亭主が年賀状を作っている。
絵は長女さんが依頼されて虎を描いていた。
私は年賀状を出す予定はないけど、ブログに貼り付けててもいいかなと思って、病院の待合室(長女さんの付き添い)で一枚描いてみた。
平凡な、日の出の絵。
そういえば寅年だったと思い出して、下の方に「虎」と書き込んでおいた。
絵を描くのはひさしぶり。
新型コロナ感染のの影響なのか何なのか、意欲もアイデアもなくて、さっぱり描けなくなっている。後遺症もブレインフォグもおさまったけど、絵画教室に戻れる気がしない。
でも、こんな絵でも、描くと脳のどこかがウキウキする感じはあるから、描きたい気持ちが根こそぎ枯れたわけでもないのだろう。
(_ _).。o○
長女さんは、毎週の描画セラピーでとてもいい絵を描いている。親バカフィルターを外してみても、どんどん上手になっているのが分かるし、なによりも魂の入った絵だなと思える。
自閉症の二次的な症状の悪化による長期入院は、本人にも家族にも大変な試練だったけれども、乗り越えたことで大きな成長があったのだなと思う。
親にできることといえば、相変わらず幸福と安寧を祈ることだけだ。心穏やかに、安らかに、幸せに、喜びや楽しみの中で過ごしてほしい。
(_ _).。o○
絵を描いていて、教会学校で教えていただいた「いつも喜んでいなさい」という聖書の一節を、ふと思い出した。
兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
いつも喜んでいなさい。
(新約聖書 テサロニケ人への第一手紙 第5章 14-16節)
この一節を教えてくださったのは、教会への奉仕で通っておられた若い方だったと記憶している。その方は、とてもつらいことのあった日に、聖書のこの言葉を思い出して、一体どうやって喜べばいいのかと途方に暮れたけれども、そのきつい状況のなかでも、喜びをみつける手立てはあったというお話をされていたと思う。
他者の落ち度を批判し、悪意に対して悪意で報いることを続けても、喜びには恵まれない。「ざまぁ」は人を健やかにはしてくれない。
それよりも拙い絵などを描いて楽しむほうが、脳にも身体にもずっといい。