湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

日記を書く日記

満面をほころばせて、起きたばかりの乳児が笑う。

 

「おおそこに見えるはオカンではないか、けさも会えたなあうれしいなあ起きた起きたうれしいなあ」

 

また一日、乳児の人生がはればれとのびていく。
ふと彼方に向かうものを見送るような気持ちになる。
けれど私の人生だって同じように先に向かって歩いているのだ。少しばかり先に立ち止まることになるにしても。

さてどうしよう。今日は半日時間がある。
             

日記を書いたら人に褒められた。

誰にも褒められなくても、書くことは、楽しい。

だけど私はこんなところに一体なにを書いているのだろうと、少し思う。
それでも書く。乳児だって笑う理由を知っているわけではないだろう。

 

むかし(たぶん十年くらい前)ヴォネガットの「ガラパゴスの箱船」という小説を読んだ。文明的にも個人的にも散々バカをやったあげくに滅びた人類の末裔は、百万年かけてバカの元凶たる大きな脳を失うという進化を遂げた。もう誰もシェークスピアを読まないしベートーベンの第九を聞かない、そんな世界をみとどけながら、旧人類の一個人である亡霊が指で虚空に綴った小説。

 

ひどい話だったから読み返すつもりはないのだけれど、はればれとオゾン層を失った不毛の青空を見たような読後の気分は今でもときどき思い出す。

 

心を持った(くだらない)生き物も心をこめた(くだらない)書き物も、いずれ紫外線で死滅させられる黴菌みたいに思えてくる。それでも心をこめる(くだらないかもしれない)ことには何か意味があると感じられたから不思議だ。どうしてだったのだろう。

 

詳しい筋を覚えていない。見えない小説を書き終えた亡霊は、書いたことよって人生の意味を学びとり、満足して来世への青いトンネルをくぐっのたと思ったけど違うかもしれない。やっぱりもう一度読み返してみてもいいかもしれない。目がもう少しよくなってから。目に見えて分かりやすい理由を手に入れたって、それだけでは何にも大したことにはならないとは思うけれど。


                
眼科の専門医宛の紹介状を書いて貰った。

日本中から目の悪いひとがやってくる有名な病院だから朝早く行きなさいと言われた。私もその日本中のひとりになるわけだ。

 

大変だけれどありふれた問題というのをいま私は抱えている。
目をつむればどうでもよくなる大変なこと。
                 

生活が容赦なく膝の上に割り込んでくる。

 

「おわ~いあいあ~い(腹減ったどー)」

 

立ち上がって隣室の乳児を回収しおっぱいの時間となる。ひとしきり飲んで遊んで乳児が眠れば時計はすでに昼過ぎである。書くつもりだったことの大半は机の下でひしゃげている。きっとどうでもいいことだったのだろう。

 

洗濯は終わっている。掃除は六割。アイロン掛けは夜に回す。三時になったら
買い物に出る。それまでの間にまだ少し書けるだろう。


                
アリマキという虫だったろうか。むかし理科の時間に習ったことがある。

 

「この方々は夏の間メスがメスだけでメスだけを産みつづけるのです」

 

生まれる子はハハオヤのコピー版である。同質の短命がつぎつぎとリレーしてやがて寒い季節にたどりつく。すると宿命の王子のように、オスの個体が現れるのだ。

 

「やあ待ったかい、一緒に眠ろう」
                 

大抵の場合、自分から出たものというのは自分ではつまらない。

自分をとても良く知っているひとに書いたものを読んでもらうとそのことがよく分かる。

 

「なるほどおまえらしい書き物やなあ」

 

どんな幻想も現実に見知っている時間のどこに根ざしているからミステリアスと思えない。思ってもらえない。だから私は私をよく知っているひとを驚かせたくてしかたがない。

 

けれどディスプレイの前まで引きずってきた亭主の顔色が変わったことはあまりない。「まあな、青虫のつぶれたのや蛹の割れたのでも、根性きめて書かなならんときはあるもんや」たしかに書いてみなければ分からないことはたくさんある。何が青虫のはらわたで何が羽化しそうにない蛹であるかということも。
                  


読むことのできる文字で記される以上、日記は人に読まれるために書かれる
ものである。自分も含めて誰も読まないと決まったものなら、ヴォネガット
亡霊みたいに空気に指で書けば後腐れがなくてとてもよい。読まれるから書く。
そう思うとどこか気持ちがヒリヒリしてくる。俯いていたって紫外線は私の顔
を照らしているのだ。
            
      
「ひとの日記など読みたくもない」という常套的な考え方がある。

「ひとの日記」を視界と生活圏から放逐しようとする意志である。読んで困ったことでもあるのだろう。

 

「日記を公開するのはナルシスト」という言い方もある。ここでは日記を書いた人間も忌避されている。ナルシストに危害を加えられたことでもあるのだろう。書き物によって心情吐露を行う行為や人に対するそこはかとない侮蔑というのは、たとえば本屋の路傍などでも「どうでもいいやつが自分史なんて出版するなよなあ」というように独り言を装って、ときには当て擦りめいた大声で発せられることもある。自分史がアタマに落下して怪我でもしたのだろう。こうした被害意識の強い攻撃的な無関心を紫外線のように照射されながら、それでも次々と書き物は生み出されていく。
 


             
正岡子規の随筆は新聞連載中には字数を奪われた記者たちの侮蔑のまとだった。

 

「今日はアレが短くて助かったよ」

 

などと言われていたらしい。

けれども九十年後にまで版を重ねるのは、記者の書いた記事ではなかった。

時間の経過よりも冷酷で純粋な批評家なんているんだろうか。


                
日記書くのに三日も四日もかけるバカ。


(1996年11月17日)
※過去日記を転載しています。