長女さんの描画セラピーの付き添いで病院に来ている。
セラピーは長女さん一人で受ける。
私は送り迎えの足係だ。
私はというと、ここのところ少しばかり鬱が重くて、日中できることが少なくなっているけれど、夜はよく眠れているし、家族の予定があればこうして出かけることができるのだから、まだそう深刻ではないのだと思う。
でも先週の外来で主治医に「変わりありません。元気です」と言っちゃったことは、ちょっと後悔している。(´・ω・`)
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数日前から頭の中で鳴り止まない曲があるのに、それが誰の、なんという楽曲なのかどうしても思い出せなくて煩悶していたら、ゆうべの夢に、その曲が確実に流れていたはずの映画のシーンが出てきたので、やっと思い出せた。
エルトン・ジョンのYOUR SONGだ。
映画は「ロケットマン」。
とにかく衝撃的なオープニングだった。
燃え立つ火の鳥のような衣装のエルトン・ジョンが、猛々しくドアを開けて乗り込んだのは、ライブステージではなく、グループセラピーの部屋だった。
今朝セラピーに出かける前、ふと思いついて、そのオープニングを長女さんにも見せたら、ウケていた。
長女さんは専門学校入学と同時にベースギターを始めて、完全初心者だったにもかかわらず、学校主催のライブで賞を貰っていた。(あのときのライブは、とあるドキュメンタリー番組のなかでちょろっとだけ流れたのだけど、残念ながらステージ上の長女さんや客席で飛び跳ねていた私は映らなかった)
長女さんは身体を壊して、というよりも脳の消耗が激しすぎて、学校は退学することになったけど、ベースは忘れていないし、いつかきっとまたやるつもりだと言っている。
今のように、医療でも生活でも脳を穏やかに守る工夫やサポートが出来ていたなら、長女さんの人生はもっと違ったものになったのかもしれない。そう考えると、切なくなる。親だから。
だけど過ぎてしまったものを惜しむよりも、やるべきことがある。人生の先はまだまだ長いのだから。
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映画「ロケットマン」のなかのエルトン・ジョンには、サヴァン症候群および何らかの発達障害の気配があったと思う。
あのどうしようもない生きづらさや、頻繁に破綻をきたす過剰なエネルギーは、才能というギフトの一側面でもあり、普通の幸福を遠ざける呪いでもあったかもしれない。
Wikipediaによれば、エルトン・ジョンが自らの精神的な問題に向き合うために更生施設に入ったのは、1990年、43歳ごろだったようだ。その後復帰し、同性婚もして、とてもかわいい二人の息子を代理出産によって授かっている。
火の鳥の衣装でグループセラピーに乗り込んでいくエルトン・ジョンを思うと、少しだけ、鬱の脳が元気になるのを感じる。