気に入っている作家や詩人の評伝など、目に入れないほうがいいのだろう。(´・ω・`)
佐藤春夫とは仲が悪く、三好が佐藤の家の前で「バカヤロウ」と怒鳴り走り去るとすぐさま佐藤も三好の家の前へ行き「バカヤロウ」と怒鳴り返したとのエピソードも伝わる。
ただお互い詩の才能は認めていた。
馬鹿じゃなかろうか。
どっちも。
佐藤智恵子との結婚生活
桑原武夫は著書の中で、自身がフランス留学をしていた1937年からの2年間のうちに恐らく佐藤春夫と達治の関係が悪くなり、智恵子ともうまくいかなくなったとしている。
そしてその頃の結婚生活について、
「ある日、三好が縁側にすわって青空の白雲をながめている。すると奥さんが、もう月末はそこですよ、そんなにぼんやりしていないで、なにか書いたらどう、と言う。瞬間、三好の拳が智恵子さんの頭上にとぶのである」
と記している。
人前で妻にDVとか、控えめに言っても最低なのだけども、それが許される時代でもあった。でも最低なのに変わりはない。
詩は、あんなにきれいなのに。
いや、きれいなだけでもないけれども。
庭
太陽はまだ暗い倉庫に遮ぎられて、霜の置いた庭は紫いろにひろびろと冷めたい影の底にあつた。
その朝私の拾つたものは凍死した一羽の鴉であつた。かたくなな翼を綞の形にたたむで、灰色の瞼をとぢてゐた。
それを抛げてみると、枯れた芝生に落ちてあつけない音をたてた。
近づいて見ると、しづかに血を流してゐた。
晴れてゆく空のどこかから、また鴉の啼くのが聞えた。
『測量船』三好 達治著
明け方に凍死したカラスをわざわざ拾って投げ捨てて、血を流すのを観察するような人(少年?青年?)の感情は、よく分からない。
若い頃だったなら、気になって読み返して心に残して、気に入ったような気持ちになったかもしれないけれども。
「測量船」は、1930年に刊行されたという。
1900年生まれの三好達治は、1930年には30歳になっている。カラスを投げ捨てたのがいつなのか(そもそも実話なのか)、「庭」という作品がいつ書かれたのかは、分からない。
十代の少年だとすれば、わからなくもない。
アラサー男性の行動だと思うと、かなり引くし、やべえ奴だと感じる私は、平凡で平和を愛する一般庶民だ。
ただ、「測量船」刊行前の三好達治は、だいぶ不健康で、不運だったらしい。
萩原朔太郎の妹と結婚しようとしたものの、無職だったために反対され、職を得てなんとか婚約にこぎつけたけれども、会社が潰れて失業し、結局破談になったのだとか。
その後、ヤケクソのようにファーブルの「昆虫記」などを大量に翻訳しまくっていたという。
あれ?
「昆虫記」の翻訳って、大杉栄もやってなかったっけ?
大杉栄と伊藤野枝は1923年に甘粕に殺されているから、未完だったのかな。
ファーブルの「昆虫記」は、私の子ども時代の超愛読書の一つだったのだけど、初期に翻訳を手がけた人たちがろくでなしだったとは、知らなかった。別にいいんだけど。
大杉栄訳の「昆虫記」は、2005年に明石書店から出ているようだ。復刻版なのだろうか。Amazonの中古で8千円以上の値段がついている。
明石書店のホームページを見に行ってみた。
日本を代表するアナーキスト・大杉栄によるファーブル昆虫記日本語訳…1922年に刊行され、名訳の誉れ高い昆虫記第1巻の復刻版。大杉翻訳時には不可能だった昆虫の和名訳を解説者の手によって補い、読者の理解を深めるための解説を付し、名訳を蘇らせた。
名訳なのか。
私が子どもの頃に読んでいた「昆虫記」は、誰の訳だったのだろう。小学一年のころに買ってもらったものだから、1969年以前に刊行された本のはず。
子ども向けの本ではあったけど、全一巻で、箱に入っていて分厚かったような記憶がある。
微かな記憶を頼りに検索してみたら、1967年にポプラ社から出ている、古川晴男訳「世界の名著(7)ファーブル昆虫記」が、どうやらそれらしい。
国立国会図書館にこの本のデータがあったので、目次を見てみたら、読んだ内容を鮮明に思い出した。まちがいない。
懐かしい…
機会があれば読み返してみたいけれども、きっと入手は難しいだろう。