こんにちは。
書き溜めていた下書きの投稿順が前後しちゃったので、今年の抱負の第二弾だか第三弾かわからなくなったけど、気にしない。
いい加減、うつ病をなんとかする。
完治できれば最善だけど、たぶん不可能なので、折り合いをつけてやっていく手立てを確立するのだ。
長女さんが、「発達障害の二次性うつの特徴」という動画を見つけて、教えてくれた。
発達障害の人のうつ病の病態は多様で、一般的なうつの症状の場合もあれば、好きなことだけはできる場合もあり、悪化すると統合失調症などに変わっていってしまうこともあるという。
うつ病は二次障害だから、それだけを治そうとするのでなく、根っこの発達障害のケアが行われる必要があるというのは、とても納得のいく話だ。
また、発達障害の人の多くは、自分の気持ちを言葉で語ることが苦手なので、カウンセリングではなく、作業療法や就労訓練などのほうが望ましいのいうのも、その通りだと思う。長女さんは長いことカウンセリングを受けていたけど、有効な支援にはなっていなかった。いまは描画セラピーを受けていて、言葉ではなく絵をメインにしてコミュニケーションを取るので、快適なようだ。受け始めて3ヶ月ほどになるけれども、長女さんの絵はみるみるうちに、魂が濃厚にこもったものになっていったように思う。今月下旬からは、就労支援施設への本格的な通所も始まる。自閉症スペクトラムの利用者が疲れすぎないように、いろいろな面で配慮してくれるところだから、私も安心している。
私の場合は、気持ちを言語化することが苦手ではないから、カウンセリングは大変楽しくて、毎回50分近く、実に気持ちよく滔々と喋らせていただいた。しゃべりながら、それまで見えていなかった自分の気持ちに気づいて目が開かれる思いがすることも多かったので、私にとってカウンセリングは大変有効だったと言える。ただ、似たようなことは自分でブログを書けばできると気づいたので、おそらくもうカウンセリングのお世話になることはないと思う。
私のうつ病発症の原因はいろいろだけど、根っこにあるのは発達障害だ、と診断したお医者さんも言っていた。抗うつ剤があんまり効かないから、発達障害の検査を受けないかと言われて受けてみたら、確定したのだ。
自閉傾向のあるADHD。四年ほど前に医師にもそう診断されて、ADHDの治療薬であるコンサータを処方され、それでとても酷い状態からは抜け出せたけれども、いまのように時折かなり辛い時期があって困っている。
診断されるまで、私は自分がADHDの可能性があるかもとは思っていたけど、自閉症スペクトラムを疑ったことはなかった。
だけど、幼少期から大学時代あたりまでの自分と周囲の関わりの不具合っぷり、駄目っぷりを思い起こせば、これ、側から見たら絶対自閉症だよなあと頭を抱えたくなる。
小学校までは、なんとかなった。
でも、人の目を見て応対することが苦手だったらしく、担任の先生に「きちんと目を見て話しなさい」と注意されて以来、授業中など徹頭徹尾先生の目をガン見することにこだわるようになったところ、先生に「授業態度が素晴らしい」と大絶賛されるようになってしまった。
ただ、それを周囲の子どもたちにもやるようになったところ、視線が強すぎたのか、不自然だったのか分からないけど、人間関係にいろいろと齟齬や誤解が生じるようになって困った。「あいつのことが好きなんだろう」とか、逆に「嫌っているのだろう」とか「怖い」とか、処理に困る問題が多発するので、目を見るのはやめた。他人との距離感もだいぶおかしかったのだろうと今ならわかる。いまもおかしいんだろうけど。
そういうのを療育的なアプローチで改善するという選択もあるのだろうけど、自分の年齢と生活を考えて、そういうのはもういいかなと思っている。
で、回避することにした。
心の安寧を削いで脳が悪くなるようなことは徹頭徹尾避ける。
忍耐や根性で苦手なコミュニティに突っ込んでいってわざわざ具合を悪くしたもころで、誰にとっても得にも徳にもならない。人任せにできることは全部任せる。これまで何十年も、一番苦手で出来もしないことをずっと頑張ってきたのだから、もういいと思う。
とはいうものの、回避できないことも多い。
そういう時は、事後に十分に休むことを忘れないようにする。「どうってことない」は禁句。しんどさを見逃さない。たぶんそれが一番難しい。