第八回「いざ、鎌倉」を視聴した。
坂東武者たちと頼朝(大泉洋)の間の不協和音がどんどんボリュームアップしてくる回だったので、見ているのがしんどかった。
千葉常胤(岡本信人)は頼朝に心酔している(というか亡き義朝を重ね合わせている)様子だったけれども、彼の親族の上総広常(佐藤浩市)は、頼朝に微塵も敬意を抱いていない。
義時の父時政(坂東彌十郎)も、頼朝を見限るタイミングを逃したままずるずると引きずられてきてしまったような気持ちらしく、頼朝のために働こうという気概が全く見えない。甲斐源氏の武田信義(八嶋智人)に参戦を依頼しにいくようにと頼朝に頼まれたのに、途中でサボっていた。
坂東武者同士のいがみ合いも厳しくて、平家方から寝返ってきた畠山重忠や梶原景時に。バチバチに敵意を向ける和田義盛(横田栄司)の率直で短慮な言動が、目に沁みて痛かった。
そんなトラブルのだらけの集団のなかで、まだたった十八歳の北条義時(小栗旬)が、中間管理職のように胃の痛そうなポジションで、頼朝にこき使われて右往左往している。
その当時の義時本人の気持ちがどうだったのかは、歴史書にも書き遺されていないようだから分からないけれども、治承四年以降、常にゴタゴタの渦中にあったのだとすれば、誰がトップに立ったとしても、関東も武家社会もまとまらないだろうということは、身に沁みて理解したのじゃなかろうか。
太宰治の小説「右大臣実朝」では、老いた和田義盛の昔語りを実朝が寵愛して、頻繁に呼び寄せて、戦の話などを語らせていたというくだりがあった。けれども和田の一族は北条義時に散々挑発された挙句に反乱を起こし、滅亡してしまう。
岡本綺堂の「修善寺物語」では、頼朝の長男である頼家は、義時に暗殺されていた。
永井路子の「執念の家譜」では、公暁(頼家の息子)による源実朝の殺害は、北条義時と三浦義村の軋轢が下地にあったものとして書かれていた。
歴史上の北条義時は、小説家が気持ちの悪い権力者としい描きたくなるような、底知れない印象がある。
出来事だけ追いかけていると、かつての味方や家族をどんどん切り捨てていくのだから、サイコパスっぽいイメージになってしまうのは仕方のないところだとは思うけれども、物語の主人公がガチのサイコパスでは、心躍る読み物にはなりにくい。
「鎌倉殿の13人」の北条義時(小栗旬)も、これから次第に気持ちの悪い権力者になっていくのかもしれない。そうなったとしても、きっと脚本家の三谷幸喜さんは、きっと視聴者にとって魅力的な主人公として書くのだろうけど、大変だろうなとは思う。
( _ _ ).。o○
今回は、政子と頼朝との感動の再会シーンがあったけれども、頼朝が愛人の亀(江口のりこ)とイチャイチャしたいがために、政子の鎌倉入りを遅らせようとするなど、義時の胃に悪そうなエピソードが挟まれていたので、見ている側にとってはあまり感動的ではなかった。
伊豆山権現で匿われていた政子(小池栄子)と、妹の実衣(宮澤エマ)、義母のりく宮沢りえ)は、頼朝や時政たちの状況が分からないことに不安を募らせながら、じわじわと不協和音を強めていた。その場に義時はいないけれども、状況を知ったら、死んだ魚のような目になっていたかもしれない、などと想像した。
若い僧侶を相手にはしゃいでいる義母りくに対して、以前から反感を持っていたらしい実衣は、兄の宗時について、りくが無責任に楽観論を述べるのを聞いて、激怒する。政子はどちらとも距離をとりつつ、冷静な様子だったけれど、内心は頼朝のことでいっぱいで、それどころではなかったのかもしれない。
歴史上ではこの三人の女性たちの関係は、一言では説明できない複雑なものになっていくようだ。頭を整理しながら、なんとか理解できたことを書いてみると……
頼朝が亀と浮気していることを、義母のりくが政子に告げ口したことから、巡り巡って北条一族が鎌倉から伊豆に退去するという大騒動に発展する。
妹の実衣(安房の局)は、頼朝の異母弟である阿野全成と結婚し、実朝の乳母になるけれど、阿野全成は時政とともに頼家を廃して実朝を将軍にしようとして、頼家に殺される。
その後、義母りく(牧の方)は夫の時政とともに、実朝を廃して、自分の娘聟の平賀朝雅を強引に将軍にしようしして失敗し、時政共々鎌倉を追われることになる。
もう訳が分からない。(´・ω・`)
ドラマではこのドロドロをどう描くのだろう。
( _ _ ).。o○
最後に、おさらい。
「吾妻鏡」で出来事を日付順に拾って並べてみた。
治承四年(1180年)
八月十七日 頼朝が挙兵して山木兼隆を討つ。
八月二十三日 石橋山でボロ負けする。
八月二十四日 梶原景時が山中で頼朝を見て見ぬふりをする。
八月二十六日 衣笠城で畠山重忠の軍と三浦、和田勢が戦い、三浦と和田が負ける。
八月二十八日 頼朝が船で安房に渡る。
九月七日 木曽義仲、挙兵する。
九月九日 千葉常胤が頼朝に従う。
九月十七日 頼朝、上総広常を待たずに下総国に向けて出発。
九月十九日 上総広常が頼朝の元に参じる。
九月二十八日 頼朝、江戸重長(畠山重忠の同族で、平家方について三浦一族と戦った)に使者を送って合流を促す。
十月二日 葛西清重が頼朝の元に参じる。
十月四日 畠山重忠、江戸重長たちが、が頼朝と合流(葛西清重の工作か?)。
十月七日 頼朝、鶴岡八幡宮を遥拝したあと、父義朝の館のあった亀谷(かめがやつ)を訪問。
十月十一日 政子がやっと鎌倉に入る。
政子たちが頼朝や時政と離れていた期間は、ドラマの中では長く感じられたけど、二か月間に満たなかったようだ。
【記事を書くのに参考にした本】
毎度愛用しているけど、この本では、残念ながら、頼朝の愛人の亀の前についての記事は、省略されているようだ。
太宰治「右大臣実朝」
将軍家(実朝)や御家人たちの末路が、誰だか分からない家人の視点で描かれている。個人的にはかなり不快な作品だったけど、最後まで読まされてしまうのが、太宰の凄さというか、いやらしさというか……。
永井路子「執念の家譜」
短編集。表題作の「執念の家譜」では、三浦義村の息子が、反北条の兵をあげて滅ぼされる話。
北条義時が亡くなってからだいふ後の話だから、「鎌倉殿の13人」には出てこないだろうけど、義時と仲の良い三浦義村(山本耕史)の家が、息子の代で完全に決別して滅ぼされるのかと思うと、なんだか悲しくなった。