湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

万葉集 船の上のシャウト事情

さ夜更けて 夜中の潟に おほほしく 呼びし船人 泊てにけむかも 

 

万葉集 巻7 1225


真夜中、船に乗っている人間が「潟」で何かを呼んでいる。


何を叫んでいるのかは、聞こえない。呼ぶ相手が誰なのかも、分からない。

 

作者は、その船人が、ちゃんとどこかに停泊しただろうかと、心配しているらしい。

 

船人は、一体何を呼んでいたのだろう。

 

呼ぶものはいろいろとあるだろうが、万葉集の中で切実に呼ばれるものとして、真っ先に連想されるのは、「妻」もしくは「妹」である。

 

たとえば、柿本人麻呂の、「妻が死にし後に泣血哀慟して作る歌」。

 

天飛(あまと)ぶや 軽(かる)の道は 我妹子(わがもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行かば 人目(ひとめ)を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほぶね)の 思ひたのみて 玉かぎる 岩垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日に 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠るごと 沖の藻の 靡(なび)きし妹は 黄葉(もみじば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あずさゆみ) 音に聞きて 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉だすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾(たまほこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる。 

 

 

万葉集 巻二 207

 

亡き妻の面影を求めて市に出てみたのに、そんなものはどこにもなかった。けれども作者は妻を呼ばずにはいられない。あたかもそこに妻がいるかのように、袖を振らずにはいられないのだ。

 

血を流す心をまざまざと見せ付けられるようなこの歌を、はじめて読んだのは、高校生の時だったけれど、できることなら一生涯、このような痛ましい悲しみに遭うことのないようにと願わずにはいられなかった。

 

それから数十年たったけれど、幸いにして、このような慟哭を経験することなく済んでいるが、人麻呂の慟哭の強烈さは、一層、身に迫って感じられるようになった気がする。それだけ、大切に思うものが増えたということなのだろう。


「夜中の潟」で何者かを呼び続けていた船人が、人麻呂と同じような境遇だったのかどうかは、分からない。

 

けれどもこの歌の作者は、その呼び声に、何かただならぬものを感じて、心を動かされ、気遣わずにはいられなかったのではなかろうか。


「潟(かた)」は、次のうちのどれかである。

 

  • 遠浅の海の、満潮には隠れ、干潮には現れる所。
  • 浦、入江、湾などにいう。
  • 海岸の、砂洲で海と境を接する湖水。

    (岩波古語辞典より)


この歌の「潟」がどれかは、はっきりしないが、船がいるのだから、浦・入り江・湾が適当と見るべきだろうか。

 

では、作者はどこにいるのだろう。


陸にいて、叫ぶ船人の声のするほうを眺めていたのだろうか。


それとも、作者自身も船上の人であったのか。

 

何の根拠もないけれど、私は、作者も別の船に乗って、叫ぶ船人の声を聞いていたように思うのだ。旅の途上にあって、懐かしい家や家族から離れ、暗い海上で船にゆられながら、他の船に乗っている誰かが、何かを切実に呼び、さけんでいた。その声が、自分の中の不安や孤独を直撃するものであったからこそ、「泊てにけむかも」という感情移入が可能だったのではないか、と。

 


    《意訳と書いて妄想と読む》


  ------ The Legend of 1225 ------


 もう、すっかり夜だな。
 俺たち、ここで船降りるんだっけ。
 なんか、疲れたな・・・。


 いや、船酔いってわけじゃないんだけど。
 ちょっと、な。

 

 お前も聞いてただろ。
 さっきの叫び声。
 泣いてんだか笑ってんだか、
 妙な具合にビブラートかかってたけど、
 あれ、女を呼んでた感じだったよな。

 

 お前どう思う?
 笑ってたんだとしたら、相手、
 よっぽどおかしな女なんだろうな。
 思い出しただけで、声が震えてひきつるような女。


 へへへ、いいよな、そういう女。
 旅の憂さがまぎれるじゃん。

 

 そんなわけないって?
 まあそうか。


 旅の最中に、生き別れたか、死なれたか。
 そんな感じだったもんな。
 
 あいつも、ここで降りて、どっかに泊まったかな。


 まさか海に飛び込んだり、してないよな。


 早く、家に、帰りたいな・・・。

 

 

 

 

 

 

(過去日記を転載しています)