湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(27)鎌倉殿と13人

「鎌倉殿の13人」の第27回「鎌倉殿と13人」を視聴した。

 

このドラマを見始めたころ、「鎌倉殿の13人」というタイトルは、選ばれた13人の御家人が、実質的に「鎌倉殿」であるという意味なのだろうと思っていた。

 

歴史音痴らしい誤解だったわけだけど、今回の「鎌倉殿と13人」を見て、もしかしたら当たらずとも遠からずだったのかなとも思った。

 

頼朝のあとを継いで鎌倉殿になった頼家は、訴訟の処理などの実務をうまく裁けないことや、正妻と側室の諍いなどに苛立ち、気持ちを腐らせていく。

 

御家人たちのほうも、苦しむ頼家そっちのけで、北条と比企の権力争いに振り回されるばかり。

 

ドラマを見ていると、頼家の抱える問題の根っこの一部は、比企氏を乳母夫として育ってしまったことにあるような気がしてくる。

 

比企能員とその妻の道は、常に目先の利益ばかり追いかけている。徹頭徹尾、ぶれることなく小物であり続ける夫婦に、武家の棟梁を育て上げるような器量はないと思う。ドラマでは彼らの育児についてはほとんど描かれていないけど、都合よく傀儡にできるように、余計な能力を伸ばさないように甘やかして抑え込んでいたかもしれない。

 

富士の巻き狩りのエピソードでは、頼家がまともに獲物を射止めることができず、見かねた御家人たちが、あれやこれやと指導しようとしている場面があった。この時の悔しさをばねにして、頼家は後に弓の名手になったというのだから、もともと伸びる素質はあったはずで、比企の家ではまともに指南されていなかったのじゃなかろうか。

 

鎌倉殿になった頼家が、育ての親である比企能員や、外祖父である北条時政に、信を置かなかったのは、育つ過程で彼らの底の浅さを見抜いていたからかもしれない。

 

とはいうものの、頼家が頼朝と政子の元で育っていたら比企よりマシだったとも思えない。

 

頼朝の権力者としての負の側面を目の当たりにして育った姉の大姫は、結局生きる力を失って早世してしまったし、政子の情の厚さや嫉妬深さは、息子を窒息させそうで危うい。

 

頼家は、そもそもの生まれが不運だったというしかないのかもしれない。

 

(_ _).。o○

 

さて、13人をなかなか覚えられないので、備忘録を兼ねて箇条書きしてみる。

 

北条時政比企能員に対抗して無理矢理参入)

北条義時(13人の最後の一人。政子に願われて不本意ながら参加)

比企能員(とにかく御家人のトップになりたい。憎めない俗物)

八田知家比企能員に賄賂をもらって参加。建築好きの自由人っぽい印象)

梶原景時(頼朝の信任厚いことを自認するも御家人の間での人望はない)

大江広元(中立的で、一番まともそうに見える)

安達盛長(出家してたのに比企能員に頼まれて参加)

・三浦義澄(北条時政に頼まれ、ほだされて参加)

和田義盛北条時政に頼まれて一旦断ったものの、牧の方におだてられて参加)

足立遠元(パッと見で蒲殿かと思った)

中原親能(なんか影が薄いけど外交官らしい)

二階堂行政(顔の長い愛想のない人)

・三好康伸(ちょっと粗忽なイメージ)

 

うん。

全部覚える前に、大半が内ゲバか老衰で死んでそうな気がする。(´・ω・`)

 

 

(_ _).。o○

 

毎度楽しみにしている歴メシネタ。

 

今回は食事シーンが2回あった。

 

北条時政比企能員が、合議制のメンバーに自分の味方を引き入れるために、目をつけた御家人を歓待している。

 

時政の屋敷には、三浦義澄・光村親子が呼ばれ、時政が串に差した焼き鳥っぽいものをかじっていた。

 

使われていた折敷は白木ではなく、焦茶っぽい色がついていて、器は焼き鳥のほかに三つ見えるけれども、中身はよく分からなかった。

 

比企の家のほうは、朱塗りのお膳に、謎の肉、汁物、香の物、菜の花のおひたしっぽいものがあり、時政の家よりも高級感があった。

 

謎の肉が気になる。

猪や鹿だろうか。

ジビエ料理に詳しくないので、判別できない。

 

 

 

 

比企の家は、頼朝が伊豆に流されてからずっと支援していたというし、北条よりも経済力があったのだろうか。

 

 

でも、比企の謎肉より、時政がかじっていた焼き鳥のほうが美味しそうだった。(´・ω・`)