には大学の馬術部があった。
体育会系の怒声が一日中響きわたる、なかなか酷い住環境だった。寮自体も天井からトイレ水が漏れ落ちるような廃虚もどきで、長い廊下をコドモの頭ほどもある埃のかたまりが転がりながら太っていたりするものだから、近隣からは「幽霊屋敷」と呼ばれていた。
同じ頃私はガスと雨水が漏れ本物の幽霊が出るアパートに住んでいた。ガスと雨水はガス屋と大家に通報して修理してもらったけれど(一千万円以上かかったらしい)、幽霊のほうは、あんまりどうにもならなかったようだ。
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「母乳のメリットなんて何もないんだよ。さっさと断乳して投薬して、治しちゃったほうがいいと僕は思うね。あのねこういう麻痺っていうのはね、そのまんま固まっちゃって治らなくなっちゃうこともあるんだからね。え、粉ミルク飲まない? 飲ませりゃ飲むよ。ともかくもう五ヶ月でしょうが。離乳だよそろそろ」
若い医者の無遠慮な大声を聞きながら、昔ダンナの寮に遊びにいって聞いた馬術部の罵声を思い出した。
治療に決断が必要なことがあるのは分かる。押し寄せる患者群の嫋々たる繰り言を聞くヒマがないのもよく分かる。
けれど細やかな心くばりとは無縁の叱咤を聞いていたら、粉ミルクを粉のまんま若い医者の口につめこんで後頭部をひっぱたいてやりたくなった。スリッパもしくは便所のゲタで。噎せて苦しみながら物の言い方を覚えることも人生には必要だろう。
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家を出たのは朝だったのに、診察を終えて帰り着いたら夕方だった。
乳児の守りをしていた亭主から引き継ぎを受けた。
「離乳食は、あんまり食わんかった。で、ミルク作って飲ませたら飲んだけど、なんでこんな目に遭わすんじゃ~うりゃ~ちゅうて、怒りよった。今は指吸ってフテ寝しとる。わしは一日、なんも仕事にならんかった」
母乳信仰の産院で洗礼を受けた乳児と私ではあるが、そのことと乳児の母乳好きとは直接の関係はない。
粉ミルクが嫌いな理由はただ一つ、それが死ぬほどマズいからだ。
あのサカナ臭くて粉くさくてナマあたたかい飲み物を、一日に何回も飲まされたら、味覚のイカレたオトナだって我慢しきれず吐くと思う。かつお昆布だしをきっちりとった正統派おじやが好物の乳児にはこのうえない拷問だったろう。
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午後のおっぱいを飲んで乳児が眠った。
両手で服にしがみついて悲壮な顔で飲んでいた。もう逃げられないようにつかんでいるつもりかもしれない。ほんとうに断乳するときはさぞかし辛いだろう。
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トンカツが食べたい。
(1996年11月20日)
※過去日記を転載しています。