湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(26)悲しむ前に

先週放映された「鎌倉殿の13人」第26回「悲しむ前に」を、今日になってやっと視聴。

 

頼朝の臨終までの息の詰まるような状況が、二日前の元総理狙撃事件に重なってしまい、ただでさえ重い場面が多い回が、尚更つらく感じられて、木曜日以前に見ておけばよかったと、心から後悔した。

 

今日の放映分(第27回)は、出来るだけ早く見よう。(´・ω・`)

 

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頼朝の落馬は建久9年(1198年)12月27日、亡くなったのは翌年の建久10年(1199年)の1月13日だという。

 

医療の発達していない鎌倉時代に、脳損傷で全く意識のない状態の患者が、2週間以上も命を繋いでいるのは難しそうに思う。

 

ドラマでは、頼朝の存命中から後継者を誰にするかで盛大に揉めていたけれど、同じようなことは、現実の鎌倉でもきっと起きただろうから、いろいろな辻褄合わせのために、逝去の公表を遅らせたのかなと想像した。

 

ドラマの中で頼朝の死を純粋に悲しんでいた御家人は、安達盛長以外にいなかったような気がする。

 

義時も涙を流していたけれど、頼朝の死を悼むだけではなく、権力闘争や身内の諍いで鎌倉が荒れる未来を予測して、もっぱらそのために心を暗くしているようにも思えた。

 

比企能員北条時政は、あっさりと後継者争いに意識を切り替えていたし、頼朝への忠誠心の厚そうな梶原景時や、誠実な人柄の畠山重忠も、死を悲しむ表情は見せなかった。三浦義村和田義盛に至っては、隠す気も無さそうなほど喜んでいた。

 

いっそ清々しいと言いたくなるほどの頼朝の人望のなさだったけれども、坂東武者と鎌倉殿との関係は、そもそもが打倒平家という一時的な利害の一致で結ばれただけのものだったのだろうから、仕方がなかったのかもしれない。最期まで、頼朝は坂東武者にとっては、貴種という異物でしかなかったのだろう。

 

 

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頼朝が亡くなる今回は、さすがに食べ物の出てくる余地はないだろうと思って諦めていたけれど、予想を裏切って、グミと桑の実が登場した。

 

亡くなる直前の頼朝が、奇跡的に意識を取り戻し、起き上がってグミをつまみ、「これは、なんですか」と政子に問いかける。

 

桑の実の旬は六月ごろで、グミは梅雨時らしいから、一月の鎌倉で入手するのは難しそうだ。

 

もしかすると、頼朝が意識を取り戻したことも、グミと桑の実の存在自体も、政子の願望が見せた幻だったのかもしれない。

 

 

そういえば私はグミも桑の実も食べたことがない。

 

桑の実のジャムなど売っているようだけど、どんな味なのだろう。

 

 

 

グミは販売用に栽培している農家がほとんどないらしい。自宅の庭などで入手できる人は、ジャムにしたり、グミ酒を作ったりするそうだ。ちょっと羨ましい。